私に対して「働け」という主張を執拗にしてくる者がいるので、整理しておく。
働くという行為は、サービスを提供した相手方から金銭の見返りを得ることを前提とした行為である。
他方、ボランティアというのは、サービスを提供した者から金銭の見返りを得ることを前提としていない。
ただし、第三者から寄付を得るということはある。
どちらも大切なお金であるからこそ生まれる尊いやり取りだ。
しかし、よく考えてみて欲しい。
サービスの提供を受けた者が見返りとして当たり前のように金銭を渡すのと、サービスの提供を受けていない者が、見返りを求めず、ただ純粋に応援したいという温かい気持ちを込めて金銭を贈るのとでは、どちらが尊いだろうか。
そして、後者の思いや金銭を受け取ることが出来るのは、何故か。
「あいつは偉そうだ」などと言う者もいる。
しかし、これもよく考えてみて欲しい。
自分の活動に誇りを持たない者などいるだろうか。
誇りを持てないことをしていることが美しいのだろうか。
そもそも「偉そうだ」などという発言は、何様のつもりで言っているのだろうか。
匿名の陰に隠れて、スカスカの主張と誹謗中傷をしているだけの人間が、どの立場で人様を評価しているのだろうか。
自分の中身のなさを自覚しなさい。
私は、これまで活動を継続して来たことを誇りに思っている。
誰も成し遂げられなかったことを成すことも出来た、とも思っている。
しかし、この実績は、私一人では到底成し遂げられないものだった。
私は「リーダーとしてチームを先導してきた者」だけが評価されるのは、不合理だと思うし、私に着いてきてくれた、私に協力してくれた人達も、もっと評価されるべきだと思っている。
自分のことを自分で高評価するのは、美しくないから真面目には出来ない。
だが、内心では「改善点はあるが、よく頑張ってきた」と思っている。
でも、それよりも、ここまで担ぎ上げてくれた者達に対する感謝の方がデカい。
物事を見極める力がある者達に応援し続けて貰えたことは、私の最大の誇りだ。
「偉そうだ」などと言って満足できるなら、私も許容するべきなのかも知れないが、残念ながら、そんなことであなたの心は満たされない。
いい加減「ふつざわアンチ」を卒業しなさい。
ふつざわに人生をかけすぎだ。
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