旭川女子中学生いじめ事案

X(旧Twitter)いじめ問題界隈について



X(旧Twitter)には、我が子のいじめ事案について投稿し続けるアカウントが複数存在する。

その多くは女性、つまり母親だ。

彼女たちは、同じ境遇に置かれた人達と繋がり、投稿を支持し合う。

そして、慰めを得る。

周囲の人達に、学校との関係における「怒り」や「悲しみ」を吐き出すことが出来ないのだろう。

では、何故、彼女たちは、学校との関係において、「怒り」や「悲しみ」を抱えなければならなかったのだろうか。

それは、「証拠を確保できなかったから」又は「法やガイドラインの知識がなかったから」である。

だから、実際には、いじめの事実関係も、学校の対応不備があったか否かも、不明だ。

しかし、彼女たちは、我が子の現状を見て、いじめや対応不備を確信する。



彼女たちのネットワークは、決して強くはない。

いじめや学校に対する「怒り」や「悲しみ」の投稿を通して、共感による緩い繋がりを保っているに過ぎない。

名前も顔も知らない。

彼女たちは、生身の人間の声色や涙や温もりを感じて、慰めを得るのではなく、いいねと賛同コメントの数を見て、慰めを得るのだ。

「自分が主張していたことは間違いではなかった」という実感は、生きる糧となる。

しかし、彼女たちは、その体験を重ね、中毒になっていく。

渇望を越えて、「賛同」という名の薬を飲み続けるからだ。

「いいね」のオーバードーズである。



「真実を知りたい」という細やかな願いにも聞こえる宣言は、仮初めであって、宵越しのものではない。

何となく信じているものも、それを否定する証拠が出てこない限りは、決して揺らがないだろう。

専門家による調査結果も、裁判官による判決も、自分が望む結果でなければ絶対に受け入れない覚悟がある。

無論、その態度は間違いではない。

当事者はそれで良い。

確信なく、相手の社会的信用を貶めることさえしなければ。



彼女たちの本当の願いは、もっと泥臭さを感じるものだ。

「吐き出したい」「賛同を得たい」「心の傷付きを癒したい」という思春期のそれとよく似ている。

日常に疲れ果て、頭も正常ではないから、訴える内容も稚拙だ。

また、それを投稿した後の世界も、投稿している横で我が子が何に向き合っているのかも、見えていない。

他方、社会は、彼女たちの言動を「ガス抜き作業」と捉え、放置する。

いじめ問題をマネタイズする先導者達や、これに追随する承認欲求の奴隷達は、日々燃料を投下し、彼女たちの「怒り」と「悲しみ」を肥やしにして、知名度を育てる。

実態を垣間見た者達は、沈黙する。

私はもう、こんな世界は、うんざりだ。


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