
中居正広さんの説明

1 トラブルがあったことは事実
2 示談が成立し(私法上の紛争が)解決しているのは事実
3 手を上げる等の暴力は一切ない
4 当事者以外の者が関与した事実はない
お詫び
この度は、皆様にご迷惑をお掛けしていること、大変申し訳なく思っております。
報道内容においては、事実と異なるものもあり、相手さま、関係各所の皆さまに対しては大変心苦しく思っています。
これまで先方との解決に伴う守秘義務があることから、私から発信することを控えておりました。
私自身の活動においても、ご苦労を強いてしまっていることが多々発生しておりますので、私の話せる範囲内でお伝えさせて頂きたいと思います。
トラブルがあったことは事実です。
そして、双方の代理人を通じて示談が成立し、解決していることも事実です。
解決に至っては、相手さまのご提案に対して真摯に向き合い、対応してきたつもりです。
このトラブルにおいて、一部報道にあるような手を上げる等の暴力は一切ございません。
なお、示談が成立したことにより 、 今後の芸能活動についても支障なく続けられることになりました。
また、このトラブルについては、当事者以外の者の関与といった事実はございません。
最後になります。
今回のトラブルはすべて私の至らなさによるものであります。
この件につきましては、相手さまがいることです。
どうか本件について、憶測での詮索・誹謗中傷等をすることのないよう、
切にお願い申し上げます。
皆々様に心よりお詫びを申し上げます。
誠に申し訳ございませんでした。
2025年 1月 9日 のんびりなかい 中居正広
大多亮さん(フジテレビ元専務)の説明

1 女性(X子)が「誰にも知られたくない」ということで話が上がってきた
その女性が非常に、当たり前なんですけども、大事にしたくない、言葉はわかりませんけども、公にならない方がいいし、そういった中で、誰にも知られたくないということだと思うんですけども、そういう中で、私まで上がってきたということなんです(2025年1月22日、関西テレビ記者会見)
私の中では、とにかく彼女がわからないように、公にならないようにということを常に最優先に考えていましたので、中居氏を守ろうとか、そういう意識はなかったです(2025年1月22日、関西テレビ記者会見)
それよりも『彼女を守る最善の手は何なんだ』ということを考えていました(2025年1月22日、関西テレビ記者会見)
関西テレビ大多亮社長 フジテレビ専務時に対応の中居氏と女性との問題を会見で説明 2025年1月23日
大多さんの説明を裏付ける「X子の友人」の説明
「当時の彼女は『警視庁に被害届を出せば、自身の名前が公になってしまうのではないか』と懸念し、被害届の提出を諦めたのです。その後、示談交渉が進められ、中居さんがX子に九千万円の解決金を支払うことで合意。一連の出来事を双方口外しないと守秘義務を約束し、それを破った場合には賠償責任を負う前提で示談を交わしました」(前出・X子さんの友人)(週刊文春、2025年1月2・9日新年特大号)
遠藤龍之介さん(フジテレビ副会長)の説明

1 「(中居さんとX子の)意思の不一致の問題」であると理解している
2 中居さんは「同意のもとだった」と説明していた(※つまり→女性は「不同意だった」と説明していた)
ちょっと踏み込んで申し上げるとすれば、意思の一致か不一致か、ということだと思います(2025年1月27日、フジテレビ記者会見)
記者から「被害について、同意のもとであったと中居氏がフジテレビに説明していたということですか?」と問われ「仰るとおりです」と回答(2025年1月27日、フジテレビ記者会見)
3人の説明を組み合わせた事実
1 二人の「意思」や「認識」が一致しなかったことによって生じた「暴力等が介在しないトラブル」だった
2 「誰にも知られたくない」という女性(X子)の意思によって示談が成立し、「私法上の紛争」は解決した
渡邊渚さんの説明

1 トラブルは「仕事の延長線上」で起きた
→ 数日前に中居さんと連絡先を交換して個人的なお付き合いを開始し、「二人でも良い?」という『個人的なお誘い』を承諾して、自分の意思で中居さんのマンションに行ったにも関わらず、何故か「A氏がセッティングしている会の延長」だと思った(渡辺渚さんがX子の場合)
2 トラブルが原因でPTSDになった(社会適応が悪くなった)
→ 医師が「X子の説明に基づいて」診断した
3 身体が動かなくなったが、もがいて、抵抗した
→ 「もがく」とは、手足を動かして悶え苦しむことであるから、身体が動かないなら「もがいた」とは言えない
→ 「抵抗」とは、力の作用に対し反対の方向に作用する力のことであるから、身体が動かないなら「抵抗した」とは言えない
→ 「心の中でもがいた、抵抗した」ということなら、そのように書かなければ、読者に誤解を与える
4 何が起こっているのか、よくわからなかったが、後になって「怖かった」「絶望した」「悔しかった」という気持ちだったと理解した。
→ X子は、後になって、そのような気持ちだったと解釈した
2023年6月のある雨の日、私の心は殺された。仕事の延長線上で起きた出来事だった。それが原因で、私は”PTSD・心的外傷後ストレス障害”になった。(渡邊渚「透明を満たす」P60)
あの瞬間、恐怖で身体が動かなくなって、「助けて」が届かない絶望感と大好きな人達の顔が頭に浮かんだ。どんどん自分の身体と心が乖離していって、幽体離脱のような感じだった。真っ暗で冷たい井戸に落とされたかのように、どれだけもがいても救われることはなくて、意識はあるのに死んでいく。何が起こっているのか、よくわからなかった。トラウマ体験をした翌日、私は出来事を受け止めきれず、高校時代からの親友にメッセージを送った。(渡邊渚「透明を満たす」P60)
あの時感じたのは、どれだけ抵抗しても伝わらなかった絶望感と無力感、尊厳を踏みにじられた悔しさ、そして恐怖だったとやっと理解した。(渡邊渚「透明を満たす」P61)
「経験値」と「交際に対する考え」
恋愛ももちろんしなかった。朝の番組を担当していたから、深夜2時台に起床して出社する。朝の放送が終わったらそこから別の仕事で、取材やバラエティーの収録、ロケに出かけ、夜に帰宅。そして翌日も2時台に起きるというハードな日もよくあった。休日は月に4日間程度、ということも珍しくなかった。しかも休みの翌日は早朝から仕事だったから、疲れを取るために寝ていたらあっという間に過ぎた。夏休みなどの有給もまとめて一週間とれたことはなくて、4日間と半休2日間といったように分けてとっていた。当然友達と会う時間もないし、恋愛をする余裕なんて微塵もなかった。よく「アナウンサーってどこかの社長とかエリートサラリーマンとかとご飯行ったり合コンしたりしてるんでしょ?」と聞かれたが、私は一度もその類の会に行ったことがなかった。そもそも興味がないし、会食は会社の人や番組でお世話になっている人とだけでも時間が足りないくらいだった。
渡邊渚「透明を満たす」P57、P58
・22年間も待ってるって思うと、一番最初の人って凄い重要になってくるみたいな
・その理想が凄い高くなっちゃうからこそ、どんどん恋愛も出来ないし
・「もう誰でも良いから、まず付き合うってことは出来ないんだよな?」という質問に対して「したくないですね」と返答
・男性と一対一でどっかに行くっていう事自体が、まず何かこう…
・二対二ならまだ行けるっていう
・一対一だとやっぱり抵抗があるみたいな
ラジオ番組「オレたちゴチャ・まぜっ!~集まれヤンヤン~」(MBSラジオ)での発言
渡邊渚さんが抱えていた生き辛さ
1 渡邊渚さんは、母に「心の声を受け止めて欲しい」と思っている
2 渡邊渚さんは、母に「デリカシー」を求めている
3 渡邊渚さんは、母には「放任と尊重」を、父には「干渉と関心」を求めている
4 渡邊渚さんは、先天的なものを比較することに嫌悪感を抱くが、後天的なものを比較する傾向がある
→ 「努力をしない人間はダメな人間だ」「忍耐力のない人間はダメな人間だ」という思想を強力に植え付けられた結果
5 渡邊渚さんは、「優等生でいれば極端に嫌われることもいじめられることもない」と考えている
→ 「努力をしない人間はダメな人間だ」「忍耐力のない人間はダメな人間だ」という思想を強力に植え付けられた結果
6 渡邊渚さんは、「メニエール病」になるまで頑張り続けた
→ 「努力をしない人間はダメな人間だ」「忍耐力のない人間はダメな人間だ」という思想を強力に植え付けられた結果
7 渡邊渚さんは、中居さんとのトラブルをきっかけに、何もかも失ったことによって、ようやく自分の弱さを認められるようになった
ご飯の時間が一番嫌いで小さい目標も越えられない自分が全部嫌だと素直に伝えてみた。これが母親だったら絶対に「何の為に入院してると思ってるの!食べなさい!」と怒っただろうが、友人は、そんな日もあるよと受け止めてくれた。(渡邊渚「透明を満たす」P81・82)
入院から1ヶ月以上経ち、2泊3日の外泊の許可をもらった。普通は両親が送り迎えや看病といった保護者的な役割をするのだろうが、私はそれが嫌だった。理由はいろいろあるが、一番は母から、私が守ってあげられなかったせいで、などと言われたくなかったからだ。病気は親のせいじゃないし、そう言われて、違うよ、私は大丈夫だから、と気遣う気力がその時の私には残っていなかった。ということで、両親と少し顔を合わせたが、外泊は実家ではない場所で妹と一緒にリフレッシュすることにした。(渡邊渚「透明を満たす」P87)
仕事を辞めると母に相談したら、「アナウンサーじゃない渡邊渚に何の価値があるの?」と真剣な顔で言ってきた。普通の親なら休養中の娘にそんな言葉を投げかけないと思うが、母は普段からデリカシーのない発言をよくするタイプだったから、こういう言葉が飛び出してくることは容易に想像できた。だからその言葉にそれほどダメージはウケなかったし、それが世の反応なのだろうと思った。(渡邊渚「透明を満たす」P160)
父は子育てにはほぼ関与せず、放任主義。幼少期は単身赴任で数カ月に1回しか会えなかったので、我が家ではレアキャラ扱いだった。女性が多い家庭だから、父は少々肩身が狭い立場だ。一方、母はパワフルで、完全ワンオペで私と妹を育ててくれた。子供たちが行きたいと言った場所には必ず連れて行ってくれて、どんな遊びも一緒に楽しんでくれるのは今でも変わらない。(渡邊渚「透明を満たす」P40)
母は勉強と言葉には手加減をしない人だった。少しでも主語述語がおかしい文章を話すと、「正しい日本語で話せないならしゃべるな」とやや厳しすぎる国語教育を受けた(渡邊渚「透明を満たす」P40)
私は幼少期から、我慢が得意で何でも一人で解決できると思い込むタイプだったから、自分の心の声を言語化することも、誰かに相談することも、やり方がわからなかった。かつ、妙に卑屈だから、私のことを受け止めてくれる人なんていないだろうと思い込んでいた。(渡邊渚「透明を満たす」P148)
新潟の小学校は一学年20人ぐらいで小規模だったし、名古屋でも優しい人柄の友人に囲まれていたから、人間関係に悩むことなんてなかった。しかし、横浜では、中学受験をするかしないか、どこのマンションに住んでいるかなどのくだらない査定をされて友達が決まっていくから、ヒエラルキーをひしひしと感じて居心地が悪かった。みんなに嫌われないように、本当の自分を押し殺して生活して、とっても息苦しかった。(渡邊渚「透明を満たす」P48)
中学もそのまま横浜の公立の学校へ進学した。そこもあまり好きな空間ではなかった。優等生でいれば極端に嫌われることもいじめられることもないと考えて、生徒会長をやったり、スピーチコンテストに出たりして、一見充実した生活を送っていたが楽しくはなかった。自分の感情や考えは二の次三の次。学校生活のことはほぼ覚えておらず、塾と受験の記憶しかない。いつしか、横浜そのものが嫌いになり、早く高校生になって都内の学校へ行きたいと望むようになった。(渡邊渚「透明を満たす」P489)
なぜそんなに居心地が良かったのか。それは全力投球が正しいという世界戦だったからだと思う。例えば、運動会や演劇界、文化祭などの学校行事に対して、みんながまったく手を抜くことなく、本気でぶつかり合い、本気で作り上げていた。大人になると、全力投球しない人間が成功していたり、手を抜いている人が評価されたり、不平等さを感じることがあるが、この高校ではそういう人間がほとんどいなかった。全員が真剣に物事と向き合い、そこから生まれた成功体験によって自信をつけて、未来にたくさんの夢を持つことができた。(渡邊渚「透明を満たす」P51)
友人からの誘いは断るのに、仕事だけは断らず、頼まれた仕事は時間が許す限りすべてやっていた。そんな日々を過ごしていると、少しずつ身体にガタが来始めた。耳閉塞感と聴力の低下、めまいといった症状がでて、メニエール病と診断された。(渡邊渚「透明を満たす」P58)
聞こえが良くなった時に、他社からのインタビューで雑談程度にメニエール病だったことを話したら、「アナウンサーは弱みを見せちゃダメ。そんなこと言ったら仕事が減るよ」と指摘された。(渡邊渚「透明を満たす」P58)
病名を言われた時、正直なところ、少しほっとした。これまでの自分がとってきた行動や感じてきたことは、私がおかしいのではなく、病気のせいなのだとわかったからだ。普段の自分なら絶対にしない自分を傷付ける行為を衝動的にしてしまったことも、自分が自分じゃないみたいな恐怖も、すべてPTSDによるものだと知って腑に落ちた。PTSDという病名がついて、少し心が軽くなった。(渡邊渚「透明を満たす」P80)
これまでの人生観だと長期的に将来を見据えて働いていたが、今はその瞬間が楽しいと思えることを大事にするようになった。(渡邊渚「透明を満たす」P166)
病気になったことで、自分の心に蓋をするのをやめることができた。我慢も時には必要だが、まったく納得できないことを受け入れることはしなくていい。元職場を辞めてから、つきものが落ちたようだね、などと言われるが、たしかに会社員時代はアナウンサーという枠に収まり続けなくてはならず、ずっと気を張って、自分の心に嘘をついていたから息苦しかった。それに比べて今は余計なストレスなく過ごせ、自分の未来を自分で掴み取ることができる。(渡邊渚「透明を満たす」P174)
病気になったせいで、社会のレールから外れたように感じて、ずっと孤独だった。自分は社会のお荷物で、希望も生きている理由も見当たらなくて、自分自身を見失った。自分がいないことが通常になって社会から忘れられ、私は透明人間になった。でも一度透明になったことで、自分の心が見えるようになった。(渡邊渚「透明を満たす」P175)
あなたの人生はあなたのもの。誰にも奪えない。(渡邊渚「透明を満たす」P176)
文春の説明
トラブルがあった日の数日前(5月下旬)のことについて
1 Aプロデューサーは、中居さんとX子を交互に見ながら「この二人が付き合ってくれたらなぁ」と発言した
→ X子は、中居さんとのお付き合い(恋愛)を意識した上で、「何を言っているんですか」と返答している
2 中居さんとX子は、連絡先(携帯番号)を交換した
→ 「Aプロデューサーが、X子に対して、中居さんと連絡先を交換するよう求めた」とは一切書いていない(「A氏や中居氏の無言の圧力を感じた」ということも一切書いていない)
夜十時に散会した後、中居が「俺、寿司が食べたい!」と提案しA氏が賛同、X子さんを含む3人で寿司屋に向かう。店内でA氏は中居とX子さんを交互に見つめて、こう言った。「この二人が付き合ってくれたらなぁ」 X子さんの友人は、次のように証言する。「三十歳近く年上の中居さんは交際の対象ではない。彼女は即座に『何を言っているんですか』と制したそうですが、結局、携帯番号を交換してしまった」(週刊文春、2025年2月13日号)
トラブルがあった日のことについて
1 トラブルがあったのは、2023年6月上旬の雨の日だった
2 当日、X子は、中居さんから「(A氏を含む複数人で)鍋パーティーをしよう」とのお誘いを受けた
3 飲み会の直前、X子のもとに、中居さんから「今日は大雨でみんな来られなくなってしまったけど、二人でもいい?」というメッセージが送られてきた
→ 「皆が大雨を理由にキャンセルしている」という事実は、「お誘いを断る理由や原因」または「日を改める理由や原因」になり得るが、X子は、皆がキャンセルしていることを理由に断ることをせず、他の理由を示して断ることもせず、日を改めようと提案することもせずに、大雨の中、中居さんのマンションに行き、「中居さんと二人で過ごすこと」を選択している
4 X子は「二人でもいい?」という個人的なお誘いを承諾して、中居さんのマンションに行った
→ 男性と一対一で会うことに抵抗を感じている者が、その抵抗を乗り越えて、「男性の家で」「二人っきりで」過ごすことを選択している
5 X子は、中居さんのマンションに着いて、上機嫌で配膳をする中居さんを見て、「A氏に仕組まれた」と思った
→ X子は、数日前に中居さんと連絡先を交換して個人的なお付き合いを開始し、「二人でも良い?」という『個人的なお誘い』を承諾して、自分の意思で中居さんのマンションに行ったにも関わらず、何故か「A氏に仕組まれた」と思った
6 その後、X子は中居さんから意に沿わない性的行為を受け、行為後は無下に扱われ、暴力的な言葉を吐かれた
→ どのような行為が意に沿わなかったのか、どのように扱われたのか、どのような言葉を吐かれたのか、については一切言及されていない
→ 男性と一対一で会うことに抵抗を感じている、且つ「最初の人」を重要視している「性交経験のない者」が、男性の誘いを受けて、「男性の家で」二人っきりで過ごすことを選択し、その日に行なわれた「暴力等が介在しない」「性的な行為」について「意に沿わなかった」と訴えている(渡辺渚さんがX子の場合) ※ 性交をすることについては「暗黙の同意」があったと思われる
→ 中居さんは、X子に処女喪失時の身体的苦痛を「同意なく(または配慮なく)」強いらせてしまった可能性が高い(普津澤峻の推測) ※ 他に考えられる事情が見当たらない
高齢処女の初体験は痛いって本当?
一般的に年齢を重ねると腟内や処女膜の伸縮性が低下する傾向があるため、高齢処女の場合は、初体験で痛みを感じる可能性が高いといわれています。
「飲み会の直前になって彼女と中居さんを除く全員が、なんとドタキャン。結局、密室で二人きりにさせられ、意に沿わない性的行為を受けた。『A氏に仕組まれた』と感じた彼女は、翌日女性を含む三名のフジ幹部に”被害”を訴えているのです」(週刊文春、2025年1月2・9日新年特大号)
雨が降りしきる二〇二三年六月上旬のことだった。「あの日、X子は中居さんからA氏を含めた大人数で食事をしようと誘われていました。中居さんと仕事上で面識はありましたが、A氏から紹介され、それまでに何度か食事をしています。彼女にとって中居さんやA氏は仕事上の決定権を握る、いわば力関係が上の立場であり、断れるわけがない。彼女は『行くしかない』と指定された中居さんの自宅マンションに行ったのです」(週刊文春、2025年1月16日号)
直前になって中居から、「今日は大雨でみんな来られなくなってしまったけど、二人でもいい?」と彼女にメッセージが届く。「急に言われてもドタキャンなんてできない。仕方なくマンションへ行くと、中居さんはみずから配膳し、上機嫌だったといいます。そこで彼女は『仕組まれた』と、ようやく事態を察した。しかし、時既に遅し。密室で二人きりになった末、彼女は意に沿わない性的行為を受けてしまった」(週刊文春、2025年1月16日号)
X子さんは雨の降りしきるあの日の悪夢を鮮明に記憶している。事件の全容を知るX子さんの知人が証言する。「その日、彼女は中居さんから『みんなで鍋パーティをやろう』と誘われました。今まで三回ほど中居さんとAさんを交えて飲み会をやっていたので、彼女は『Aさんがセッティングしている会の”延長”だ』と認識し、中居さんの家を訪問。ところが二人きりになって意に沿わない性的行為を受けた。そして、行為後も中居さんから無下に扱われ、暴力的な言葉を吐かれたのです。その後、X子さんは当日の鍋の具材を見るだけで、フラッシュバックの症状が起こり、入院を余儀なくされた。彼女は皮膚科や消化器内科でも治療を受けていました」(週刊文春、2025年1月23日号)
X子を誘った人物について
1 誘ったのは中居さんだった
→ Aプロデューサーではなかった
2 X子は「A氏がセッティングしている会の延長」と思っていた
→ X子は、数日前に中居さんと連絡先を交換して個人的なお付き合いを開始し、「二人でも良い?」という『個人的なお誘い」を承諾して、自分の意思で中居さんのマンションに行ったにも関わらず、何故か「A氏がセッティングしている会の延長」だと思った
X子さんの知人が打ち明ける。「あの日、X子は中居さん、A氏を含めた大人数で食事をしようと誘われていました。多忙な日々に疲弊していた彼女は乗り気ではなかったのですが、『Aさんに言われたからには断れないよね』と、参加することにしたのです」(週刊文春、2025年1月2・9日新年特大号)
事態と向き合わず、まるで他人事のような対応に終始するフジに対し、諦念すら滲ませた彼女は、溜息混じりに言葉を吐き出した。「Aさんがセッティングしている会の”延長”だったことは間違いありません」(週刊文春、2025年1月16日号)
「最初の会食は、Aさんから誘われて行ったし、その後もそうです。(事件当日は)Aさんはその場にいなかったですけど、何が起きてるのか、わかっていたでしょう。でも、何一つ謝罪もない。フジが守ってくれなかったという苛立ちもあります」(週刊文春、2025年1月16日号)
【訂正】本記事(12月26日発売号掲載)では事件当日の会食について「X子さんはフジ編成幹部A氏に誘われた」としていましたが、その後の取材により「X子さんは中居に誘われた」「A氏がセッティングしている会の”延長”と認識していた」ということがわかりました。お詫びして訂正いたします。また、続報の#2記事(1月8日発売号掲載)以降はその後の取材成果を踏まえた内容を報じています。


Aプロデューサーの言動について
2021年冬の出来事
1 Aプロデューサーは、部下(編成局員)複数名、女子アナ3名、男性タレント1名、中居さんに声をかけて飲み会を開催した
2 飲み会の終盤、水谷アナは、参加メンバーの女子アナE子やA氏の部下複数名が帰宅していく様子を見ていたが、帰らなかった
→ 「帰らせて貰えなかった」という訴えは書かれていない
3 水谷アナは、Aプロデューサーが「ちょっと仕事で抜けます」と言って部屋を出ていく様子を見て、「Aプロデューサーは仕事を理由に帰宅する」と思ったが、それでも帰らなかった
→ 「帰らせて貰えなかった」という訴えは書かれていない
4 その後、水谷アナは、残っていた参加タレントに密着され、太ももを触られた為、トイレに避難したが、帰らず、部屋に戻った
→ 「帰らせて貰えなかった」という訴えは書かれていない
5 水谷アナは、寝室で全裸になって手招きをしている男性タレントを見て、半泣きで「私、こういうのできない。無理です。」と言って、リビングに戻ったが、その後も帰らず、散会になった深夜3時頃まで残ったメンバーと会話をした
→ 「帰らせて貰えなかった」という訴えは書かれていない
6 その後「ちょっと仕事で抜けます」と言って部屋を出たAプロデューサーは部屋に戻った
7 Aプロデューサーは、手を下さない(何もしていない)
8 Aプロデューサーは、水谷アナと男性タレントが微妙な関係になった後、二人を同じ番組に出演させることを控えるようになった
水谷アナ(仮名)とX子の感想
1 水谷アナとX子は、タレントが接待される側で、女子アナが接待する側だと思った
2 水谷アナは、「Aプロデューサーは、タレントと女子アナをマッチングさせる為に、飲み会を開催した」と思った
3 水谷アナは、「何もしていないこと」を「卑劣な手口」と評価している
4 X子は、飲み会に参加した男性タレントの「女なんてヤッておけばいいんだから」という発言を聞いて、「Aプロデューサーに上納された」と思った
その後、スイートルームはA氏の行動により妖しい雰囲気に包まれていく。「あの瞬間、最初から二対二にマッチングするように仕組まれていたことに気付いたのです。本当に恐怖しかなかった」(水谷アナ)飲み会の終盤、A氏らに手配されたE子さんも仕事を理由に帰宅。その後、A氏の部下をはじめ男性陣も一人、また一人と部屋から出ていく。そして、最後に残ったA氏が「ちょっと仕事で抜けます」と部屋を去っていった。(週刊文春、2025年1月23日号)
部屋に残されたのは、タレントと水谷アナ、中居とD子さんの二組だった。「向かいのソファを見ると、中居さんは完全にD子をロックオンし、口説いていた。唖然としていると、隣にいるタレントが密着してきて太腿を触ってきた。私は『これを断ると、A班の仕事ができなくなるんじゃないか』とパニック状態になりました」(水谷アナ)水谷アナはトイレに一旦非難。しばらくして部屋に戻ると、寝室に移動したタレントが全裸になって手招きしていた。「私、こういうのできない。無理です!」水谷アナは半泣きで拒否し、寝室を後にする。「そのうちタレントが服を着てリビングに戻ってきて、また四人で会話をすることになった。すると『仕事で抜けます!』と言っていたAさんたちが、なぜか部屋に戻ってきたのです」(水谷アナ)散会に至ったのは深夜三時頃。(週刊文春、2025年1月23日号)
「女性アナをいかがわしい接待の道具として使い、二人きりにして『あとはご自由に』。状況を作るだけで自分は手を下さないという本当に卑劣な手口です。性的行為を断るとき、無言の圧力を感じました。『この人たちとは一生仕事できないんだ』という諦めの気持ちでした。実際、あの事件以降、Aさんから彼ら二人に関わる仕事に呼ばれたことはありません」(週刊文春、2025年1月23日号)
「Aさんたちが(タレントを)接待するために女性メンバーを集めた会でした。その日、私は翌日仕事があるからと退散。一人は『明日ロケがあるから』と早めに帰った。もう一人は遅くまで残されていましたが、その後、何が行われたのか…それはわかりません」(週刊文春、2025年1月23日号)
参加タレントは、こうした飲み会に参加した女性たちにこう嘯いたという。「女なんてヤッておけばいいんだから!」それを聞いたX子さんは「Aさんに上納された」という認識を強く持った。(週刊文春、2025年1月23日号)
他の参加者の感想

調査に対しアナウンサーは「フジテレビ編成幹部から直接、誘われて参加した」と話していますが、「自分や他の女性に対する性的言動は見聞きしていない」などと説明しています。
また、2023年5月に中居さんのマンションで行われた、芸能関係者やフジテレビ編成幹部らが参加するバーベキューに、TBSテレビの男性社員2名が中居さんに誘われ、参加していたことがわかりました。社員らはバーベキューの終了とともに帰っていて、「参加者から不適切な言動はなかった」と説明しています。
これ以外にアナウンサーを含む社員が、中居さんとの懇親会への参加やゴルフなどの交流をしていたことが確認されましたが、不適切な目的で開催されたり、不適切な言動があったことは確認していないとしています。
中居正広氏と女性とのトラブル TBSテレビが「芸能関係者と当社社員の関係調査」について公表
X子が求めていたもの
フジテレビの対応
1 佐々木恭子アナは、X子に「大変だったね。しばらく休もうね」「Aさんには、このことを相談してないからね」「仕事をしなくてもいい。お台場にも来なくていい。でも、お金は払い続ける。完全に治るまで仕事は休んでいいんだよ」と伝えた
→ 佐々木恭子アナは、被害感情を抱いている者に対して、社会一般的に求められる配慮を払っている
2 X子は、上記佐々木恭子アナの発言に対して「守ってもらったという感じではない」「なぜ言わないんだよ。言えよ」「口止めではないか」と思った
→ 佐々木恭子アナの言葉は「X子が求めているもの」ではなかった
3 Aプロデューサーは、中居さんから預かった見舞い品を持って、「X子の見舞い」に行った
→ Aプロデューサーにトラブルの責任は一切ないが、Aプロデューサー本人は紹介した責任を感じていたと思われる
4 フジテレビは、X子の「大事にしたくない」「公にしたくない」「誰にも知られたくない」という気持ちに配慮して、トラブルに関する情報を共有する社員役員を絞り、X子の治療と不安解消を最優先に考え、トラブルに関する聞き取りや憶測を呼び兼ねない番組の急な打ち切り等を控え、賃金を保障する旨伝えた
→ 番組の急な打ち切りは、X子を刺激する(報復感情を煽ってしまう)危険性もある(強い報復感情を抱いているX子の主張を鵜呑みにして番組を打ち切った場合、X子は味を占め、フジテレビに対し、中居さんに対する制裁措置を次から次へと求める危険性がある)
X子さん自身が述懐する。「すぐに佐々木さんには事件のことを相談しました。それを聞いた彼女は『大変だったね。しばらく休もうね』と言うだけ…。守ってもらったという感じではありませんでした」幹部三人は事態の重大性を理解していないのか、現在に至るまで中居への聞き取り調査に乗り出すことはなかった。実際、中居は小誌の取材に対し、「フジテレビから事実関係の聴取を受けたことはございません」と回答している。(週刊文春、2025年1月16日号)
ある日、佐々木アナはX子さんに対し、こう告げたという。「Aさんには、このことを相談してないからね」X子さんは取材に対し、強い憤りを口にする。「それを聞いて『なぜ言わないんだよ。言えよ』って思いました」(週刊文春、2025年1月16日号)
ある日、病院の窓口に中居の意向を受けたA氏が姿を現した。X子さんが入院中の出来事を振り返る。「Aさんが『これ、中居さんからです』と見舞い品を持ってきたんです。直接受け取ることができない病院で。病院側が預かったので中身は見ていません。封を切ったら受け取ったことになってしまうので拒絶しました。それで、またAさんが取りに来ていたらしい」(週刊文春、2025年1月16日号)
昨年八月、X子さんは事件直後から報告していた佐々木恭子アナ、アナウンス室長の二人と向き合っていた。X子さんが今後の仕事を辞退する意思を告げると、佐々木アナが顔を歪ませ、こう告げた。「仕事をしなくてもいい。お台場にも来なくていい。でも、お金は払い続ける。完全に治るまで仕事は休んでいいんだよ」だが、X子さんはフジのこうした対応に「口止めではないか」と絶望していた。(週刊文春、2025年1月30日号)
その女性が非常に、当たり前なんですけども、大事にしたくない、言葉はわかりませんけども、公にならない方がいいし、そういった中で、誰にも知られたくないということだと思うんですけども、そういう中で、私まで上がってきたということなんです(2025年1月22日、関西テレビ記者会見)
私の中では、とにかく彼女がわからないように、公にならないようにということを常に最優先に考えていましたので、中居氏を守ろうとか、そういう意識はなかったです(2025年1月22日、関西テレビ記者会見)
それよりも『彼女を守る最善の手は何なんだ』ということを考えていました(2025年1月22日、関西テレビ記者会見)
X子がフジテレビに求めていたもの
1 X子は、「フジテレビが関与していないトラブル」を「フジテレビの問題」として捉えることを求めていた(味方になって欲しかった)
2 X子は、「フジテレビの中居さんの番組を全て打ち切ること」「フジテレビが中居さんを出禁にすること」「フジテレビが自分(X子)の主張を手放しで受け入れること」を求めていた(フジテレビの力を使って報復感情ないし怨恨の感情を充足したかった)
前出の知人が明かす。「X子にとって出演者との会食は仕事を円滑に進める上での業務の一環。当然、フジが守ってくれると思っていました。ところが、フジからは『業務外のことだから』と取り合ってもらえなかった。それどころか、C氏は周囲に『付き合っていたんじゃないの』と軽口を叩いたそうです。」(週刊文春、2025年1月16日号)
さらにX子さんを驚愕させる事実が今回会見で明かされた。港社長が、中居にまつわる女性トラブルを事件直後に認識していたことだ。「それを知っていながら、なぜフジは”加害者”(編集部注・中居のこと)を出禁にせず、そのまま複数の番組を続けさせたのか。その現実に直面して、私は『トラブルが世間に公にならなければ、”加害者”はこのままずっとテレビに出続けるのか』と思い、深く絶望しました」(X子さん)(週刊文春、2025年1月30日号)
会見翌日、芸能関係者のX子さんは、友人に思いの丈を明かしている。「フジとの話し合いでは『”加害者”(中居のこと)が平気な顔で番組を続けて出入りするフジの社屋に私は入れない。もし偶然会ったりしたらと思うと怖い』と、はっきり伝えています。皆さん、何も答えてくださいませんでしたが…」そして呆れたようにこう続けたという。「私の話を一切聞くことなく、”加害者”の主張を鵜呑みにしてきたのに、今になって彼のレギュラー番組を継続したのは被害者のプライバシーや心を守るためと説明されても、到底、納得できない。そもそも会見で、フジの役員が口を滑らせて個人を特定させる発言をしたり、被害内容をほのめかしたりするなど、私の人権は全然守られていません」(週刊文春、2025年2月6日号)
X子が中居さんに求めていたもの
1 X子はスマホスタンドの受け取りを拒絶した
→ 中居さんのファンクラブ加入時に貰えるスマホスタンドの可能性がある。何の理由もなく、スマホスタンドを見舞い品の中に同封することは考えられないので、トラブルがあった日、もしくは、それよりも前に、中居さんとX子の間で、スマホスタンドが話題になっていると考えるのが自然。X子が好意的な感想を述べてねだり中居さんが贈る約束をしたか、見舞い品を準備する際に好意的な感想を述べたX子を思い出すなどして同封したのではないだろうか?
2 X子は二十万円前後のお金の受け取りを拒絶した
→ 情緒が不安定になっていたX子が「中居さんは二十万円前後のお金を支払って事態を収めようとしている」と考えるのも無理はないが、中居さんがそのように考えていたとする根拠はない
3 X子は1泊4万円の入院費が退院時にどれだけ膨れ上がるのかを考えて不安になっていた(X子が渡邊渚さんの場合)
→ 渡邊渚さんのフォトエッセイ「透明を満たす」によれば、当時の渡邊渚さんの手取り額は1か月28万円前後(額面月収は約36万円)
4 X子は中居さんに九千万円の示談金を提案した
→ 週刊ポストの記事によれば、X子は「九千万円も貰っていない」と主張している。

X子さんの友人が打ち明ける。「Aさんが『これ、中居さんからです』と見舞い品を持ってきたのですが、一緒に茶封筒と携帯電話を立てるスタンドが入っていた。医師が確認したところ、二十万円前後のお金が入っていたそう。彼女はそれを受け取ることなく拒絶した。当初、中居さんはそのお金で事態を収めようとしていたのです」(週刊文春、2025年1月30日号)
お金の問題も考えなくてはならなかった。まだ26歳で健康だからと保険に入っていなかったため、入院費が怖くなった。個室なら1泊4万円はする。それが何日…と計算していくと、1週間で1か月分の給料は飛んでいくから頭を悩ませた。(渡邊渚「透明を満たす」P67)
「当時の彼女は『警視庁に被害届を出せば、自身の名前が公になってしまうのではないか』と懸念し、被害届の提出を諦めたのです。その後、示談交渉が進められ、中居さんがX子に九千万円の解決金を支払うことで合意。一連の出来事を双方口外しないと守秘義務を約束し、それを破った場合には賠償責任を負う前提で示談を交わしました」(前出・X子さんの友人)(週刊文春、2025年1月2・9日新年特大号)
そして、双方の代理人を通じて示談が成立し、解決していることも事実です。解決に至っては、相手さまのご提案に対して真摯に向き合い、対応してきたつもりです。(2025年1月9日、のんびりなかい 中居正広)
時系列(渡辺渚さんがX子の場合)
2023年6月上旬 トラブル発生、翌日上司に報告、数日後心療内科を受診、その後食事ができなくなる
2023年7月12日 栄養失調と診断され、消化器内科に入院(以後、休職)
2023年7月26日頃 病室で自殺未遂
2023年7月末~8月頭 精神科に転院(PTSDと診断される)
→ 6月の時点でPTSDの診断されていたと説明している記事もある(PTSDは心的外傷の発生後1カ月以上経過しないと診断できない)
2023年9月半ば 退院、以後自宅療養、週一で精神科と皮膚科に通院、悪夢、夢遊病、幻聴、健忘などの症状が現れる
2024年4月 PTSD治療の為「持続エクスポージャー療法」を開始(この前後にフジテレビに退職の意向を伝える)
2024年8月5日 パリ五輪観戦
2024年8月31日 退職
時系列出典
渡邊渚「透明を満たす」
フジ・渡邊渚アナが退社を発表。関係者は「SNSへの誹謗中傷コメントに彼女自身が今どんな思いか心配」も「フリーとしての需要は高い」とも。今後の進路は…(集英社オンライン)
精神科医に聞く、渡邊渚さんがなった「PTSD」診断されるまでの「4つの条件」(現代ビジネス)
PTSDの診断時期に関する発言
「6月にPTSDの診断を受けた」と説明
まずは、退職を決断した理由を率直に語った。
「昨年の秋ごろから、『アナウンサーを続けることが無理だろうな』とは思っていました。担当番組を外されて、帰る場所もないこともありましたが、会社にトラウマがあったので、『もう1回あの場に行かなきゃいけないのはしんどい』『社屋に入れるのだろうか』と真剣に思っていました」
体調の異変を感じだのは、昨年6月。その時点で「PTSD」と診断されていたという。
「正直に言うと、会社も関係するトラブルがありました。診断結果も出たのですが、『やっぱり、働きたい』『頑張れる』と思っていました。この仕事が好きでしたし、夏に向けていろんなことが決まっていたので。なので、番組中も普通に振る舞っていたのですが、カメラマンさんは気づかれていて、オンエア後に『何かフラフラしているよ』『顔色も悪いよ』と言われました」
ENCOUNT 2024.11.16 PTSDを患った渡邊渚さん「特定の食べ物を見るとトラウマを思い出し」 語ったフジ退社までの経緯
「7月末または8月末にPTSDの診断を受けた」と読み取れる記述
2023年6月、渡邊さんは仕事の延長上で「心が殺された」体験をしました。その日は出来事を受け止めきれず、高校時代の親友になんとか伝え、4日後に心療内科を受診したそうです。その後食事ができなくなり、約1ヵ月後の7月12日、栄養失調と診断されて消化器内科に2週間入院することになりました。しかし2週間後にも体調がよくならず、自殺未遂をします。その数日後に精神科に転院、PTSDと診断されました。
現代ビジネス 2025.2.7 精神科医に聞く、渡邊渚さんがなった「PTSD」診断されるまでの「4つの条件」
→ 渡邊渚フォトエッセイ「透明を満たす」にも同様の経緯が書かれている
自殺未遂ではなく自傷行為
自殺未遂と自傷行為の定義
「自殺(または自殺未遂)」は「致死的な目的から、致死性の予測をもって、現実に致死性の高い損傷を自ら身体に加える行為」を指し
「自傷行為」は「自殺以外の目的から、非致死性の予測をもって、故意に軽度の損傷を直接的に身体表面に加える行為」を指す。
※ 「自殺以外の目的」とは、周囲に対する何らかの意思伝達の意図、解離症状を軽減する意図、怒りや緊張などの不快感情に対処する意図等がある。
1 皮膚がボロボロになる程度の損傷を加え、出血した
→ 「皮膚がボロボロになる程度の損傷を加える行為」は、「致死性の高い行為」とは言えないので、自殺未遂ではなく、自傷行為。
2 快感を感じ、美しいと感じた
→ 自殺を企図する者は、通常、心理的視野狭窄に陥っており、出血を見て「美しい」と感じる余裕はない。よって、自殺未遂ではなく、自傷行為。
3 その後、ボロボロになった皮膚に爪を立て何度も引っ掻いた
→ 「ボロボロになった皮膚を何度も引っ掻いて更に損傷を加える行為」は、致死性の高い行為とは言えないので、自殺未遂ではなく、自傷行為。
4 途中から痛いという感覚がなくなった
→ 出血すると「エンドルフィン」という「鎮痛作用がある脳内物質」が出るため、痛みを感じなくなる。
5 色々な手段を試したが、残された道具はボールペンだけだった(ボールペンよりも損傷を加えられる道具はなかった、または、ボールペン以外の道具を使用することをやめた)
→ 渡邊渚さんが身体に加えた損傷は、皮膚(身体表面)に留まっているので、自殺未遂ではなく、自傷行為。また、「目視できる身体箇所に軽度の損傷を加えたこと」に文字数を割き、首吊りや飛び降り等の「致死性の高い行為」を一切書かないということは考えにくいので、「自殺未遂はなかった」と考えるのが自然。更に、フォトエッセイには肌を露出させた写真が何十枚と掲載されているが、どれを見ても、傷跡一つ確認できない。
身体からあふれ出る真っ赤な血を見て、真っ暗闇の中に毒々しい色彩が浮かんだことに少し快感を得た。その光景に美しさすら感じた。しかし直後、簡単には逝けない苛立ちが心身の奥底から湧いてきて、今度はボロボロの皮膚に爪を立て、引っ掻きまくった。痛いという感覚はもはやない。とにかく自分を傷つけたい、どうにかして自分を殺したかった。こんな自分はいらないから、一刻も早く鼓動を止めて、すべてを終わりにしたかった。そのあともいろいろな手段を試したが、身体がうまく動かせない私はトドメを刺せないでいた。残された道具はボールペンだけで、それを握りしめながら号泣しているところを看護師さんに発見された。死ねなかった。(渡邊渚「透明を満たす」P76・77)
まとめ
1 X子と中居さんのトラブルにAプロデューサーは関与していない
2 X子は中居さんから個人的なお誘いを受け、承諾し、自分の意思で中居さんの家に行っているので、「Aプロデューサーの会の延長」という評価も「仕組まれたと思った」という感想も失当(「性上納があった」とは到底評価出来ない)
3 X子と中居さんのトラブルは、不同意性交によって生じたものではなく、性交の内容に関する「認識の不一致」によって生じたものだが、暴力は一切なかった(「性加害があった」とまでは評価出来ないが、傷つけた責任は当然にある)
4 X子は、母との関係によって生じた「生き辛さ」を解消できず、メニエール病を患い、既に社会適応が悪くなっていたが、中居さんとのトラブルによって、更に社会適応が悪くなった(食事が採れず栄養失調になり、入院や番組降板を余儀なくされ、自暴自棄になり自傷行為をするに至った)
5 フジテレビは、X子の「大事にしたくない」「誰にも知られたくない」「公にしたくない」という気持ちを尊重し、情報共有する社員を絞るなどの「情報漏洩対策」と「X子の生活に関する不安を解消すること」を最優先に考えた
6 X子と中居さんのトラブル(私法上の紛争)は示談により解決している(中居さんは責任を果たしている)
7 週刊文春は、X子を煽り唆し、中居さんとの守秘義務を破らせ、中居さんとフジテレビに多大な損害を与えた
結論
1 情緒が不安定なX子を煽り唆して、中居さんとの守秘義務を破らせた上に、碌に検証もせず、虚偽情報やつじつまの合わない証言を記載した印象操作表現だらけの記事を販売及び掲載し続けて、中居さんとフジテレビに多大な損害を与えた「週刊文春」と「文春オンライン」の経営陣は、直ちに完全公開の記者会見を開いて、国民に説明と謝罪をしなければならない
2 多額の示談金を受け取ったにも関わらず、守秘義務を破り、中居さんを引退させ、フジテレビに莫大な損害を与えたX子は、フォトエッセイの売上をどうするかについて、誠実に考えるべき(渡辺渚さんがX子の場合)
3 文春の記事を根拠に、解決済みの事案を問題視して、中居さんとフジテレビに圧力や不利益を与えた企業、マスコミ、記者は、愚かな対応を取った者達として広く認知されるべき
4 フジテレビは、週刊文春を訴え、週刊文春に信用を貶められた港元社長、佐々木恭子アナ、Aプロデューサーの名誉回復に努めると共に、X子と中居さんのテレビ復帰を実現する為に尽力するべき
5 中居さんは、週刊文春と文春オンラインが記者会見を開いて説明と謝罪をした後、テレビカメラの前でファンに説明をして、芸能活動を再開するべき
自身の主張は穴だらけ
しかし話したのは自分では無いことになっている
だから勝手に漏らした誰かが悪い
私悪くない
今の彼女の自認は恐らくこんな具合だろう
意に沿わないことをされたことを病むほど後悔していると言っているのに、今の状況に何も言わないということは、第三者が意に沿った対応をしてくれているという認識なのだろう
そして数年経った頃に「あの時の騒動は私の意に反した出来事で◯にたくなった」と言うのだろう
こういう人間とは関わらないのが正解だ
>X子にとって出演者との会食は仕事を円滑に進める上での業務の一環。当然、フジが守ってくれると思っていました。ところが、フジからは『業務外のことだから』と取り合ってもらえなかった。
一般的に個人間のやり取りで二人きりで食事をすることを会食とは言わないですね
そして「X子にとって〜業務の一環」の一文で勝手に思い込んでそうしていたということがみてとれます
そんな決まりは無いのにそうした方が自己の利益に繋がると考えて行動していた。ということです
その責任は当然自分自身にあり会社に問うものではありません
https://encount.press/archives/705713/
時系列では2023年7月末または8月にPTSDと診断となっていますが上記リンク先では「体調の異変を感じだのは、昨年6月。その時点で「PTSD」と診断されていたという。」と書かれています
診断は出ていたけど働きたい→やっぱり無理で7月に入院と御本人が答えていらっしゃいます
匿名様
いじめ撲滅ドットコムの普津澤峻です。ご教示下さりありがとうございます。記事に反映させて頂きます。
渡邊さんは発達性トラウマ障害が起因の複雑性PTSDではないでしょうか
食べられなくなって消化器内科に入院→自傷行為→精神科に入院という流れがあり診断されているので、通常精神科にかかって生育歴などを本人やその親から聞くという段階を踏まずに、直近の出来事が摂食障害の原因、再体験・回避・過剰覚醒の症状もある→心的外傷後ストレス障害の診断となったのではないかということです
渡邊さん自身が複雑性PTSDではない、両親から虐待を受けていたという事実もありません。と発言している記事がネット上にありますが、エッセイを読む限り母親から虐待と評価されるような言葉を言われ続けていますし、空虚感や非力感、無価値感、安定した人間関係を築くことの困難、感情の制御困難等の複雑性PTSDの診断基準を満たしています
中居さんとのトラブルはトリガーだったのだと思いますが、本質の部分と向き合わずPTSD克服しました!と言って喜んでいる場合では無いと思うのです
今のブームが終われば需要はなくなり、また母親から否定的な言葉を浴びせられ元の木阿弥です