Aさんに言われたからには断れないよね
A氏に仕組まれた
X子さんの知人が打ち明ける。「あの日、X子は中居さん、A氏を含めた大人数で食事をしようと誘われていました。多忙な日々に疲弊していた彼女は乗り気ではなかったのですが、『Aさんに言われたからには断れないよね』と、参加することにしたのです」
「飲み会の直前になって彼女と中居さんを除く全員が、なんとドタキャン。結局、密室で二人きりにさせられ、意に沿わない性的行為を受けた。『A氏に仕組まれた』と感じた彼女は、翌日女性を含む三名のフジ幹部に”被害”を訴えているのです」(同前)
「A氏に仕組まれた」という感想に関連付け「Aさんに言われたからには断れないよね」という誤った認識に基づく具体的な感想を記述し、読者を信じ込ませておきながら、指摘されるまで訂正をしなかったことは、強く非難されるべきである。
橋下徹氏に指摘されなければ、何食わぬ顔で掲載し続けていたのだろう。
Aさんがセッティングしている会の”延長”だった
(事件当日は)Aさんはその場にいなかった
事態と向き合わず、まるで他人事のような対応に終始するフジに対し、諦念すら滲ませた彼女は、溜息混じりに言葉を吐き出した。「Aさんがセッティングしている会の”延長”だったことは間違いありません」
「最初の会食は、Aさんから誘われて行ったし、その後もそうです。(事件当日は)Aさんはその場にいなかったですけど、何が起きてるのか、わかっていたでしょう。でも、何一つ謝罪もない。フジが守ってくれなかったという苛立ちもあります」(同前)
X子さんは雨の降りしきるあの日の悪夢を鮮明に記憶している。事件の全容を知るX子さんの知人が証言する。「その日、彼女は中居さんから『みんなで鍋パーティをやろう』と誘われました。今まで三回ほど中居さんとAさんを交えて飲み会をやっていたので、彼女は『Aさんがセッティングしている会の”延長”だ』と認識し、中居さんの家を訪問。ところが二人きりになって意に沿わない性的行為を受けた。そして、行為後も中居さんから無下に扱われ、暴力的な言葉を吐かれたのです。その後、X子さんは当日の鍋の具材を見るだけで、フラッシュバックの症状が起こり、入院を余儀なくされた。彼女は皮膚科や消化器内科でも治療を受けていました」(同前)

トラブルが生じた日の会は、Aプロデューサーが主催した訳ではない。
過去3回、会を主催したからといって、被紹介者である中居正広氏が主催した会を「Aプロデューサーの会の”延長”」と解釈するのは、話が飛躍し過ぎている。
実際は「〈Aプロデューサーが主催した会で出会い、交流を重ねた人=中居正広氏〉が主催した会」である筈だ。
「Aプロデューサーの会の”延長”」などという解釈の記述は、「紹介者の責任」を論じ立てる為の、印象操作の「詭弁」ないし「比喩表現」でしかない。
「出会いの場を作ったこと」や「紹介したこと」を「諸悪の根源(原因)」であるかのように評価し、トラブルの責任を問い、負わせることも許されない。
そのような社会になれば、人々の社交性は委縮し、「被紹介者間で深刻なトラブルが生じるかも知れない」というネガティブな可能性を過度に考慮し「紹介するのはやめておこう」という思考が蔓延するだろう。
また、それにより、私たちの交流は過度に制限され、経済活動は停滞し、最悪、孤立してしまう者で溢れてしまう可能性さえある。
更に、それでは話が進まないと考えて行動する者は、常に失脚させられるリスクと弱みを抱えて生きていくことになる。
したがって、紹介者の責任を問い、人々の社交性を委縮させる「文春及び女性X」の「Aプロデューサーの会の”延長”だった」などという身勝手な解釈及び主張は、到底容認できない。
与えられた機会を利用するのも無用とするのも本人の自由だが、「何が起きてるのか、わかっていたでしょう」などという憶測を立てて悪用することは断じて許されない。
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