
新潟日報モア『ネットいじめ、向き合い方学ぶ 上越で「深めよう絆県民の集い」』
記事によると
・15日、新潟県上越市の上越文化会館で、いじめの防止や命の大切さについて考える「深めよう絆県民の集い」が開かれた
・参加した生徒から「昔のいじめは学校にいる間だけだったが、SNSは顔を合わせなくても悪口が言え、仲間はずれになることもある。24時間安心できない」との意見があった
・上越教育大学の稲垣教授は、「いじめられている人が安心して心を開ける居場所の作り方を、大人も交えて考える必要がある」と意見を述べた
この記事への『ふつざわしゅん』の感想
「いじめられている人が安心して心を開ける居場所」は大切です
しかしながら、いじめの被害者本人が望んで、いじめを受けていることを隠してしまうケースも多々あります
いじめられていることが恥ずかしいと感じていたり、家族に心配をかけたくないと考えたり、信頼できる大人が周りにいないなど、理由は様々でしょう
チクったら報復されると思い、我慢してしまうことも少なくありません
被害者に「いじめの事実を訴えてください」と言っても、被害者が加害者によってコントロールされてしまっていては、限界があります
いじめの被害者が自殺してしまうケースには、そのような傾向が顕著に示されています
私は、いじめを発見した生徒が速やかに大人たちに報告できる『現実的な』仕組みを構築することを優先するべきだと思います
加害者がルールに則って公正に処罰され、密告者の安全が確実に確保される仕組みです
学校や教育委員会の権限が及ばない独立した機関への密告情報によって、いじめの事実が浮かび上がってきたら、その時点でクラスを解体
主犯格の生徒を自宅待機に処し、口裏合わせが出来ないように保護者の同意を得て通信端末を即座に押収
利害関係者以外の大人たちだけで構成された調査委員会を結成し、傍観者は処罰しないことを前提に、一人ずつ個室で聴取すれば、殆どの生徒は口を割るでしょう
場合によっては何らかの報酬を与えてやっても良いかも知れません
それによって、いじめの主犯格、観衆たちが、疑心暗鬼になろうとも、守るべき権利の重さには勝りません
一人の命を犠牲にして守るべきものなど、あってはならない筈です
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