はじめに
親は、子どもを愛している。
それでも、子どもを傷つけてしまうことがある。
親は皆、子どもの幸せを願っている。
だからこそ、叱り、守り、導こうとする。
しかし、良かれと思った行動が、「否定された」「分かってもらえなかった」と思わせてしまうこともある。
この記事は、親を責めるためのものではない。
子どもが安心して成長するために、親として何を大切にすればよいのかを、一緒に考えていきたい。
目次
第一章 自己肯定感を低くする叱り方をしてはいけない――厳しさと愛情のバランスを忘れない
第二章 子どもの「自由」を奪いすぎてはいけない――管理と自由のバランスを考える
第三章 「友達」を無理やり引き剥がしてはいけない――子どもにとって唯一の居場所かもしれない
第四章 親の「正義」を押し付けてはいけない――子どもを親の戦いに巻き込まない
第五章 子どもの話を聞くことから逃げてはいけない――「忙しい」は子どもの孤独を埋めてくれない
第六章 「安心」を脅かしてはいけない――家は、子どもにとって最後の避難場所である
第七章 レッテル貼りをしてはいけない――子どもを診断名や評価で決めつけない
第八章 子どもを親の理想どおりに生きさせてはいけない――子どもの人生は、子どものものである
第一章 自己肯定感を低くする叱り方をしてはいけない――厳しさと愛情のバランスを忘れない)
「叱ることは悪いことだ。」
そんなことを言いたいわけではない。
子どもが社会の中で自立して生きていくためには、時に厳しい指導も必要である。
約束を守ること。
人を傷つけてはいけないこと。
努力すること。
責任を果たすこと。
これらを教えることは、親の大切な役割である。
しかし、その厳しさが子どもの自己肯定感を傷つけてしまっては、本来の目的とは逆の結果になってしまう。

「何をやっても認めてもらえない。」
「自分はダメな人間なんだ。」
「どうせ頑張っても意味がない。」
子どもがそのように感じるようになれば、自信を失い、挑戦する意欲まで失ってしまう。
大切なのは、「行動」と「人格」を分けて考えることである。
例えば、約束を破ったのであれば、その行動を叱る。
しかし、「あなたはダメな子だ」「いつも失敗ばかりだ」と人格まで否定してしまえば、子どもは「自分という存在そのものが否定された」と受け止めることがある。
また、叱ることばかりに意識が向いてしまうと、子どもは「できなかったこと」ばかりを見るようになる。
一方で、努力や成長、小さな成功を認められる経験は、「次も頑張ってみよう」という前向きな気持ちにつながる。
だからこそ、厳しく叱った後には、それを支える愛情も必要なのである。
「今回は良くなかった。でも、あなたのことは大切に思っている。」
「失敗しても、一緒にやり直せばいい。」
そんな一言が、子どもの安心感を支えることもある。
厳しさと優しさは、どちらか一方を選ぶものではない。
社会で生きていくための厳しさと、安心して帰ってこられる愛情。
その両方があって初めて、子どもは「自分には価値がある」と感じながら成長していくことができるのである。
第二章 子どもの「自由」を奪いすぎてはいけない――管理と自由のバランスを考える
子どもに自由を与えることは、大切である。
しかし、だからといって何でも自由にさせればよいという話ではない。
スマートフォンの利用時間や外出時間、ゲームやSNSの使い方など、子どもの安全を守るために一定のルールを設けることは、親として当然の役割である。
問題なのは、その制限が子どもの世界まで狭めてしまうことである。
子どもにとって、友達と遊ぶことや連絡を取り合うことは、単なる娯楽ではない。
人間関係を築き、社会性を学び、自分の居場所を見つけていくための大切な時間でもある。
もちろん、スマートフォンを持たせないという選択や、危険な場所への外出を制限する判断が必要な家庭もあるだろう。
しかし、その結果として周囲の子どもたちとの交流が極端に少なくなり、「自分だけが仲間に入れない」「話題についていけない」といった孤立感を抱いてしまうこともある。

親は、子どもを危険から守ろうとする。
それは間違いではない。
しかし、「守ること」が、いつの間にか「閉じ込めること」になっていないか、一度立ち止まって考えてみる必要がある。
子どもは、失敗や小さなトラブルを経験しながら、人との付き合い方を学んでいく。
親がすべての危険を取り除こうとすれば、その経験まで奪ってしまうことになりかねない。
だからこそ大切なのは、自由と管理のバランスである。
危険を放置してはいけない。
しかし、必要以上に管理してもいけない。
「これは本当に子どもを守るためのルールなのか。」
「それとも、親である私自身の不安を解消するためのルールになっていないだろうか。」
そんな問いを持ちながら、子どもの年齢や成長に合わせて少しずつ自由を広げていくことが、自立への第一歩になるのである。
第三章 「友達」を無理やり引き剥がしてはいけない――子どもにとって唯一の居場所かもしれない
子どもの友達を心配する親は少なくない。
「あの子とは付き合わないほうがいい。」
「あの子は素行が悪い。」
「もう遊んではいけない。」
子どもを危険から守りたいという親の気持ちは、ごく自然なものである。
実際に、犯罪や薬物、いじめなどに巻き込まれる危険があるのであれば、親が介入しなければならない場面もあるだろう。
しかし、一方的に友人関係を断ち切らせることが、必ずしも子どものためになるとは限らない。
子どもにとって友達とは、単に一緒に遊ぶ相手ではない。
悩みを共有し、笑い合い、自分らしくいられる居場所でもある。
親から見れば「付き合ってほしくない友達」であっても、子どもにとっては学校で唯一安心できる存在であることもある。

その関係を頭ごなしに否定されれば、子どもは友達だけでなく、自分自身まで否定されたように感じてしまうことがある。
もちろん、本当に危険な関係であれば、親として止める責任がある。
しかし、その前に大切なのは、
「なぜその友達と一緒にいるのか」
を知ろうとすることである。
「その子のどんなところが好きなの?」
「一緒にいると、どんな気持ちになるの?」
そんな問いかけから見えてくるものがあるかもしれない。
子どもは、友達を選んでいるようでいて、「安心できる居場所」を選んでいることも少なくない。
もし、その友人関係に問題があるのであれば、無理やり引き離すことだけが解決策ではない。
子どもが家庭の中にも安心できる居場所を感じられるようになれば、人間関係の選び方も少しずつ変わっていくことがある。
親の役割は、子どもの人間関係をすべて決めることではない。
子どもが自分自身で良い人間関係を築けるよう支え、困ったときには安心して相談できる存在であり続けることである。
第四章 親の「正義」を押し付けてはいけない――子どもを親の戦いに巻き込まない
子どもが傷つけられたとき、親は怒る。
それは当然のことである。
学校に説明を求めることもある。
重大事態調査を求めることもある。
必要であれば、裁判という手段を選ぶこともあるだろう。
子どもの権利を守るために、親が行動することは決して悪いことではない。
しかし、どれほど正しい目的であっても、一つだけ忘れてはならないことがある。
それは、「誰のための行動なのか」ということである。

親が学校や相手方と対立する中で、子どもがその争いの中心に置かれてしまうことがある。
何度も当時の出来事を思い出さなければならない。
大人同士の対立を目の当たりにする。
「あなたも証言して。」
「あなたが頑張らなければ。」
そんな言葉に、子どもは「自分が親を支えなければならない」と感じてしまうこともある。

もちろん、子どもの意思を尊重したうえで、事実を伝えることや、必要な手続に協力することは大切である。
しかし、それはあくまでも子どもの利益のためでなければならない。
いつの間にか、「勝ちたい」「認めさせたい」「謝らせたい」という気持ちが強くなり、子どもの心の回復よりも、大人同士の争いが中心になってしまうのであれば、本末転倒である。
親が守るべきものは、世間体でも、勝敗でもない。
子どもの心である。
もし、子どもが「もう終わりにしたい」「普通の生活に戻りたい」と願っているのであれば、その気持ちにも耳を傾ける必要がある。
親は子どもの代わりに戦うことはできる。
しかし、子どもの人生を戦いそのものにしてはいけない。
親の正義は、子どもの幸せのためにある。
その順番だけは、決して見失ってはいけないのである。
第五章 子どもの話を聞くことから逃げてはいけない――「忙しい」は、子どもの孤独を埋めてくれない
子どもは、親が思っている以上に親のことを見ている。
仕事で疲れていることも分かっている。
忙しいことも分かっている。
だからこそ、子どもは何でも話せるわけではない。
「今はやめておこう。」
「また今度にしよう。」
そう思っているうちに、本当に伝えたかったことを心の奥へしまい込んでしまうことがある。

親は、「何かあったら言いなさい」と声をかける。
もちろん、それは大切なことである。
しかし、それだけでは十分ではない。
子どもは、「話していいよ」と言われたから話すのではない。
「この人なら話を聞いてくれる。」
そう信じられる相手にしか、本音は話せないのである。
だからこそ大切なのは、答えを出すことではない。
まず、最後まで話を聞くことである。
途中で否定しない。
説教しない。
すぐに解決策を示そうとしない。
「そう感じたんだね。」
「それはつらかったね。」
そんな一言だけで、子どもは「分かってもらえた」と感じることがある。
親は、子どもの問題を解決したくなる。
しかし、多くの場合、子どもが最初に求めているのは解決ではない。
自分の気持ちを受け止めてもらうことである。
そして、子どものSOSは、「助けて」という言葉だけではない。
元気がなくなる。
笑わなくなる。
部屋に閉じこもる。
イライラする。
急に学校の話をしなくなる。
こうした小さな変化も、子どもからの大切なメッセージかもしれない。
親は、子どもの人生を代わりに生きることはできない。
しかし、子どもが苦しいとき、「一人じゃない」と感じられる存在にはなれる。
その安心感が、子どもに「もう少し頑張ってみよう」と思わせる力になることもある。
忙しい毎日の中で、すべての時間を子どもに使うことはできない。
それでも、一日にほんの少しでもいい。
子どもの目を見て話を聞く時間をつくること。
その積み重ねが、「困ったときは親に話そう」と思える親子関係を育てていくのである。
第六章 「安心」を脅かしてはいけない――家は、子どもにとって最後の避難場所である
子どもは、学校で様々なストレスを抱えながら生活している。
勉強、人間関係、部活動、進路への不安。
時には、いじめや仲間外れなど、親の知らないところで深く傷ついていることもある。
だからこそ、家は安心して心を休められる場所であってほしい。
「家に帰れば大丈夫。」
そう思えることは、子どもにとって何より大きな支えになる。
しかし、家庭の中に強い緊張や不安があると、その安心できる場所まで失われてしまう。
夫婦喧嘩が絶えない。
怒鳴り声が日常になっている。
親の機嫌をうかがいながら生活しなければならない。
あるいは、親の交際や再婚などによって生活環境が大きく変わり、子どもが戸惑いや居場所のなさを感じているにもかかわらず、その気持ちが十分に受け止められていないこともある。
もちろん、親にも人生がある。
離婚や再婚、新しい人生を歩むこと自体を否定するものではない。
しかし、その変化を最も大きく受けるのは子どもである。

大人にとっては新たな出発でも、子どもにとっては「安心して過ごせた日常」を失う出来事になることもある。
だからこそ、大切なのは、「親がどうしたいか」だけではなく、「子どもは今、何を感じているのか」に目を向けることである。
子どもは、自分の不安をうまく言葉にできないことが多い。
だから、「何も言わないから大丈夫」と考えるのではなく、「何も言えないのかもしれない」という視点を持つことも必要である。
家庭は、子どもが社会へ羽ばたいていくための土台である。
その土台が安心できる場所であれば、学校や社会でつまずいたとしても、子どもはもう一度立ち上がる力を得ることができる。
家は、子どもにとって最後の避難場所である。
その安心だけは、何があっても失わせてはいけないのである。
第七章 レッテル貼りをしてはいけない――子どもを診断名や評価で決めつけない
子どもは、日々成長している。
昨日できなかったことが、今日できるようになる。
苦手だったことを克服することもある。
新しい経験を通して、大きく成長することもある。
だからこそ、子どもを一つの言葉で決めつけてはいけない。
「この子は発達障害だから。」
「この子は問題児だから。」
「この子は内向的だから。」
「この子は何をやっても続かない。」
そんな言葉は、子どもの特性を説明しているようでいて、
いつの間にか子どもの可能性まで決めつけてしまうことがある。

発達障害などの診断を受けることには意味があるかも知れない。
子どもの困りごとを理解し、適切な支援につなげるためである。
診断そのものが悪いわけではないかも知れない。
問題なのは、その診断名だけで子どもを見てしまうことである。
子どもは、診断名ではない。
一人ひとり違う個性を持ち、日々変化しながら成長していく存在である。
また、親が何気なく口にした言葉は、子どもの心に深く残ることがある。
「あなたは人見知りだから。」
「あなたは要領が悪い。」
「お兄ちゃんはできたのに。」
「どうして普通にできないの。」
最初は親の感想だった言葉も、繰り返されるうちに、子ども自身が「自分はそういう人間なんだ」と思い込んでしまうことがある。
これは心理学で「ラベリング」の影響として語られることもある。
人は、自分に貼られたレッテルを、自分自身の姿だと受け入れてしまいやすいからである。
親が子どもを見るときに大切なのは、「今できること」と「これから伸びる可能性」の両方を見ることである。
苦手なことがあってもいい。
支援が必要でもいい。
しかし、それだけで子どもの未来を決めつけてはいけない。
子どもは、親が思っている以上に成長する力を持っている。
その力を信じ続けることもまた、親の大切な役割なのである。
第八章 子どもを親の理想どおりに生きさせてはいけない――子どもの人生は、子どものものである
親は、子どもの幸せを願っている。
だからこそ、勉強を頑張ってほしいと思う。
良い学校へ進学してほしいと思う。
安定した仕事に就いてほしいと思う。
立派な大人になってほしいと思う。
それは、決して悪い願いではない。
むしろ、多くの親が抱く自然な願いである。
しかし、その願いがいつの間にか「親の理想」になってしまうことがある。

「あなたのためだから。」
その言葉は、親の愛情から生まれることが多い。
けれども、子どもが本当に望んでいることを確かめないまま、その言葉を繰り返してしまえば、子どもは自分の気持ちよりも、親の期待を優先するようになる。
親に褒められるために勉強する。
親を悲しませないために進路を選ぶ。
親を安心させるために、本当の気持ちを隠す。
それは、自分の人生を生きているようでいて、少しずつ親の人生を生きることにもつながりかねない。
もちろん、親には人生経験がある。
子どもよりも多くの失敗を経験し、多くのことを知っている。
だからこそ、助言をすることも、時には反対することも必要である。
しかし、助言と支配は違う。
導くことと決めることも違う。
親は、子どもの人生の案内人にはなれる。
けれども、運転手になってはいけない。
ハンドルを握るのは、最後は子ども自身である。
子どもは、親の所有物ではない。
一人の人格を持ち、自分の人生を歩んでいく一人の人間である。
親の役割は、その道を決めることではない。
子どもが転んだときに手を差し伸べ、迷ったときに相談に乗り、自分の足で歩いていけるよう支えることである。
子どもの幸せは、親の理想を実現することではない。
子ども自身が、自分の人生を自分で選び、自分らしく生きていけることである。
そのことを忘れない限り、親の愛情はきっと子どもの力になる。
そして、その積み重ねが、「安心して帰れる場所」と「自分を信じる力」を育み、子どもが社会へ羽ばたいていく大きな支えになっていくのである。
おわりに
完璧な親はいない。
子どもを叱りすぎてしまう日もある。
忙しくて話を聞いてあげられない日もある。
感情的になってしまうこともあるだろう。
だからこそ、大切なのは「一度も間違えないこと」ではない。
間違いに気づいたとき、立ち止まり、子どもの気持ちに目を向け、親自身も成長しようとする姿勢ではないだろうか。
本記事では、「親がしてはいけないこと」を八つの視点から考えてきた。
しかし、そのどれもが「親を責めるため」のものではない。
子どもを守ろうとする親の愛情を、子どもにとって本当に力になる形へと変えていくための提案である。
親は、子どもより多くの知識や経験を持っている。
だからこそ、教えることも、導くことも必要である。
一方で、子どもの心の中を知ることができるのは、子どもの話に耳を傾けたときだけである。
親の「正しさ」が、子どもにとっての「安心」とは限らない。
だからこそ、ときには「私は正しいだろうか」ではなく、「この子は今、どんな気持ちなのだろうか」と問いかけてみてほしい。
子どもは、親の思いどおりに育てる存在ではない。
一人の人格を持ち、自分の人生を歩んでいく存在である。
親の役割は、その人生を代わりに生きることではなく、転んだときに手を差し伸べ、迷ったときに帰ってこられる場所であり続けることだ。
家は、子どもにとって最後の避難場所である。
そして、その安心感は、やがて社会へ踏み出す勇気へと変わっていく。
親に必要なのは、厳しさだけでも、優しさだけでもない。
子どもを一人の人間として尊重し、その成長に寄り添い続けること。
その積み重ねこそが、子どもにとって何よりの愛情になるのではないだろうか。
いじめ撲滅ドットコム 普津澤峻











































この記事へのコメントはありません。