「仕組まれた」「上納された」と感じた理由
「女性アナをいかがわしい接待の道具として使い、二人きりにして『あとはご自由に』。状況を作るだけで自分は手を下さないという本当に卑劣な手口です。性的行為を断るとき、無言の圧力を感じました。『この人たちとは一生仕事できないんだ』という諦めの気持ちでした。実際、あの事件以降、Aさんから彼ら二人に関わる仕事に呼ばれたことはありません」(水谷アナ)


「Aさんたちが(タレントを)接待するために女性メンバーを集めた会でした。その日、私は翌日仕事があるからと退散。一人は『明日ロケがあるから』と早めに帰った。もう一人は遅くまで残されていましたが、その後、何が行われたのか…それはわかりません」(X子さん)


参加タレントは、こうした飲み会に参加した女性たちにこう嘯いたという。「女なんてヤッておけばいいんだから!」それを聞いたX子さんは「Aさんに上納された」という認識を強く持った。
ライオンの檻の中に入れたら、あるいは、凶悪犯罪の前科持ち、反社会的勢力に属する凶暴な人間等と密室で二人きりにさせたら、その責任は問われるだろう。
しかし、相手はライオンでも、凶悪犯罪の前科持ちでも、反社会的勢力に属する人間でもない、法律に縛られた「ただの有名人」だ。
相手が上司であれ、大事な取引先であれ、拒否する権利は当然にある。
実際に、その当然の権利を行使している女性は五万といる。
いや、圧倒的多数だ。
「そんなことはない!」と言って否定する者もいるかも知れないが、そのような感想を持つのは、同じような物語を持っている者ばかりで寄り集まり、あるいは、そのようなアカウントばかりをフォローし、平穏且つ健全な生活を懸命に維持している市民国民との関わりが乏しくなった結果、感覚がバグってしまったからである。
つまり、X子は「拒否できない環境があったから拒否しなかった」のではなく、根拠のない恐怖、つまりは「中居氏の求めを拒否すれば重大な不利益が生じる」という思い込みに支配されたから、拒否をしなかったのだ。
では、そのような「思い込み」や「恐怖」を植え付けたのは誰か。
ハラスメント事案を面白可笑しく書き立てる週刊誌、男性蔑視によって女性を優位に立たせようとする特殊思想の記者、ハラスメント経験者と称しX子の個性ないし特性を無視して危機感を煽った周囲の人間たちに他ならない。
「女なんてヤッておけばいいんだから!」と発言したタレントが実在するなら、そのタレントも多少は影響を与えていると言わざるを得ないが、そのようなタレントが一匹二匹いただけでは「中居正広氏も同じだろう」とは通常考えない。
それでも、そのタレントの影響が大きかったと評価するならば、その原因は「レッテル貼り」という認知の歪みだ。
断るタイミングはあった
直前になって中居から、「今日は大雨でみんな来られなくなってしまったけど、二人でもいい?」と彼女にメッセージが届く。「急に言われてもドタキャンなんてできない。仕方なくマンションへ行くと、中居さんはみずから配膳し、上機嫌だったといいます。そこで彼女は『仕組まれた』と、ようやく事態を察した。しかし、時既に遅し。密室で二人きりになった末、彼女は意に沿わない性的行為を受けてしまった」(同前)


「Aさんたちが(タレントを)接待するために女性メンバーを集めた会でした。その日、私は翌日仕事があるからと退散。一人は『明日ロケがあるから』と早めに帰った。もう一人は遅くまで残されていましたが、その後、何が行われたのか…それはわかりません」(X子さん)


参加タレントは、こうした飲み会に参加した女性たちにこう嘯いたという。「女なんてヤッておけばいいんだから!」それを聞いたX子さんは「Aさんに上納された」という認識を強く持った。
相手が上司であれ、大事な取引先であれ、自分に不利益を生じさせたことがない者から「今日は大雨でみんな来られなくなってしまったけど、二人でもいい?」とメッセージで聞かれた時に、断ることができるか否か。
その答えは、その人の個性や特性によって、変わってくるかもしれない。
しかし、社会通念上、断る機会は間違いなくあったといえる。
何故ならば、メッセージでの意思確認は、相手方の時間的、距離的、空間的な圧力が皆無であり、断る理由も、いくらでも作れるからだ。
雨が降っていたなら「低気圧で頭が痛い」という説明があり得るし、雨が降っていなくても「疲れが溜まっていて体調が良くない」という説明があり得る。
「生理」や「生理前の不調」を別の言い方で伝えるといった方法もあり得るだろう。
そんなことは百も承知だったのではないだろうか?
また、誘った側からすれば、通話よりも断ることが容易なメッセージで意思確認をしているのだから、そのような配慮をした上で「二人でも問題ない」という内容の回答がくれば、その回答を信じる他ない。 ※ X子が、どのような返信をしたのか文春は隠している
そもそも、Aプロデューサーを「有名タレントに女子アナを性上納する悪党」だと認識していたのだから、「Aプロデューサーは女子アナを納める側」で「国民的スターである中居氏は受け取る側」という構図も認識している筈である。
そして、そのような認識があったなら、受け取る側である相手方の自宅で二人きりで過ごすことを受け入れた結果生じる展開も当然に予測できた筈だ。
自宅に行く前に意思確認が済んでいるのに、自宅に着いてから「仕組まれた」と察した、というストーリー展開も無理がある。
自宅で二人で過ごすことを受け入れた事実をぼかし、「意に沿わない性的行為」という悲劇の結末に繋げるために、強引にねじ込んだ創作の被害感情としか思えない。
本当に許せなかったのは「行為中と行為後の中居氏の態度によってプライドを傷つけられたこと」だったのではないだろうか?
本当は「もっともっと大事に扱って欲しかった」という、ただそれだけの気持ちだったのではないだろうか?
「断れなかった」理由と
嫌だったけど「断らなかった」理由
雨が降りしきる二〇二三年六月上旬のことだった。「あの日、X子は中居さんからA氏を含めた大人数で食事をしようと誘われていました。中居さんと仕事上で面識はありましたが、A氏から紹介され、それまでに何度か食事をしています。彼女にとって中居さんやA氏は仕事上の決定権を握る、いわば力関係が上の立場であり、断れるわけがない。彼女は『行くしかない』と指定された中居さんの自宅マンションに行ったのです」(X子さんの別の知人)

直前になって中居から、「今日は大雨でみんな来られなくなってしまったけど、二人でもいい?」と彼女にメッセージが届く。「急に言われてもドタキャンなんてできない。仕方なくマンションへ行くと、中居さんは、みずから配膳し、上機嫌だったといいます。そこで彼女は『仕組まれた』と、ようやく事態を察した。しかし、時は既に遅し。密室で二人きりになった末、彼女は意に沿わない性的行為を受けてしまった」(同前)


「断ったら仕事ができなくなる」という恐怖を全否定するつもりはないが、X子とX子の知人が、そのように考えた根拠は極めて乏しい。
相手方との関係において「断ったら仕事ができなくなった」という事実がないからだ。
「力関係が強い=断ったら仕事ができなくなる」という解釈は飛躍が過ぎる、ということである。
たしかに、この広い社会には、そのようなケースも存在する。
したがって、常に「そのような事態になるかも知れない」という危機感をある程度もって関わるのが無難といえるかも知れない。
しかしながら、「どこかで起きた特殊なケース」を根拠に、目の前の相手も同じに違いないと決めつけてはならない。
そのように決めつけて関わる自由はあるが、その「決めつけ」によって生じた「恐怖」を理由に受け入れた(または、拒否しなかった)ことを、相手のせいにしてはならない。
決めつけの責任は、相手にあるのではなく、そのように認知した者にあるからだ。
「断れば仕事がなくなるかも知れない」「仕事を続けたいから拒否できない」という憶測に基づいた誤った打算で受け入れることを決めた(または、拒否しなかった)責任を相手に押し付けてはならない。
無論、力関係において強い立場にある者が、自分の発言力や影響力を自覚し、弱い立場に置かれた者に配慮することは一定程度必要であるが
文春は、自身の影響力に対して無自覚であり、その配慮を誰よりも欠いているので、他人の(弱い立場に置かれた者に対する)無配慮を指摘する資格はない。
また、その「無配慮を極めた者達」の影響力を利用し、中居正広氏を引退にまで追い込んでしまった(つまり、仕事をできなくさせた)X子も同様に、他人の無配慮を指摘する資格はない。
中居正広氏とX子の比較


中居正広氏は、根拠もなく「性的な行為を断ったら、自分の影響力を使って、排除の根回しをする卑劣な人間である」と決めつけられ、行為が終わった後に「嫌だった」と言われても、配慮が足りなかった部分について反省をし、傷ついた心に配慮しながら誠実に向き合い続け、どんなにデタラメ記事を書かれても、一貫して守秘義務を守り、最後は、応援し続けてくれたファンと自らの芸能人生を捨て、身を引いた。
他方、週刊文春とX子は、根拠もなく、中居氏を「性的な行為を断ったら、自分の影響力を使って、排除の根回しをする卑劣な人間である」と決めつけ、そもそも事実かどうかも疑わしい「決めつけによって生じた恐怖」と「拒否しなかったこと」の責任を全て中居氏に押し付け、中居氏が守秘義務に縛られ回答できないことを良いことに都合のいいデタラメ記事を書き続け、引退にまで追い込んでおきながら、繋がりのある記者に書かせた種まき記事やSNSの投稿などを使って特定されるように必死にアピールし、コメント欄が炎上してもお構いなしの神経で自分の写真を投稿し続け、宣伝に勤しみ、「記事を鵜呑みにした国民」の哀れみや思い遣りを平然と商売に利用している。
こんなことを許して良い筈がない。
これは、文春オンラインが「旭川14歳少女イジメ凍死事件」と題した捏造記事を掲載し、遺族と共に書籍を発売し、世間の同情と多額の寄付金を集めた手口と全く同じだ。
社会は、このような手口で荒稼ぎする行為を
被害者ビジネスという。
人を葬って得た金で支援されたいと思う人間はいない。
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