小学5年生
孤独な少女
再調査報告書P19
年度が替わって廣瀬爽彩は5年生となり、6月22日に教育相談が行われた。
仲の良い友だちの有無について聞かれると、廣瀬爽彩は「クラスにはいません」「他の人と考え方が違うので」などと回答した。
小学6年生
失踪する少女
再調査報告書P21-22
5月13日、廣瀬爽彩が、学校から1 回でも宿題の提出を忘れたら、そのことは中学校側に提出する資料に書かないとならないといった話をされていたのに、塾で帰宅が遅くなったのでその日は宿題ができないと思い、パニックになり、自宅の二階の窓から出て、二階レベルにある通路に降りた後、そのまま外に行くというこった。
当日は雨であったためびしょ濡れになった状態で、廣瀬爽彩が自ら他人の家の呼び鈴を押して「私迷子なんです」と告げたため、当該家の人が警察に連絡し、臨場した警察官に廣瀬爽彩が保護された。この際、児相にも連絡がされ、児相による一時保護の可能性についての言及があったようである。
2019年3月23日

中学1年生
6月20日
塾に行きたくないと訴えて失踪する少女
再調査報告書P52-54
この日の経過について、学校で行われた事情聴取では、以下のとおりであった。
16時ころからR公園に廣瀬爽彩、生徒I、生徒J、男子生徒1 名、女子生徒1 名がおり、生徒I及び生徒Jは16時40分ころ別の場所へ一旦移動し、女子生徒は16時50分ころ帰宅した。
18時半ころに生徒IがR公園に再度行くと、廣瀬爽彩と男子生徒がいた。
廣瀬爽彩は塾に行く時間であったが、行きたくないと言っていたので、生徒Iが母親に連絡するように言うと、廣瀬爽彩は母親に電話をかけ、「塾には行きたくない」「S公園にいる」と述べ、その後口論になり、怒って泣き、携帯を投げつけた。
廣瀬爽彩はパニック状態になり、生徒Iが生徒Kと生徒Lに連絡してなだめることへの協力を求めると、二人も駆け付けた。
廣瀬爽彩が荷物を置いて自転車でショッピングモール方面に行ったあと、生徒Iと生徒Lが追い掛けたが追いつけず、生徒Iの帰りが遅いことから生徒Iの母親が生徒Iに連絡したところ同人の説明により状況を把握し、生徒Iの母親と生徒Lの母親も周囲(生徒Iの母親はB小あたり、生徒Lの母親は車で付近の公園のあたりを数か所)を探したが、廣瀬爽彩は見つからなかった。
6月22日
母を拒絶する少女
再調査報告書P57-59
E中では、廣瀬爽彩からの話を受け、以下のやり取りを行った。
教諭「もしもしE中学校です」
廣瀬爽彩「1 一〇組の廣瀬さあやです。・・・」
教諭「お!さあや!どうしたの?」
廣瀬爽彩「・・・」
教諭「ん・・?〇〇先生(委員会注;担任)かい?(用かい?)」
廣瀬爽彩「死にたい・・・」
教諭「え、どうしたの?今どこにいるの?」
廣瀬爽彩「川です・・・死にたいです・・もう生きたくない!!死にたい死にたい死にたい!!!」
教諭「さあや?さあやっ!!??」
廣瀬爽彩は泣きじゃくっている状態であり、この時点で別の教諭に電話を替わった。廣瀬爽彩は「死にたい」と繰り返し叫び、パニック状態だったため、「爽彩」と名前をゆっくり繰り返し呼びかけると少し落ち着いた。
教諭が「どこにいるの?そっちにいってもいい?」と言うと、廣瀬爽彩は「河にいる」「学校行きたくない」と繰り返し、再びパニックになったが、教諭が「大丈夫だから落ち着こう」と何度か声をかけるとまた少し落ち着いた。
その後、以下のやり取りを行った。
教諭「寒くない?」「どこの河にいる?」
廣瀬爽彩「R公園」
教諭「どこのR公園かな?」
廣瀬爽彩「B 小学校の裏」
教諭「そうか、わかったよ。」
ここで初めに電話を受けた教諭ともう1 名の教諭が現場に行くため学校を出た。
廣瀬爽彩は「いやだ」「私がいなければよかった」「もういやだ」など同じことを繰り返し叫び、再びパニック状態となった。
少し経って生徒Kが電話口に出て、廣瀬爽彩の様子を語り、「自分が話を聞いているからまだ大丈夫だ」と述べた。
教諭はその場から離れないでほしいと生徒Kに伝え、電話を切り、女性教諭も現場にいた方がいいとの意見があったため、現場に向かった。
別途、初めに電話を受けた教諭から母親に電話したところ、廣瀬爽彩は昼食にも戻って来ておらず、遊びに
行っていると思っていた、との話があり、教諭から、B小近くの川に向かうよう伝えた。
2名の教論がR公園に到着した際、直ちに川べりに飛び降りることはできず、はしごか階段のあるところに回り込んで降りることを模索したものの、すぐ側にはなかったため、やむなく1 名の教諭が護岸壁から飛び降り、川べりに向かった。
この教諭が川べりに到着した際、廣瀬爽彩は川に足をつけている状態であり、教諭が「さあや!」と声を
掛けると、「先生、死にたい」と述べた。
教諭が「さあや、とりあえず川から上がろう!」と声を掛け、手を引っ張ったものの、廣瀬爽彩は「死にたい死にたい、生きたくない生きたくない」と述べ、抵抗した。
護岸壁に設けられた階段から川べりに降りたもう1 名の教諭も合流し、2各がかりで引っ張って川から廣瀬爽彩を引き揚げ、この教諭が抱きかかえるかたちで川から6、7m離れたところに廣瀬爽彩を連れて行った。
このとき、川べりに生えていた草(廣瀬爽彩の背丈より高さがあった)を廣瀬爽彩自身がかき分けて進むことは難しく、教員らが先に草を踏み倒して道を作り、先導して歩いていた。
教員らと廣瀬爽彩は、護岸壁に設置された階段を上って土手へ上がり、公園に戻った。
その後も廣瀬爽彩は「死にたい死にたい」と泣きながら、落ち着かない様子であった。
後から向かった女性教諭も到着し、廣瀬爽彩の冷えた体をこの女性教諭の車の中で温めた。
再調査報告書P59-60
6月22日、警察は午後4時50分ころ近隣住民女性の110番通報を受理し、午後5時4分頃、警察官が現場に臨場した。
その際、警察官は、廣瀬爽彩が友人と口論の末、パニックのような症状となり、「死にたい」と言いながら川に飛び込もうとして、他の友人が押さえていたことや、母親から、「爽彩は自閉スペクトラム症という病気があり、2日前も死にたいと言って家出をして警察に保護された」との申し出を確認したとされている(母親の記憶としても当日現場で警察官にこのような話をしたとのことで齟齬はない)。
警察官臨場時、廣瀬爽彩に外傷はなく、雨天で長時間河川敷にいたため着衣は濡れた状態であり、「家に帰りたくない」と述べていた。
初めに電話を受けた教諭から担任へも連絡し、担任、他2名の教諭が話し合い、現場の女性教諭へ学校に一度来た方がよいと伝え、女性教諭の車中で警察と廣瀬爽彩が話をしていたのでそれが終わってから学校に行くこととした。
初めに向かった2名の教諭も学校に戻った。
母親は一旦着替えを取りに戻った後、学校に行った。
教室で、廣瀬爽彩の体を温めながら、教諭ら及び警察が話を聞くと、9時にはR公園におり、最初は一人だったこと、その後生徒KやB小の児童5、6名、生徒Mなどが来たこと、パニックになった原因ははっきりと覚えていないこと、母親には会いたくないことなどが語られた。
母親到着後、廣瀬爽彩は保健室で着替えをし、その後は絵を描いたり、教諭が備蓄していたカップラーメンを食べるなどした。母親の知人も到着し、教諭ら及び警察が校長室にて話を聞いた。
母親からは、離婚の経緯や、昼も夜も働かなければならず、廣瀬爽彩にかける時間が少なくなってしまって
いたなどの話があったとされる。
別途、教諭が廣瀬爽彩に個別に話を聞いていたが、あまり家のことは話したくない様子で、母親らには会いたくないとの発言があったとされ、結局、家には帰らず、パトカーに女性警察官も同乗して病院に行くこととなった。
6月26日前後
憤る母
再調査報告書P66
6月26日午前、母親は市教委に架電し、
娘は入院中で辛い思いをしているのにかかわった生徒が自由に過ごしているのは許せないと思う
娘が退院後に現在通っている学校に戻ることができるだろうかと心配しており転校も含めてどのよう
な方法があるか知りたい
と相談した。

7月11日、7月12日
大事にしたい母、大事にしたくない少女
再調査報告書P70-71
7月11日、廣瀬爽彩に対し、病院内で、警察官による事情聴取が行われた。
警察の事情聴取については、Y病院入院中にも警察から打診があったが、Y病院では事件から間もない時期に実施すべきではないと考え、これを断っていた。
その後、廣瀬爽彩はペットボトルを投げるなど荒れる状態となってしまい、強制的に鎮静がはかられることとなった。
7月12日、教頭が母親に架電し、警察の事情聴取について話を聞いたところ、画像についても、生徒Iとのわいせつ行為についても、廣瀬爽彩は「知らない」「忘れた」との一点張りでLINEのやり取りを紹介して聞いても「そんなことがあったかもしれませんが、忘れました」とのことであり、なぜ川に入水したのかと聞くと「自分の黒歴史を言いふらすぞ」と言われたので嫌になってやったとのことだったが、それでは黒歴史ってどういうこと?と聞くと「忘れました」との返答であり、また、「嫌なことはすぐ忘れるんです」との返答であった、一緒にいる先輩たちはどういう人なの?との質問には「仲良く遊んでいる人たちの一人です。いい人たちです。」と答えており、警察官の話では、かばっているのか本当に忘れているのかよくわからないとのことだった、との話がされた。
市教委主幹からも警察に連絡し、廣瀬爽彩が「知りません」「忘れました」と答えたことが事実であることを確認した。
7月16日、17日
先輩に会いたいと訴える少女、転校させたい母
再調査報告書P71
7月16日、教頭を含む3名の教諭がZ病院に赴き廣瀬爽彩と面会した(冒頭10分ほどは廣瀬爽彩と教諭の
み、その後母親も同席)。先輩に会いたい、K先輩に会いたいとの発言があり、母親から、勝手に連れてくることはできないからね、と諭した。
7月17日、母親と市教委主幹及び課長補佐が教育相談を実施した。母親より、廣瀬爽彩はE中には戻りたくない、E中の先生方は大好きだと述べていることが語られ、同学年の生徒たちとそりが合わないというのが転校を希望している理由であると述べられた。
2019年12月25日(クリスマス)前後
情報に振り回される少女
関係生徒から「僕も〇〇(再調査報告書生徒K)に脅されていた。助けてあげられなくてごめんなさい。」という内容の手紙が届く。
広瀬爽彩の返信(手紙)「証言ありがとうございます。言ってることがバレたら大変なことになるのに…。本当にありがとう。〇〇先輩たちは脅されていたんですよね?私のせいでまきこんでしまって本当に申し訳ないです。でも〇〇先輩は裏で止めてくれてたって聞きました。そんなことがあっただなんて知らなかった。ずっとずっと頑張ってくれてありがとうございます。」
2020年1月11日~14日




2020年1月16日
争いたい母、母に押し切られた少女
再調査報告書P86-87
1月16日、3学期が始まったが、欠席が続いた。担任は1 週間に1 回は家庭訪問し、廣瀬爽彩と会えるときは話をしたが、母親とも協議の上、無理はさせず、焦らずゆっくりという方向で見守ることとした。
前述のとおり、1月29日、2月6日、2月21日に弁護士聴取が行われた。
この弁護士による聴取を行うことについては母親が廣瀬爽彩に提案したものであり、廣瀬爽彩は当初は嫌がっていたものの、やはり話すこととしたと述べ、上記の3回にわたり聴取を受けるに至った。
2020年1月18日~20日





2020年1月29日~2月21日
認識と説明を変えた少女
再調査報告書P32-33
上述の生徒たちについて、廣瀬爽彩は、2020年1月29日、2月6日、2月21日の3回にわたり行われた弁護士による聴取(以下「弁護士聴取」)において、自らの受け止めを以下のように述べていた。
生徒Kについては、ヒエラルキーのトップで、一番怖い、裏で手を回す感じ、自分から手を出すのではないが子分を使ってやらせる、逆らえないなどとの話がされた。
取り巻きを引き連れて動いている、物をおごらされた(後述)との話もあった。
また、廣瀬爽彩が塾に行っていないのかとの母親からの連絡を受けた際、側にいた生徒Kが「そういう電話まじうざいよね」などと言うなど、母親のことをけなされることがあり、そう言われると廣瀬爽彩としても乗るしかない(同調せざるを得ない)との話もあった。
弁護士は、廣瀬爽彩が怖いと思う生徒Kの具体的な発言などについても聴取を試みたが、それについてはあまり語りが得られなかった。
生徒Iについては、後に生徒Kと対立するようになり、生徒Kを中心とするグループにはかかわっていなかった、悪い人ではない、逆らおうと思えば逆らえるとの話がされた。
生徒Mについては、ネタでやらせようとする感が強く、雰囲気を作り、一人でお祭り騒ぎのように盛り上が
り、しつこいが、怖いというよりはその雰囲気に応じてやらないといけないんだと思わされるような感じ、
との話がされた。
生徒Lは生徒Kの腰巾着のような立ち位置で、ヒエラルキーでいうと小学生(後述のB小の児童ら)と同じ程度の層にあったと捉えており、
生徒Jについてはほぼ無関係と捉えていた。
生徒Nと生徒Oについては6月15日の件の際に初めて会ったよく分からない人、野次馬的に当日いた人、と受け止めていた。

再調査報告書P56
この点、廣瀬爽彩が弁護士聴取時に語った経過でも、生徒Mの言動がきっかけで廣瀬爽彩が生徒Mにキレたとの点は一致していたが、廣瀬爽彩の記憶としては、きっかけとなった生徒Mの言動は、笑ったような感じで、今までのこと言うぞ、と言ったというものであった。
「今までのこと」の中身についてはこれを聞く前に廣瀬爽彩がキレてしまったので、聞いていないとのことであった。
廣瀬爽彩は、自らの障害のことや、自分は本当に一人だといったようなことを話し、「もう死にます」と述べた。
これに対し生徒Kが、真に死ぬつもりがないのに死ぬと口に出すなとの趣旨の発言(このときの具体的な発言内容については、「死ぬ気もねえのに死ぬとか言うんじゃねえよ」/ 「死にたくもないのに死ぬとか言うんじゃねえよ」/ 「本気で死にたくないなら死ぬとか言うなよ」と、トーンの異なる複数の話がある。)をすると、廣瀬爽彩が「うるせえ」と返し、そのまま川の方に行った。
廣瀬爽彩は上記の生徒Kの発言について、後の弁護士聴取時に、「最後のとどめに感じた」、「オーバーキル」と語った。
2020年2月9日~5月18日















2020年5月21日




2020年5月23日~7月1日
















ネットの友人及び交際相手の証言








2020年11月7日
その後
2021年2月13日
失踪

この記事へのコメントはありません。