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アニメ化は人権侵害なのか――『みいちゃんと山田さん』論争から考える「表現」「偏見」「責任」


はじめに

SNSでは『みいちゃんと山田さん』のアニメ化を巡り、

「障害者への偏見を助長する」

という批判と、

「現実を描いただけだ」

という反論がぶつかっている。

しかし、この議論では異なる論点が混ざってしまっている。

本稿では、それらを一つずつ整理していく。


目次

第一章 作品は何を描いているのか

第二章 描写と推奨は同じなのか

第三章 それでも社会的影響は存在する

第四章 作者はどこまで責任を負うのか

第五章 アニメ化で何が変わるのか

第六章 当事者や家族は何を恐れているのか

第七章 表現の自由は何を守るためにあるのか

第八章 本当に問われているもの


 

第一章 作品は何を描いているのか


『みいちゃんと山田さん』のアニメ化をめぐって、SNSでは様々な意見が飛び交っている。

「障害者への偏見を助長する。」

「アニメ化すべきではない。」

「現実を描いているだけだ。」

「表現の自由を侵害するな。」

どの意見にも一定の理由があり、感情的な対立になりやすい問題である。

しかし、議論を始める前に、まず確認しなければならないことがある。

それは「この作品は何を描いているのか」という点である。

作品の評価をするとき、人はしばしば「作品の中で何が起きているか」と「作品が何を伝えようとしているか」を混同してしまう。

例えば、作品の中に暴力が描かれていれば、「暴力を肯定している」と受け取られることがある。

差別が描かれていれば、「差別を助長している」と受け止められることもある。

しかし、本当にそうだろうか。

現実社会には、暴力も、詐欺も、虐待も、いじめも存在する。

それらを作品で描くこと自体が、直ちにそれらを肯定することにはならない。

むしろ、社会の暗部を描くことで、その問題を読者に考えさせる作品は数多く存在する。

重要なのは、「何が描かれているか」ではなく、「どのような文脈で描かれているか」である。

もし作品が犯罪や人権侵害を「格好いい」「儲かる」「やるべきだ」と賞賛しているのであれば、その作品は批判されても仕方がないだろう。

しかし、犯罪や搾取、差別によって人が傷つく現実を描き、「このような社会でよいのか」と問いかける作品であるならば、その評価は大きく変わる。

もちろん、その作品がどれほど優れた意図を持っていたとしても、社会に全く影響を与えないとは言えない。

しかし、その議論は次の段階の問題である。

まず区別しなければならないのは、

作品が何を描いているのか。

そして、

作品が何を伝えようとしているのか。

この二つは、似ているようで決して同じではない。

『みいちゃんと山田さん』をめぐる議論も、この二つを区別することから始めなければならない。


 

第二章 描写と推奨は同じなのか


作品が社会問題を描いたとき、人はしばしば一つの疑問を抱く。

「こんな表現をしていいのだろうか」

その疑問自体は決して不自然ではない。

しかし、ここで整理しなければならない論点がある。

それは、「描写と推奨は同じなのか」という問題である。

例えば、映画や漫画には、戦争や殺人、詐欺、虐待、いじめなど、現実社会に存在する様々な犯罪や人権侵害が描かれる。

その作品を見て、「この作品は殺人を勧めている」「この作品はいじめを推奨している」と評価されることは、通常は少ない。

なぜなら、多くの作品は、それらを魅力的なものとして描いているのではなく、人間や社会の現実を描くための題材として扱っているからである。

もちろん、例外もある。

犯罪を「格好いい」「儲かる」「憧れるべきもの」として一方的に美化し、現実の被害や責任をほとんど描かない作品であれば、社会的影響について議論されるのは当然だろう。

しかし、犯罪や差別、人権侵害そのものを描いているという理由だけで、「それを推奨している」と結論づけることはできない。

ここで重要なのは「作品が何を描いているかではなく、何を伝えようとしているか」という視点である。

これは文学や映画だけの話ではない。

新聞は毎日のように事件を報道している。

教科書には戦争や虐殺の歴史が載っている。

ニュースでは詐欺や暴力事件が繰り返し取り上げられる。

それらは犯罪や暴力を紹介しているが、犯罪や暴力を勧めているわけではない。

表現も同じである。

描かれている事実だけを見て評価するのではなく、その文脈や目的まで含めて考えなければ、本来の意味を見誤ることになる。

だからこそ、作品に対する議論では、「何が描かれているのか」だけではなく、「なぜそれが描かれているのか」という問いを忘れてはならない。


 

第三章 それでも社会的影響は存在する


ここまで、「描写」と「推奨」は同じではないという考え方を整理してきた。

しかし、この考え方だけでは、この論争は終わらない。

なぜなら、多くの人が懸念しているのは、作品の意図ではなく、作品が社会に与える影響だからである。

たとえ作者に差別や偏見を助長する意図がなかったとしても、作品が現実社会でどのように受け取られ、どのように利用されるかは、作者だけでは決めることができない。

ある作品の台詞が切り取られ、インターネット上で独り歩きすることもある。

登場人物の名前や特徴が、現実の誰かを揶揄する言葉として使われることもある。

作品とは関係のない文脈で引用され、本来とは異なる意味を持ち始めることも珍しくない。

こうした現象は、漫画やアニメに限らず、映画やドラマ、ニュース、さらには学術書に至るまで起こり得る。

つまり、「作品のメッセージと、社会での使われ方は必ずしも一致しない」ということである。

だからこそ、「作者にその意図はない」という説明だけでは、不安を抱く人たちの懸念は解消されない。

例えば、障害のある子どもを育てる家族が、「作品そのものではなく、この作品をきっかけに子どもがからかわれるのではないか」と心配するのであれば、その不安を「考えすぎだ」と切り捨てることはできない。

その不安は、作品だけを見て生まれたものではなく、これまで社会の中で経験してきた現実から生まれている可能性があるからである。

一方で、ここでも注意しなければならないことがある。

社会的影響が存在することと、作品に問題があることは同じではない。

偏見を持つ人が作品を利用したからといって、その責任が直ちに作品だけに帰属するとは限らない。

例えば、報道番組が詐欺の手口を伝えたからといって、その番組が詐欺を推奨しているとは言えないのと同じである。

だから、この問題は「作品が悪い」「読者が悪い」という単純な話ではない。

重要なのは、作品の内容と、社会の受け止め方を分けて考えること。

この二つを混同した瞬間、議論は感情論へと傾いてしまう。

『みいちゃんと山田さん』をめぐる論争も、この区別が十分に共有されないまま進んでいるように見える。


 

第四章 作者はどこまで責任を負うのか


ここまで見てきたように、作品の意図と社会的影響は必ずしも一致しない。

では、作品が現実社会で偏見や誤解に利用されたとき、その責任は誰が負うべきなのだろうか。

この問いに、簡単な答えはない。

一方には、「作者は作品の内容に責任を持てば十分であり、その後の受け止め方まで責任を負うことはできない。」という考え方がある。

確かに、作品は一度世に出れば、多くの人に読まれ、それぞれ異なる解釈をされる。

本来の意図とは違う意味で引用されることもあれば、一部だけが切り取られ、全く別の文脈で利用されることもある。

それらすべてを作者が予測し、責任を負うことは現実的ではない。

一方で、「社会に大きな影響を与える作品だからこそ、その影響まで考えて制作すべきだ。」という考え方にも一定の説得力がある。

漫画やアニメは、多くの人に届く表現である。

影響力が大きいからこそ、誤解や偏見を生まないよう配慮することも、創作に携わる者の責任ではないかという意見だ。

どちらの考え方にも、一理ある。

だからこそ、この問題は「作者が悪い」「批判する側が悪い」という対立では整理できない。

ここで忘れてはならないのは、「社会的影響は、作品だけによって決まるものではない」ということだ。

同じ作品でも、受け止め方は時代や文化、社会状況によって変わる。

ある時代には何も問題視されなかった表現が、別の時代には強い批判を受けることもある。

逆に、当初は激しく批判された作品が、後になって高く評価されることも珍しくない。

つまり、作品の影響とは、

作品・受け手・社会環境

この三つが重なって生まれるものである。

そう考えるなら、社会的影響の責任を作品だけに求めることも、逆に作品には全く責任がないと考えることも、現実を単純化し過ぎているのかもしれない。

社会的影響を考えることは重要である。

しかし、その責任をすべて作者に帰することもできない。

作品が社会に与える影響は、作品そのものだけでなく、それを受け止める私たちの価値観や社会環境によっても変化するからである。


 

第五章 アニメ化で何が変わるのか


もしこの作品が漫画のままであったなら、ここまで大きな議論にはならなかったかもしれない。

では、なぜアニメ化が発表された途端、これほど多くの意見が交わされるようになったのだろうか。

その理由の一つは、

「作品が届く範囲が大きく変わるから」

である。

漫画は、自ら興味を持って購入した人や、配信サービスで検索した人が読むことが多い。

つまり、ある程度「自分で選ぶ」メディアである。

一方、アニメは事情が異なる。

テレビや配信サービス、SNSで紹介されることにより、それまで作品を知らなかった人の目にも触れる。

話題になれば、普段漫画を読まない人や、子どもたちの目にも届く可能性がある。

この「影響力の拡大」こそが、多くの人がアニメ化に注目する理由なのだろう。

しかし、ここで一つ注意しなければならないことがある。

影響力が大きくなることと、その作品に問題があることは同じではない。

例えば、歴史を題材にした作品がアニメ化されれば、歴史への関心が高まることもあれば、誤解が広まることもある。

医療を題材にした作品が人気になれば、病気への理解が深まる人もいれば、誤った知識だけが独り歩きすることもある。

影響力が大きい作品ほど、良い影響もあれば、意図しない影響も生まれる。

これは、どの作品にも起こり得ることである。

だからこそ、アニメ化をめぐる議論では、

「影響力が大きいのだから規制すべきだ。」

という意見だけでなく、

「影響力が大きいからこそ、多くの人が作品の文脈まで含めて理解することが重要だ。」

という考え方も成り立つ。

作品が社会に届く範囲が広がることは事実である。

しかし、そのことだけを理由に作品の価値を判断することはできない。

作品が広く知られることそのものではなく、社会がその作品をどのように受け止めるのか。

その点まで含めて考えることで初めて、アニメ化が社会に与える影響を冷静に議論できるのではないだろうか。


 

第六章 当事者や家族は何を恐れているのか


ここまで、作品の意図や社会的影響について整理してきた。

しかし、この問題を考える上で忘れてはならない視点がある。

それは、「実際に障害のある人や、その家族が何を不安に感じているのか」ということである。

SNSでは、「作品そのものよりも、その作品がきっかけとなって偏見が広がることが怖い」という声が見られる。

この不安は、作品だけを見て生まれたものではないのだろう。

障害のある人やその家族の中には、学校や職場、地域社会で心ない言葉を掛けられたり、からかわれたりした経験を持つ人もいる。

そのような経験を重ねてきた人にとっては、「この作品をきっかけに、また同じことが繰り返されるのではないか」という心配を抱くことは、不自然なことではない。

一方で、その不安が存在することと、作品そのものに問題があることは同じではない。

作品が偏見を広げるのか、それとも偏見を利用する人が作品を悪用するのか。

そこは慎重に区別して考えなければならない。

もし誰かが作品を口実に他人を傷つけたとして、その責任はまず傷つけた本人にある。

作品は、その行為を正当化する理由にはならない。

もちろん、だからといって当事者や家族の不安を軽視してよいという意味でもない。

大切なのは、

「作品を守るか」「当事者を守るか」という二者択一にしないことである。

作品について語る自由も尊重されるべきであり、障害のある人やその家族が安心して暮らせる社会も同じように大切である。

この二つは、本来対立するものではない。

もし私たちが本当に向き合うべき相手があるとすれば、それは作品ではなく、作品を理由に誰かを傷つけたり、偏見を正当化したりする社会のあり方ではないだろうか。

『みいちゃんと山田さん』をめぐる論争も、作品そのものだけを見るのではなく、その背景にある社会の課題まで視野を広げることで、初めて建設的な議論になるように思われる。


 

第七章 表現の自由は何を守るためにあるのか


ここまで見てきたように、この問題には簡単な答えはない。

作品には社会的影響がある。

だからといって、その影響を理由に表現を制限すれば、今度は別の問題が生まれる。

そこで改めて考えたい。

表現の自由とは、何を守るためにあるのだろうか。

表現の自由は、人気作品や娯楽作品だけを守るためにある権利ではない。

むしろ、社会にとって不都合な現実や、人が目を背けたくなる問題を描く自由も含まれている。

戦争、差別、虐待、貧困、犯罪、自殺。

こうした重いテーマは、誰かを不快にさせる可能性がある。

しかし、それでも社会は、それらを語る自由を認めてきた。

なぜなら、現実から目を背けることは、問題を解決することとは違うからである。

一方で、表現の自由は、

「何を描いても批判されない権利」

ではない。

作品を見た人が疑問を持ち、批判し、議論することもまた、表現の自由の一部である。

つまり、この問題は、「表現の自由」と「批判の自由」の対立ではない。

どちらも同じ自由の中に存在している。

だからこそ重要なのは、互いの自由を認めながら議論することである。

作品を封じることを目的にするのでもなく、批判する人を黙らせることを目的にするのでもない。

「なぜそのように感じたのか。」

「何を懸念しているのか。」

「作品は何を伝えようとしているのか。」

その一つ一つを丁寧に整理していくことこそ、自由な社会における議論のあるべき姿ではないだろうか。

『みいちゃんと山田さん』をめぐる論争も、作品の是非だけを争うのではなく、表現と社会との関係を考える機会として受け止めることができるなら、その議論には大きな意味があるのかもしれない。


 

第八章 本当に問われているもの


『みいちゃんと山田さん』のアニメ化をめぐる論争は、多くの人に様々な問いを投げかけた。

作品は社会にどのような影響を与えるのか。

作者はどこまで責任を負うべきなのか。

当事者の不安をどのように受け止めるべきなのか。

そして、表現の自由とは何を守るためにあるのか。

これらはどれも重要な問いであり、簡単に正解を出せるものではない。

しかし、一つだけ言えることがある。

それは、

この問題を「作品が悪い」「批判する側が悪い」という対立だけで終わらせてはならない。

ということである。

もし作品が偏見を助長したのであれば、その背景には社会に偏見が存在していたという事実がある。

逆に、作品が社会問題を描いたことで、多くの人が現実について考えるきっかけを得ることもある。

作品は、社会そのものではない。

しかし、社会を映し出す鏡になることはある。

だからこそ、私たちが向き合うべきなのは、

作品を排除することでも、批判する人を排除することでもない。

なぜ、その作品が支持されたのか。

なぜ、不安を抱く人がいるのか。

なぜ、議論がここまで大きくなったのか。

その一つ一つを丁寧に考えることこそ、この論争から得られる最も大きな教訓ではないだろうか。

『みいちゃんと山田さん』のアニメ化は、単なる一作品の問題ではない。

それは、

現実を描くことと、その描写が社会に与える影響を、私たちはどのように受け止めるのか。

という、現代社会全体に向けられた問いでもある。

作品を守ることと、人の尊厳を守ること。

そのどちらか一方を選ぶのではなく、両方を大切にする方法を考え続けること。

それこそが、この論争を建設的なものへと変えていく道なのではないだろうか。

いじめ撲滅ドットコム 普津澤峻


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のむらパターソン和孝 旭川市議

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市の隠蔽を暴いた時の報道(テレ朝)

匿名さんのレビュー

元中学教員です。
書かれている内容から、どのような状況だったか、手に取るようにイメージできます。

「学校は何もしなかった」と安易にマスコミや世間は叩くけれど、じゃあ何ができたというのか。
自分たちが中学生の時、スマホやネットがなかった時代でさえ、「大人」が「中学生」を安易に理解できたか。「中学生」が「大人」に今日どこで何をしてどんなことがあったかを逐一報告したか。
自分たちの中学時代に置き換えて状況をもう少しでいいから想像して欲しい。
そこにスマホが加わることで、子供たちの世界はどれだけ大人から見えない物になってしまったか。
もう少し「中学生の今」を考えてみてほしい。

さらには、入学してきてたった数ヶ月の出来事。
生徒への理解、生徒同士の人間関係が少しずつ見えてきた矢先の事件であり、「いじめ」に相当する出来事のほとんどは学校外で起きていた。
教室内・学校内で起こっていたのであれば、学校・教師の責任を追及する声が上がっても仕方ない。
家庭に帰してからの出来事、さらには他校の生徒が絡んだ案件を、保護者すら把握できないのに、担任が、教員がどこまで即座に把握し、指導できるというのか。糾弾している人々にそのすべを教えてもらいたい。

もちろん、他校とも連携を取り、事実確認をしたり、それぞれ話をしたりはする。
一同に集めて話をするのは難しいし、さらにスマホの中での付き合いも加わると、人間関係が複雑で対応は困難を極める。
そこは本当に「学校の」責任の範疇なのか。
起きた事実が「いじめ」や「犯罪」かはさておき、放課後や夜間、休日に起きている出来事すら「学校・教師の責任」なのだろうか。

こんなにも多くの児童生徒が居場所を求めて公園に頻繁に長時間集まっていた。
その時点で保護者や地域にもできることはあったし、動くべきであった。
が、その責任は誰にも追及されない。

学校現場は、外部の方々が思っている何倍も、「トラブルの連続」である。
毎日のように何かしらのトラブルが起き、悩みを抱えた子がごまんといる。
そして、多感な成長過程にある子供たちは、常にそれぞれに課題を抱えている。

現場にいたとき、いつも子供たちに言ってきた。
「人と人とのトラブルは、0対100というケースはほとんどないんだよ。
向こうが全部悪い、私は悪くないと思ってるかもしれないけれど、自分にも何か問題がなかったか考えてみよう」
私は個人的に「限りなく0対100に近いケース」がいじめであると考えている。

本当に本当に悲しい事件だと思う。
しかし、残念ながら、似たような案件は、全国のあちこちに転がっている。
今回の被害者がそうであるかは私には分からないが、心に闇を抱える女の子の多くが、自らの性を、寂しさを解決する手段に使うケースを山ほど見てきた。
自分への興味関心を引き、誰かに求められる・必要とされる実感を得られる、最も分かりやすい「ツール」だからだ。
性の入口に立った中学生達は安易にそれに飛びつくし、特に勉強や部活への興味ややる気をなくし、目的や目標を持てずにいる子供たちにとっては、格好の娯楽となる。

「いじめだ!!」「学校の怠慢だ!!」と声高に叫び、介在した生徒・教員達を叩きまくることで何が生まれ、何が変わるというのか。
この件は、スマホ依存社会、同時に核家族化・共働き化が推し進んだ中で、そのすき間で危ういバランスの人間関係を保っている中学生なら、全国どこででも起こりえる事件だ。
表面化していないだけできっともう同じような事件はたくさん起きていると思う。
失われた尊い命を「無駄にしない」というのは、ただ誰かを叩き、吊るし、結果論で物を言うのではなく、その背景をしっかり理解し、原因や対応策を考え、さあやさんのように、寂しさや孤独を抱えた子供たちを救うこと。ただその一点にあると思う。

2024年6月30日 1:26 PM

匿名さんのレビュー

私も、入水後に入院した病院で治療を継続できなかったのか、ここがターニングポイントだったのかも?と思います。
児童デイや放課後デイは、家庭⇔学校⇔病院⇔福祉を繋ぎます
彼女特有の寂しさや人間関係の困難さ等のサポートが受けられる架け橋になれたはず。
この病院は、この点を指摘してました。
また、引っ越しや転校も彼女の気持ちからするともう少し慎重になれていたら、とも思います。
学校に弁護士を同伴して謝罪を受けられていたら、また入院費や引っ越し等の補償が出来ていたら、遺族はここまで執拗に先生や先輩を追い詰めなかったのか?遺族の本当の目的は何なのでしょう?私なら、売春させられていたとかレイプを受けた、と言われる方が娘の名誉の為に許せない行為ですが。そんな事を配信し続けるインフルエンサーには弁護士からの指摘はないですよね?
A子の「死ぬ気もないのに〜」って言う言葉も、受け取り方でこんなに変わってしまうなんて。A子にとっては、思い留めさせる為だった発言が彼女にとっては言って欲しくなかった一言。大人でも難しいなと思う出来事がまだ10代の子にダメ出しをする、そして死の責任まで言及する、ネットで名前も顔も出される、こんな世の中間違っている。
彼女の死で関係者の将来を潰す事、これが延長線で行われみんなが正義と信じ一致団結したように行われている事に吐き気がします。

2024年6月30日 7:53 PM

匿名さんのレビュー

子供に起こるさまざまな出来事。
起こった良いことを一緒に喜び、辛かったことを聞いて慰める役目を一番に担うべきなのは、子どもの変化に目を向け、小さな変化にも気付き、その原因を突き止めて解消するのは親の役目。

子どもの困りごとに寄り添い、その解消に繋がる道を模索するのも親の役目。
学校も行政も、親からのSOSを受け手助けをする1ピースでしか無い。

学校や行政のせいにし叩き続けている限り、いじめによる自死は無くならないだろう。

2024年6月30日 10:26 PM

学校とはさんのレビュー

再調査委員会の会見見ました。転校先の学校は前中学校でおきたいじめのフラッシュバックの対応までしなければならないのでしょうか。警察も学校もかなり高いレベルでの対応を要求されていますが、ひとりの生徒に対し無理だと感じました。学校の授業以外で校外やSNSを含めた対応を求められ、足りなかった場合は袋叩きに合うのであれば、誰も教員になれないと感じました。

2024年6月30日 11:44 PM

匿名さんのレビュー

発達障害の診断自体、専門医が少なく、予約して半年待ちはザラ。半年という時間は成長期の子供にとって貴重。思春期の二次障害については、受診できる病院が少ない。他県のものですが、これは全国的な課題だと思います。
15歳で思春期外来から精神科が受診先になることをみこした治療をすすめる。医師だけでなくコメディカルによるチーム医療ができる病院がよい。とスクールソーシャルワーカーをしている知人から聞いたことがあります。
遺族の手記が2つあり、文春本裏の30ページと、2021年8月18日公表3ページを読みましたが、いじめが起こる前後と学校側の対応のずさんさを強調した内容。
被害者にとっては小学校高学年から出現した特性ゆえの行動からの進級の選択、疲労につながる塾通い等の考慮、ネット依存状況の把握と離脱、なにより強く訴えている「さびしい」を受けとめてネット以外の心の安定につながる依存先を作っておくことだったと思います。この判断ができなかったという事では、母親にもこの時点で支援が必要だったと思います。
(実際のところはわかりませんが)
入院先での治療を継続すべきだったとのコメントが、ここまでに三人寄せられています。ここが転機だったでしょう。同感です。
再調査委員会最終報告は、自死といじめの因果関係を認めることで、被害者とさして年のかわらぬ子供達に、大人も背負うべきである責任を子供達に背負わす内容。代理人が誇らしげに全国モデルにと言ってたようですが、とんでもないことだと思います。なぜ死を選ぶほどつらい思いをしたのか。黒塗りなどせず公表し真実とむきあうことが、被害者の追悼です。

2024年7月2日 3:05 PM

匿名さんのレビュー

いじめ問題に関して被害者の発達障害について言及すると、
「発達障害を抱えているからっていじめられて良いというのか!」と批判する人が多い。
けれどそういう人達って、
発達障害を抱えている人達の生きづらさを理解しようとすらしていないし、発達障害に対して差別的な認識をしている。
そんな人達が被害者の事を理解せずに、自分の都合や当事者を蔑ろにした認識を押し付けるばかりで、
被害者だけでなく教師なども苦しめている事に目を向けない。

ふつざわさんは発達障害について言及しているけれど、
亡くなられた子が抱えていた特性に対して真摯に向き合っているからであって、そこには理解しようとする姿勢がある。
逆に、
彼を誹謗中傷している人達が、
理解されない事で苦しみ続けていた子に関して、
不都合な事実から目を逸らし続けるのは、
亡くなられた子が抱えていた苦しみを全く理解していないからとしか思えない。

私の場合、
私自身にそういう傾向があるからこそ、
当事者であるからこそ、
死にたくなるほど辛い思いをしてきた人の気持ちがわかる。
だからこそ、
亡くなられた子の等身大の人物像を隠蔽し、
自分達の都合の為に創り上げた虚像を掲げて、
更なる被害を生み出している連中に対して強い憤りを感じている。

イジメの有無ではなく、
「孤独(理解されない苦しみも含む)」こそが死に至らしめるほど心を苦しめる病であり、
衝動性がそれをより深刻な事態に発展させる要素。

2024年7月6日 7:10 AM

あるくむさんの応援メッセージ

世間の論調、それを形成したマスメディアの報じ方と実情がこれほどかけ離れていたことに、驚愕と強い反省を覚えます。昨日もマスメディアは詳細を伏せ、ヤフコメでは加害者晒しなどと全くの誤解憶測が飛び交ってます。とは言え昨日までの私の認識も大差ないものでした。恥ずかしいです。

真実はなぜ伏せられ続けたのか。遺族と協議して黒塗りしたという報道がなされていますが、その協議とは如何なる根拠で、いかなるプロセスで行われたのか。被害者と遺族の抱えた問題をプライバシー配慮という名の下に伏せたことは本当に正しいのか。それによって曲げられた真実は独り歩きして別の誰かを傷つける。社会課題を解決するふりをして、私たちは別の誰かに皺を寄せただけではないか。あなたの行為は多くの根本的な疑問を浮き彫りにしました。

自分も家族に精神障害者を抱えた当事者家族の立場から述べますが、全ての少年少女が障害や多様性を理解し対応できる日は来ないと思います。もちろん、そのための努力は尊いものですが、社会設計は理想や建前だけでは成立しない。そういう楽観論だけでいじめは無くならない。だからこそ本件は徹底した検証がなされるべきだと思いました。あなたが公開した行為の是非はともかく、行動を起こしたからには全ての経緯を公正な手段でつまびらかにしていただきたいと願います。メディアには、手記や告発レポートの形で切り取りしない全文を世に出す責任を果たしていただきたい。

2024年6月25日 6:11 AM

匿名さんからの応援メッセージ

公開してくれたんで、黒塗り版を作った人たちが何を隠したかったのか浮き彫りになると思う
後でゆっくり見させてもらいます、ありがとうございました

2024年6月25日 6:03 PM

匿名さんからの応援メッセージ

あなたは正義の味方です
これからも応援します

2024年6月25日 7:58 AM

匿名さんからの応援メッセージ

公開された正義感と勇気に敬服しました。
文春の記事のいい加減さに、あきれました。公開されなかったら、決して表に出てこなかった事実と感じます。
いじめと自死との関係性について、考えさせられました。
いじめを解決することで、自死を防ぐことができたか、疑問に感じるとともに、
結局、自死を防ぐ有効な手段が見当たらない(現在も)と感じました。

2024年6月25日 7:59 PM

匿名さんからの応援メッセージ

あれだけ大きく報じられ、全国からの問い合わせによって第三者委員会の調査が決まったのに、出来上がった報告書は黒塗りだらけで、なんだこれ?って思ったことを覚えています。
今回全てが読めて、リスク承知で公開してくれたことに、個人的にはありがとうございますと言いたいです

被害者の子が抱える、寂しさや、思春期と発達障害による特性の混ざりあった、お母さんとの衝突やクラスメートとの関わり方の悩み、自分を制御できないもどかしさ等、黒く塗られて知り得なかったことが知れ、どれほど辛かっただろう…と公表版の報告書を読んだ時よりも、より胸が痛みました
同時に、これらのことが何故隠されなければならなかったのか理解に苦しみます

また、ネットニュース等で悪の化身のような書かれかたをしていた校長先生はじめ教師の皆様が、なにも対応していなかったわけでは無かったと知ることができ、学校もすてたもんじゃないなとも思えました

AとBいう選択肢があって、Aを選択したのは間違いでBを選択すれば良かった(Bもするべきだった)
というような文言をよく目にしますが、AもBも選択していれば結果が違ったものになっていたかは誰にも解りません
現場の教師の方々は日々そういった選択を余儀なくされているのですから、むやみやたらに責めるのは辞めて欲しいです

調査報告書が誰かを責めるためのものではなく、起こってしまったことを次に生かすためのものでありますように
また、なるべく黒塗りのない状態で公表され、一人でも多くの人がいじめについて考えるものになりますように

2024年6月25日 10:45 PM

匿名さんからの応援メッセージ

テレビのニュースで見たので探してきました。
よくやった!感動した!!

2024年6月25日 11:35 PM

匿名さんからの応援メッセージ

これは大変勇気のいることだったでしょう。
それでもいじめとそれに関わる人間に立ち向かう姿に感動しました。

2024年6月26日 2:52 AM

匿名さんからの応援メッセージ

私は文春の記事を鵜呑みにして、学校の先生方を悪者と決めつけていました。
その事が恥ずかしいですし申し訳ない気持ちです。

学校の先生方はきちんと被害者に寄り添っていたと読み取れますし、
事実と異なる事を記事にされている加害少年達も一方で被害者と言えると思います。

一体誰のための何のための黒塗りだったのか。。

勇気を出して真実を公開して下さってありがとうございました。

2024年6月26日 8:35 AM

匿名さんからの応援メッセージ

あなたのYouTube Liveなどをよく拝見していました。
あの時、表立って言えないことがこんなにもあったのですね。
あなたの忍耐力に頭が下がります。

2024年6月28日 4:56 PM

匿名さんからの応援メッセージ

随分初期の頃から加害生徒とされる子・ご遺族の両方と繋がっておられたのですね
あなたがXで発信していたことの裏に様々な理由があったことを知りました
言葉が強かったり、一体何がしたいんだ…と思ったこともありましたが、理解できた気がします

2024年6月29日 8:04 PM

匿名さんからの応援メッセージ

2021年当時からふつざわさんの言葉を目にしており、自分なりに理解できたと思っていましたが
まだまだ知らなかった事ばかりで驚いています

いつの日だったか、あちらを立てるとこちらが立たなくなり悩むとどこかで言われていたように記憶しています

今回黒塗りなしの報告書を手にされて、相当悩まれたのではないかと想像しています

3年間見てきた中でこれだけは言えます

ふつざわさんは一貫して不当に叩かれている弱者の味方でした

これからも応援しております

2024年6月29日 8:35 PM

匿名希望さんからの応援メッセージ

黒塗り無しの報告書と内部告発を見て、事件の印象は全く変わりました。
いじめはあったものの、障害による特性と相まって起きた、事故に近い自死であったと認識しました。

加害児童と呼ばれる子達にも優しい面があり、何処にでも居る子供達なのだなと。

他にも知ってる嘘があれば告発してほしいです。
世論が変わるきっかけになると思います。

2024年6月30日 2:20 PM

匿名さんからの応援メッセージ

このサイトで今までの報道とは違う情報を知れてとても良かったです。
何があったのか、自殺だったのか家出だったのか、爽彩さんにしか分からない事ですが、苦悩を知り改善していく事が爽彩さんへの旭川市民として出来る誠意だと思っていました。
だから、某YouTuberに情報を提供した事もありました。
でも、彼は爽彩さんが売春させられていたとか加害児童と言われる子が暴力団と繋がっているとか、噂話をネットに流すだけ。
私にとっては、そんな証拠もない事をネットに流す事は爽彩さんの名誉を傷つける事、また爽彩さんへの誠意ではないと感じていました。
ただ、ネットでこのような意見を書けば加害児童の保護者か?と言われてしまうので。
一言言わせてください!
加害児童が何か今出ている情報よりもっと悪い事をしていても、あなた方の将来を潰していいとは思っていないし、爽彩さんもそんな事望んでいないと思っています。
あなた方が爽彩さんの事で反省や後悔をしていたら、他者に優しくしてあげてください。爽彩さんはきっと、それを望んでいますよ。
あなた方の将来を心配したり、少しでも健やかな毎日が送れる事を望んでいる旭川市民がいる事、お伝えしたかったです。

2024年7月1日 1:07 PM

いいじまさんからの応援メッセージ

自閉症スペクトラム障害の男児(8歳)父親です。
ウチの子もたまに「死にたい」とか衝動で飛び出したりします。

支援級や放課後等デイサービスに通って、今のところは協力いただきながらすくすくと育ってくれています。
成長すれば、色々と人間関係で出てくるかも知れません。

旭川事件は通りいっぺんの記事しか知りません。

ですが、
他人事とは思えず、大変勉強になりました。

ありがとうございます。

2024年7月1日 4:36 PM

匿名さんからの応援メッセージ

ふつざわさんの主張は、
発達障害を抱えている子が抱えていた本当の問題を理解しているからこそだと思うよ。

死にたくなるほど苦しんでいる子達に真剣に向き合ったことがない人達には分からないみたいだけれど、
孤独や理解されない苦しみこそが子供を死に至らしめる問題の本質だよ。

そもそも虐められても支えてくれる存在がいれば人は死を選ばない。

本件は、
支えるどころか自分達の都合を子供にも学校にも押し付けるばかりで、
子の認知を歪めに歪めて更に精神状態を悪化させた上に、
子供の孤立を更に深刻化させた人達が何故か被害者面し、
問題の解決に向き合っていた人達が不当に誹謗中傷されていることが問題。

2024年7月6日 9:33 AM

匿名さんからの応援メッセージ

「顔や名前が出てしまっているけど、遺族側から出てる情報だけでこんな状況おかしくないか?」と思っていても見て見ぬふりのいじめを続けていた私がいます
でも、ふつざわさんの話を見て考えが改まりました
ふつざわさんの話を一方的に信じているわけではなくて、爽彩さんが失踪したとの情報が出て以降、疑問に感じていた事がふつざわさんの話だと納得できる、一番辻褄が合うと感じたからです
だからって、今更私が声をあげても遅いのかも、見て見ぬふりをした時間は戻ってこない
爽彩さんの為にも、今 名前や顔を出てる人達の為にも、やっぱり私も動きます、ふつざわさんだけでなく私も。

2024年7月11日 3:04 PM

匿名さんからの応援メッセージ

陰ながら私も何か出来る事をしていきたいと思います。
優しい子ばかりが傷つくのは、もう嫌です…。

2024年7月14日 8:29 AM

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