派遣従業員が退職したり、引き抜かれたりすれば、当然のことながら、その分の売上は減少します。
「この山を越えたら勝てる」
そう信じ続けて、いくつもの問題を乗り越えて来ましたが、その時ばかりは、堪えました。
底は着いた、後は上がっていくだけだ、と確信していたからです。
しかも、引き抜いたのは、地元が一緒の人で、父と昔から付き合いのある人でした。
また、彼は、解任した役員とも付き合いがありました。
そして、その役員は、私の悪口をあちらこちらの取引先に吹き込んでいました。
その結果がこれだったので、余計に堪えたのです。
私は、これまでの感謝を述べて、明るく送り出しました。
恨み節を吐けば、更に惨めな思いをするのが分かっていたからです。
従業員一人一人の売上の価値を、改めて思い知らされた瞬間でした。


その後も出来ることは何でもやりましたが、ジリジリと減っていく預金残高を見て、焦り続ける毎日でした。
そして、その最中、今度は別の役員が、会社に相談も報告もなく、会社の仕事を個人で受けていたことが発覚するのです。
銀行から「これが最後のリスケです」と言われた直後のことでした。
おまけに、妻は妊娠。
連帯保証をしている2億4千万円の負債が、家庭の問題として、伸し掛かって来ていました。
そして、私は、ここまでかと、戦いの終わりを悟り、倒産に向けて動き出すことにしたのです。


その後は、倒産コンサルや弁護士のアドバイスを受けながら、被害を最小限に抑えられる日を確認し、売上の入金口座を変え、賃金以外の、ありとあらゆる支払いを回避して、時間稼ぎをしました。
その間に、あらゆるものを現金化していくのです。


そして、Xデー。
私は、事前に話をしていた友人Aに、全従業員を集めて貰って、弁護士2名の到着を待ち、最後まで残ってくれた従業員達に向かって、倒産することを告げました。
従業員達は、皆、私を労う感じで「お疲れ様でした」と言ってくれました。
その言葉に対し「突然こんなことになり、すみません」と言うと、従業員の一人は「頑張っている姿を見てきたから、悔しい気持ちもありますけどね。お父さんが倒れてから、ずっと心が休まらなかったと思いますから、ゆっくり休んで下さい。」とまで言ってくれました。
「文句の一つでも言ったら良いのに」
心の中でそう呟くと、一瞬、熱い思いがこみ上げましたが、直ぐに、冷たい気持ちに、打ち消されていったので、お礼を言い、精一杯の作り笑いを浮かべながら、社長人生に幕を下ろしました。
そして、「所詮は自分も、あの役員と同じだった」「この3年は家族の生活を賭けた争いに過ぎなかった」と悟った帰り道。
私は、やってきたこと全てが間違いだったように思えて、滲む景色と失ったものの大きさに、気付きました。
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