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親がしてはいけないこと――子どもの心を守るために、親が知っておきたい8つのこと/ いじめ撲滅ドットコム 普津澤峻


はじめに

親は、子どもを愛している。

それでも、子どもを傷つけてしまうことがある。

親は皆、子どもの幸せを願っている。

だからこそ、叱り、守り、導こうとする。

しかし、良かれと思った行動が、「否定された」「分かってもらえなかった」と思わせてしまうこともある。

この記事は、親を責めるためのものではない。

子どもが安心して成長するために、親として何を大切にすればよいのかを、一緒に考えていきたい。


目次

第一章 自己肯定感を低くする叱り方をしてはいけない――厳しさと愛情のバランスを忘れない

第二章 子どもの「自由」を奪いすぎてはいけない――管理と自由のバランスを考える

第三章 「友達」を無理やり引き剥がしてはいけない――子どもにとって唯一の居場所かもしれない

第四章 親の「正義」を押し付けてはいけない――子どもを親の戦いに巻き込まない

第五章 子どもの話を聞くことから逃げてはいけない――「忙しい」は子どもの孤独を埋めてくれない

第六章 「安心」を脅かしてはいけない――家は、子どもにとって最後の避難場所である

第七章 レッテル貼りをしてはいけない――子どもを診断名や評価で決めつけない

第八章 子どもを親の理想どおりに生きさせてはいけない――子どもの人生は、子どものものである

おわりに


 

第一章 自己肯定感を低くする叱り方をしてはいけない――厳しさと愛情のバランスを忘れない


「叱ることは悪いことだ。」

そんなことを言いたいわけではない。

子どもが社会の中で自立して生きていくためには、時に厳しい指導も必要である。

約束を守ること。

人を傷つけてはいけないこと。

努力すること。

責任を果たすこと。

これらを教えることは、親の大切な役割である。

しかし、その厳しさが子どもの自己肯定感を傷つけてしまっては、本来の目的とは逆の結果になってしまう。

「何をやっても認めてもらえない。」

「自分はダメな人間なんだ。」

「どうせ頑張っても意味がない。」

子どもがそのように感じるようになれば、自信を失い、挑戦する意欲まで失ってしまう。

大切なのは、「行動」と「人格」を分けて考えることである。

例えば、約束を破ったのであれば、その行動を叱る。

しかし、「あなたはダメな子だ」「いつも失敗ばかりだ」と人格まで否定してしまえば、子どもは「自分という存在そのものが否定された」と受け止めることがある。

また、叱ることばかりに意識が向いてしまうと、子どもは「できなかったこと」ばかりを見るようになる。

一方で、努力や成長、小さな成功を認められる経験は、「次も頑張ってみよう」という前向きな気持ちにつながる。

だからこそ、厳しく叱った後には、それを支える愛情も必要なのである。

「今回は良くなかった。でも、あなたのことは大切に思っている。」

「失敗しても、一緒にやり直せばいい。」

そんな一言が、子どもの安心感を支えることもある。

厳しさと優しさは、どちらか一方を選ぶものではない。

社会で生きていくための厳しさと、安心して帰ってこられる愛情。

その両方があって初めて、子どもは「自分には価値がある」と感じながら成長していくことができるのである。


 

第二章 子どもの「自由」を奪いすぎてはいけない――管理と自由のバランスを考える


子どもに自由を与えることは、大切である。

しかし、だからといって何でも自由にさせればよいという話ではない。

スマートフォンの利用時間や外出時間、ゲームやSNSの使い方など、子どもの安全を守るために一定のルールを設けることは、親として当然の役割である。

問題なのは、その制限が子どもの世界まで狭めてしまうことである。

子どもにとって、友達と遊ぶことや連絡を取り合うことは、単なる娯楽ではない。

人間関係を築き、社会性を学び、自分の居場所を見つけていくための大切な時間でもある。

もちろん、スマートフォンを持たせないという選択や、危険な場所への外出を制限する判断が必要な家庭もあるだろう。

しかし、その結果として周囲の子どもたちとの交流が極端に少なくなり、「自分だけが仲間に入れない」「話題についていけない」といった孤立感を抱いてしまうこともある。

親は、子どもを危険から守ろうとする。

それは間違いではない。

しかし、「守ること」が、いつの間にか「閉じ込めること」になっていないか、一度立ち止まって考えてみる必要がある。

子どもは、失敗や小さなトラブルを経験しながら、人との付き合い方を学んでいく。

親がすべての危険を取り除こうとすれば、その経験まで奪ってしまうことになりかねない。

だからこそ大切なのは、自由と管理のバランスである。

危険を放置してはいけない。

しかし、必要以上に管理してもいけない。

「これは本当に子どもを守るためのルールなのか。」

「それとも、親である私自身の不安を解消するためのルールになっていないだろうか。」

そんな問いを持ちながら、子どもの年齢や成長に合わせて少しずつ自由を広げていくことが、自立への第一歩になるのである。


 

第三章 「友達」を無理やり引き剥がしてはいけない――子どもにとって唯一の居場所かもしれない


子どもの友達を心配する親は少なくない。

「あの子とは付き合わないほうがいい。」

「あの子は素行が悪い。」

「もう遊んではいけない。」

子どもを危険から守りたいという親の気持ちは、ごく自然なものである。

実際に、犯罪や薬物、いじめなどに巻き込まれる危険があるのであれば、親が介入しなければならない場面もあるだろう。

しかし、一方的に友人関係を断ち切らせることが、必ずしも子どものためになるとは限らない。

子どもにとって友達とは、単に一緒に遊ぶ相手ではない。

悩みを共有し、笑い合い、自分らしくいられる居場所でもある。

親から見れば「付き合ってほしくない友達」であっても、子どもにとっては学校で唯一安心できる存在であることもある。

その関係を頭ごなしに否定されれば、子どもは友達だけでなく、自分自身まで否定されたように感じてしまうことがある。

もちろん、本当に危険な関係であれば、親として止める責任がある。

しかし、その前に大切なのは、

「なぜその友達と一緒にいるのか」

を知ろうとすることである。

「その子のどんなところが好きなの?」

「一緒にいると、どんな気持ちになるの?」

そんな問いかけから見えてくるものがあるかもしれない。

子どもは、友達を選んでいるようでいて、「安心できる居場所」を選んでいることも少なくない。

もし、その友人関係に問題があるのであれば、無理やり引き離すことだけが解決策ではない。

子どもが家庭の中にも安心できる居場所を感じられるようになれば、人間関係の選び方も少しずつ変わっていくことがある。

親の役割は、子どもの人間関係をすべて決めることではない。

子どもが自分自身で良い人間関係を築けるよう支え、困ったときには安心して相談できる存在であり続けることである。


 

第四章 親の「正義」を押し付けてはいけない――子どもを親の戦いに巻き込まない


子どもが傷つけられたとき、親は怒る。

それは当然のことである。

学校に説明を求めることもある。

重大事態調査を求めることもある。

必要であれば、裁判という手段を選ぶこともあるだろう。

子どもの権利を守るために、親が行動することは決して悪いことではない。

しかし、どれほど正しい目的であっても、一つだけ忘れてはならないことがある。

それは、「誰のための行動なのか」ということである。

親が学校や相手方と対立する中で、子どもがその争いの中心に置かれてしまうことがある。

何度も当時の出来事を思い出さなければならない。

大人同士の対立を目の当たりにする。

「あなたも証言して。」

「あなたが頑張らなければ。」

そんな言葉に、子どもは「自分が親を支えなければならない」と感じてしまうこともある。

もちろん、子どもの意思を尊重したうえで、事実を伝えることや、必要な手続に協力することは大切である。

しかし、それはあくまでも子どもの利益のためでなければならない。

いつの間にか、「勝ちたい」「認めさせたい」「謝らせたい」という気持ちが強くなり、子どもの心の回復よりも、大人同士の争いが中心になってしまうのであれば、本末転倒である。

親が守るべきものは、世間体でも、勝敗でもない。

子どもの心である。

もし、子どもが「もう終わりにしたい」「普通の生活に戻りたい」と願っているのであれば、その気持ちにも耳を傾ける必要がある。

親は子どもの代わりに戦うことはできる。

しかし、子どもの人生を戦いそのものにしてはいけない。

親の正義は、子どもの幸せのためにある。

その順番だけは、決して見失ってはいけないのである。


 

第五章 子どもの話を聞くことから逃げてはいけない――「忙しい」は、子どもの孤独を埋めてくれない


子どもは、親が思っている以上に親のことを見ている。

仕事で疲れていることも分かっている。

忙しいことも分かっている。

だからこそ、子どもは何でも話せるわけではない。

「今はやめておこう。」

「また今度にしよう。」

そう思っているうちに、本当に伝えたかったことを心の奥へしまい込んでしまうことがある。

親は、「何かあったら言いなさい」と声をかける。

もちろん、それは大切なことである。

しかし、それだけでは十分ではない。

子どもは、「話していいよ」と言われたから話すのではない。

「この人なら話を聞いてくれる。」

そう信じられる相手にしか、本音は話せないのである。

だからこそ大切なのは、答えを出すことではない。

まず、最後まで話を聞くことである。

途中で否定しない。

説教しない。

すぐに解決策を示そうとしない。

「そう感じたんだね。」

「それはつらかったね。」

そんな一言だけで、子どもは「分かってもらえた」と感じることがある。

親は、子どもの問題を解決したくなる。

しかし、多くの場合、子どもが最初に求めているのは解決ではない。

自分の気持ちを受け止めてもらうことである。

そして、子どものSOSは、「助けて」という言葉だけではない。

元気がなくなる。

笑わなくなる。

部屋に閉じこもる。

イライラする。

急に学校の話をしなくなる。

こうした小さな変化も、子どもからの大切なメッセージかもしれない。

親は、子どもの人生を代わりに生きることはできない。

しかし、子どもが苦しいとき、「一人じゃない」と感じられる存在にはなれる。

その安心感が、子どもに「もう少し頑張ってみよう」と思わせる力になることもある。

忙しい毎日の中で、すべての時間を子どもに使うことはできない。

それでも、一日にほんの少しでもいい。

子どもの目を見て話を聞く時間をつくること。

その積み重ねが、「困ったときは親に話そう」と思える親子関係を育てていくのである。


 

第六章 「安心」を脅かしてはいけない――家は、子どもにとって最後の避難場所である


子どもは、学校で様々なストレスを抱えながら生活している。

勉強、人間関係、部活動、進路への不安。

時には、いじめや仲間外れなど、親の知らないところで深く傷ついていることもある。

だからこそ、家は安心して心を休められる場所であってほしい。

「家に帰れば大丈夫。」

そう思えることは、子どもにとって何より大きな支えになる。

しかし、家庭の中に強い緊張や不安があると、その安心できる場所まで失われてしまう。

夫婦喧嘩が絶えない。

怒鳴り声が日常になっている。

親の機嫌をうかがいながら生活しなければならない。

あるいは、親の交際再婚などによって生活環境が大きく変わり、子どもが戸惑い居場所のなさを感じているにもかかわらず、その気持ちが十分に受け止められていないこともある。

もちろん、親にも人生がある。

離婚や再婚、新しい人生を歩むこと自体を否定するものではない。

しかし、その変化を最も大きく受けるのは子どもである。

大人にとっては新たな出発でも、子どもにとっては「安心して過ごせた日常」を失う出来事になることもある。

だからこそ、大切なのは、「親がどうしたいか」だけではなく、「子どもは今、何を感じているのか」に目を向けることである。

子どもは、自分の不安をうまく言葉にできないことが多い。

だから、「何も言わないから大丈夫」と考えるのではなく、「何も言えないのかもしれない」という視点を持つことも必要である。

家庭は、子どもが社会へ羽ばたいていくための土台である。

その土台が安心できる場所であれば、学校や社会でつまずいたとしても、子どもはもう一度立ち上がる力を得ることができる。

家は、子どもにとって最後の避難場所である。

その安心だけは、何があっても失わせてはいけないのである。


 

第七章 レッテル貼りをしてはいけない――子どもを診断名や評価で決めつけない


子どもは、日々成長している。

昨日できなかったことが、今日できるようになる。

苦手だったことを克服することもある。

新しい経験を通して、大きく成長することもある。

だからこそ、子どもを一つの言葉で決めつけてはいけない。

「この子は発達障害だから。」

「この子は問題児だから。」

「この子は内向的だから。」

「この子は何をやっても続かない。」

そんな言葉は、子どもの特性を説明しているようでいて

いつの間にか子どもの可能性まで決めつけてしまうことがある。

発達障害などの診断を受けることには意味があるかも知れない。

子どもの困りごとを理解し、適切な支援につなげるためである。

診断そのものが悪いわけではないかも知れない。

問題なのは、その診断名だけで子どもを見てしまうことである。

子どもは、診断名ではない。

一人ひとり違う個性を持ち、日々変化しながら成長していく存在である。

また、親が何気なく口にした言葉は、子どもの心に深く残ることがある。

「あなたは人見知りだから。」

「あなたは要領が悪い。」

「お兄ちゃんはできたのに。」

「どうして普通にできないの。」

最初は親の感想だった言葉も、繰り返されるうちに、子ども自身が「自分はそういう人間なんだ」と思い込んでしまうことがある。

これは心理学で「ラベリング」の影響として語られることもある。

人は、自分に貼られたレッテルを、自分自身の姿だと受け入れてしまいやすいからである。

親が子どもを見るときに大切なのは、「今できること」と「これから伸びる可能性」の両方を見ることである。

苦手なことがあってもいい。

支援が必要でもいい。

しかし、それだけで子どもの未来を決めつけてはいけない。

子どもは、親が思っている以上に成長する力を持っている。

その力を信じ続けることもまた、親の大切な役割なのである。


 

第八章 子どもを親の理想どおりに生きさせてはいけない――子どもの人生は、子どものものである


親は、子どもの幸せを願っている。

だからこそ、勉強を頑張ってほしいと思う。

良い学校へ進学してほしいと思う。

安定した仕事に就いてほしいと思う。

立派な大人になってほしいと思う。

それは、決して悪い願いではない。

むしろ、多くの親が抱く自然な願いである。

しかし、その願いがいつの間にか「親の理想」になってしまうことがある。

「あなたのためだから。」

その言葉は、親の愛情から生まれることが多い。

けれども、子どもが本当に望んでいることを確かめないまま、その言葉を繰り返してしまえば、子どもは自分の気持ちよりも、親の期待を優先するようになる。

親に褒められるために勉強する。

親を悲しませないために進路を選ぶ。

親を安心させるために、本当の気持ちを隠す。

それは、自分の人生を生きているようでいて、少しずつ親の人生を生きることにもつながりかねない。

もちろん、親には人生経験がある。

子どもよりも多くの失敗を経験し、多くのことを知っている。

だからこそ、助言をすることも、時には反対することも必要である。

しかし、助言と支配は違う。

導くことと決めることも違う。

親は、子どもの人生の案内人にはなれる。

けれども、運転手になってはいけない。

ハンドルを握るのは、最後は子ども自身である。

子どもは、親の所有物ではない。

一人の人格を持ち、自分の人生を歩んでいく一人の人間である。

親の役割は、その道を決めることではない。

子どもが転んだときに手を差し伸べ、迷ったときに相談に乗り、自分の足で歩いていけるよう支えることである。

子どもの幸せは、親の理想を実現することではない。

子ども自身が、自分の人生を自分で選び、自分らしく生きていけることである。

そのことを忘れない限り、親の愛情はきっと子どもの力になる。

そして、その積み重ねが、「安心して帰れる場所」と「自分を信じる力」を育み、子どもが社会へ羽ばたいていく大きな支えになっていくのである。


おわりに

完璧な親はいない。

子どもを叱りすぎてしまう日もある。

忙しくて話を聞いてあげられない日もある。

感情的になってしまうこともあるだろう。

だからこそ、大切なのは「一度も間違えないこと」ではない。

間違いに気づいたとき、立ち止まり、子どもの気持ちに目を向け、親自身も成長しようとする姿勢ではないだろうか。

本記事では、「親がしてはいけないこと」を八つの視点から考えてきた。

しかし、そのどれもが「親を責めるため」のものではない。

子どもを守ろうとする親の愛情を、子どもにとって本当に力になる形へと変えていくための提案である。

親は、子どもより多くの知識や経験を持っている。

だからこそ、教えることも、導くことも必要である。

一方で、子どもの心の中を知ることができるのは、子どもの話に耳を傾けたときだけである。

親の「正しさ」が、子どもにとっての「安心」とは限らない。

だからこそ、ときには「私は正しいだろうか」ではなく、「この子は今、どんな気持ちなのだろうか」と問いかけてみてほしい。

子どもは、親の思いどおりに育てる存在ではない。

一人の人格を持ち、自分の人生を歩んでいく存在である。

親の役割は、その人生を代わりに生きることではなく、転んだときに手を差し伸べ、迷ったときに帰ってこられる場所であり続けることだ。

家は、子どもにとって最後の避難場所である。

そして、その安心感は、やがて社会へ踏み出す勇気へと変わっていく。

親に必要なのは、厳しさだけでも、優しさだけでもない。

子どもを一人の人間として尊重し、その成長に寄り添い続けること。

その積み重ねこそが、子どもにとって何よりの愛情になるのではないだろうか。

いじめ撲滅ドットコム 普津澤峻


コメント

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旭川『誰のせいでもない』講演会

金子圭一元校長独占インタビュー

中山岳教頭の説明(保護者説明会)

B男(赤井楓翔)独占インタビュー

のむらパターソン和孝 旭川市議

ネバギバランド 木村浩一郎×工藤年泰

市の隠蔽を暴いた時の報道(テレ朝)

匿名さんのレビュー

元中学教員です。
書かれている内容から、どのような状況だったか、手に取るようにイメージできます。

「学校は何もしなかった」と安易にマスコミや世間は叩くけれど、じゃあ何ができたというのか。
自分たちが中学生の時、スマホやネットがなかった時代でさえ、「大人」が「中学生」を安易に理解できたか。「中学生」が「大人」に今日どこで何をしてどんなことがあったかを逐一報告したか。
自分たちの中学時代に置き換えて状況をもう少しでいいから想像して欲しい。
そこにスマホが加わることで、子供たちの世界はどれだけ大人から見えない物になってしまったか。
もう少し「中学生の今」を考えてみてほしい。

さらには、入学してきてたった数ヶ月の出来事。
生徒への理解、生徒同士の人間関係が少しずつ見えてきた矢先の事件であり、「いじめ」に相当する出来事のほとんどは学校外で起きていた。
教室内・学校内で起こっていたのであれば、学校・教師の責任を追及する声が上がっても仕方ない。
家庭に帰してからの出来事、さらには他校の生徒が絡んだ案件を、保護者すら把握できないのに、担任が、教員がどこまで即座に把握し、指導できるというのか。糾弾している人々にそのすべを教えてもらいたい。

もちろん、他校とも連携を取り、事実確認をしたり、それぞれ話をしたりはする。
一同に集めて話をするのは難しいし、さらにスマホの中での付き合いも加わると、人間関係が複雑で対応は困難を極める。
そこは本当に「学校の」責任の範疇なのか。
起きた事実が「いじめ」や「犯罪」かはさておき、放課後や夜間、休日に起きている出来事すら「学校・教師の責任」なのだろうか。

こんなにも多くの児童生徒が居場所を求めて公園に頻繁に長時間集まっていた。
その時点で保護者や地域にもできることはあったし、動くべきであった。
が、その責任は誰にも追及されない。

学校現場は、外部の方々が思っている何倍も、「トラブルの連続」である。
毎日のように何かしらのトラブルが起き、悩みを抱えた子がごまんといる。
そして、多感な成長過程にある子供たちは、常にそれぞれに課題を抱えている。

現場にいたとき、いつも子供たちに言ってきた。
「人と人とのトラブルは、0対100というケースはほとんどないんだよ。
向こうが全部悪い、私は悪くないと思ってるかもしれないけれど、自分にも何か問題がなかったか考えてみよう」
私は個人的に「限りなく0対100に近いケース」がいじめであると考えている。

本当に本当に悲しい事件だと思う。
しかし、残念ながら、似たような案件は、全国のあちこちに転がっている。
今回の被害者がそうであるかは私には分からないが、心に闇を抱える女の子の多くが、自らの性を、寂しさを解決する手段に使うケースを山ほど見てきた。
自分への興味関心を引き、誰かに求められる・必要とされる実感を得られる、最も分かりやすい「ツール」だからだ。
性の入口に立った中学生達は安易にそれに飛びつくし、特に勉強や部活への興味ややる気をなくし、目的や目標を持てずにいる子供たちにとっては、格好の娯楽となる。

「いじめだ!!」「学校の怠慢だ!!」と声高に叫び、介在した生徒・教員達を叩きまくることで何が生まれ、何が変わるというのか。
この件は、スマホ依存社会、同時に核家族化・共働き化が推し進んだ中で、そのすき間で危ういバランスの人間関係を保っている中学生なら、全国どこででも起こりえる事件だ。
表面化していないだけできっともう同じような事件はたくさん起きていると思う。
失われた尊い命を「無駄にしない」というのは、ただ誰かを叩き、吊るし、結果論で物を言うのではなく、その背景をしっかり理解し、原因や対応策を考え、さあやさんのように、寂しさや孤独を抱えた子供たちを救うこと。ただその一点にあると思う。

2024年6月30日 1:26 PM

匿名さんのレビュー

私も、入水後に入院した病院で治療を継続できなかったのか、ここがターニングポイントだったのかも?と思います。
児童デイや放課後デイは、家庭⇔学校⇔病院⇔福祉を繋ぎます
彼女特有の寂しさや人間関係の困難さ等のサポートが受けられる架け橋になれたはず。
この病院は、この点を指摘してました。
また、引っ越しや転校も彼女の気持ちからするともう少し慎重になれていたら、とも思います。
学校に弁護士を同伴して謝罪を受けられていたら、また入院費や引っ越し等の補償が出来ていたら、遺族はここまで執拗に先生や先輩を追い詰めなかったのか?遺族の本当の目的は何なのでしょう?私なら、売春させられていたとかレイプを受けた、と言われる方が娘の名誉の為に許せない行為ですが。そんな事を配信し続けるインフルエンサーには弁護士からの指摘はないですよね?
A子の「死ぬ気もないのに〜」って言う言葉も、受け取り方でこんなに変わってしまうなんて。A子にとっては、思い留めさせる為だった発言が彼女にとっては言って欲しくなかった一言。大人でも難しいなと思う出来事がまだ10代の子にダメ出しをする、そして死の責任まで言及する、ネットで名前も顔も出される、こんな世の中間違っている。
彼女の死で関係者の将来を潰す事、これが延長線で行われみんなが正義と信じ一致団結したように行われている事に吐き気がします。

2024年6月30日 7:53 PM

匿名さんのレビュー

子供に起こるさまざまな出来事。
起こった良いことを一緒に喜び、辛かったことを聞いて慰める役目を一番に担うべきなのは、子どもの変化に目を向け、小さな変化にも気付き、その原因を突き止めて解消するのは親の役目。

子どもの困りごとに寄り添い、その解消に繋がる道を模索するのも親の役目。
学校も行政も、親からのSOSを受け手助けをする1ピースでしか無い。

学校や行政のせいにし叩き続けている限り、いじめによる自死は無くならないだろう。

2024年6月30日 10:26 PM

学校とはさんのレビュー

再調査委員会の会見見ました。転校先の学校は前中学校でおきたいじめのフラッシュバックの対応までしなければならないのでしょうか。警察も学校もかなり高いレベルでの対応を要求されていますが、ひとりの生徒に対し無理だと感じました。学校の授業以外で校外やSNSを含めた対応を求められ、足りなかった場合は袋叩きに合うのであれば、誰も教員になれないと感じました。

2024年6月30日 11:44 PM

匿名さんのレビュー

発達障害の診断自体、専門医が少なく、予約して半年待ちはザラ。半年という時間は成長期の子供にとって貴重。思春期の二次障害については、受診できる病院が少ない。他県のものですが、これは全国的な課題だと思います。
15歳で思春期外来から精神科が受診先になることをみこした治療をすすめる。医師だけでなくコメディカルによるチーム医療ができる病院がよい。とスクールソーシャルワーカーをしている知人から聞いたことがあります。
遺族の手記が2つあり、文春本裏の30ページと、2021年8月18日公表3ページを読みましたが、いじめが起こる前後と学校側の対応のずさんさを強調した内容。
被害者にとっては小学校高学年から出現した特性ゆえの行動からの進級の選択、疲労につながる塾通い等の考慮、ネット依存状況の把握と離脱、なにより強く訴えている「さびしい」を受けとめてネット以外の心の安定につながる依存先を作っておくことだったと思います。この判断ができなかったという事では、母親にもこの時点で支援が必要だったと思います。
(実際のところはわかりませんが)
入院先での治療を継続すべきだったとのコメントが、ここまでに三人寄せられています。ここが転機だったでしょう。同感です。
再調査委員会最終報告は、自死といじめの因果関係を認めることで、被害者とさして年のかわらぬ子供達に、大人も背負うべきである責任を子供達に背負わす内容。代理人が誇らしげに全国モデルにと言ってたようですが、とんでもないことだと思います。なぜ死を選ぶほどつらい思いをしたのか。黒塗りなどせず公表し真実とむきあうことが、被害者の追悼です。

2024年7月2日 3:05 PM

匿名さんのレビュー

いじめ問題に関して被害者の発達障害について言及すると、
「発達障害を抱えているからっていじめられて良いというのか!」と批判する人が多い。
けれどそういう人達って、
発達障害を抱えている人達の生きづらさを理解しようとすらしていないし、発達障害に対して差別的な認識をしている。
そんな人達が被害者の事を理解せずに、自分の都合や当事者を蔑ろにした認識を押し付けるばかりで、
被害者だけでなく教師なども苦しめている事に目を向けない。

ふつざわさんは発達障害について言及しているけれど、
亡くなられた子が抱えていた特性に対して真摯に向き合っているからであって、そこには理解しようとする姿勢がある。
逆に、
彼を誹謗中傷している人達が、
理解されない事で苦しみ続けていた子に関して、
不都合な事実から目を逸らし続けるのは、
亡くなられた子が抱えていた苦しみを全く理解していないからとしか思えない。

私の場合、
私自身にそういう傾向があるからこそ、
当事者であるからこそ、
死にたくなるほど辛い思いをしてきた人の気持ちがわかる。
だからこそ、
亡くなられた子の等身大の人物像を隠蔽し、
自分達の都合の為に創り上げた虚像を掲げて、
更なる被害を生み出している連中に対して強い憤りを感じている。

イジメの有無ではなく、
「孤独(理解されない苦しみも含む)」こそが死に至らしめるほど心を苦しめる病であり、
衝動性がそれをより深刻な事態に発展させる要素。

2024年7月6日 7:10 AM

あるくむさんの応援メッセージ

世間の論調、それを形成したマスメディアの報じ方と実情がこれほどかけ離れていたことに、驚愕と強い反省を覚えます。昨日もマスメディアは詳細を伏せ、ヤフコメでは加害者晒しなどと全くの誤解憶測が飛び交ってます。とは言え昨日までの私の認識も大差ないものでした。恥ずかしいです。

真実はなぜ伏せられ続けたのか。遺族と協議して黒塗りしたという報道がなされていますが、その協議とは如何なる根拠で、いかなるプロセスで行われたのか。被害者と遺族の抱えた問題をプライバシー配慮という名の下に伏せたことは本当に正しいのか。それによって曲げられた真実は独り歩きして別の誰かを傷つける。社会課題を解決するふりをして、私たちは別の誰かに皺を寄せただけではないか。あなたの行為は多くの根本的な疑問を浮き彫りにしました。

自分も家族に精神障害者を抱えた当事者家族の立場から述べますが、全ての少年少女が障害や多様性を理解し対応できる日は来ないと思います。もちろん、そのための努力は尊いものですが、社会設計は理想や建前だけでは成立しない。そういう楽観論だけでいじめは無くならない。だからこそ本件は徹底した検証がなされるべきだと思いました。あなたが公開した行為の是非はともかく、行動を起こしたからには全ての経緯を公正な手段でつまびらかにしていただきたいと願います。メディアには、手記や告発レポートの形で切り取りしない全文を世に出す責任を果たしていただきたい。

2024年6月25日 6:11 AM

匿名さんからの応援メッセージ

公開してくれたんで、黒塗り版を作った人たちが何を隠したかったのか浮き彫りになると思う
後でゆっくり見させてもらいます、ありがとうございました

2024年6月25日 6:03 PM

匿名さんからの応援メッセージ

あなたは正義の味方です
これからも応援します

2024年6月25日 7:58 AM

匿名さんからの応援メッセージ

公開された正義感と勇気に敬服しました。
文春の記事のいい加減さに、あきれました。公開されなかったら、決して表に出てこなかった事実と感じます。
いじめと自死との関係性について、考えさせられました。
いじめを解決することで、自死を防ぐことができたか、疑問に感じるとともに、
結局、自死を防ぐ有効な手段が見当たらない(現在も)と感じました。

2024年6月25日 7:59 PM

匿名さんからの応援メッセージ

あれだけ大きく報じられ、全国からの問い合わせによって第三者委員会の調査が決まったのに、出来上がった報告書は黒塗りだらけで、なんだこれ?って思ったことを覚えています。
今回全てが読めて、リスク承知で公開してくれたことに、個人的にはありがとうございますと言いたいです

被害者の子が抱える、寂しさや、思春期と発達障害による特性の混ざりあった、お母さんとの衝突やクラスメートとの関わり方の悩み、自分を制御できないもどかしさ等、黒く塗られて知り得なかったことが知れ、どれほど辛かっただろう…と公表版の報告書を読んだ時よりも、より胸が痛みました
同時に、これらのことが何故隠されなければならなかったのか理解に苦しみます

また、ネットニュース等で悪の化身のような書かれかたをしていた校長先生はじめ教師の皆様が、なにも対応していなかったわけでは無かったと知ることができ、学校もすてたもんじゃないなとも思えました

AとBいう選択肢があって、Aを選択したのは間違いでBを選択すれば良かった(Bもするべきだった)
というような文言をよく目にしますが、AもBも選択していれば結果が違ったものになっていたかは誰にも解りません
現場の教師の方々は日々そういった選択を余儀なくされているのですから、むやみやたらに責めるのは辞めて欲しいです

調査報告書が誰かを責めるためのものではなく、起こってしまったことを次に生かすためのものでありますように
また、なるべく黒塗りのない状態で公表され、一人でも多くの人がいじめについて考えるものになりますように

2024年6月25日 10:45 PM

匿名さんからの応援メッセージ

テレビのニュースで見たので探してきました。
よくやった!感動した!!

2024年6月25日 11:35 PM

匿名さんからの応援メッセージ

これは大変勇気のいることだったでしょう。
それでもいじめとそれに関わる人間に立ち向かう姿に感動しました。

2024年6月26日 2:52 AM

匿名さんからの応援メッセージ

私は文春の記事を鵜呑みにして、学校の先生方を悪者と決めつけていました。
その事が恥ずかしいですし申し訳ない気持ちです。

学校の先生方はきちんと被害者に寄り添っていたと読み取れますし、
事実と異なる事を記事にされている加害少年達も一方で被害者と言えると思います。

一体誰のための何のための黒塗りだったのか。。

勇気を出して真実を公開して下さってありがとうございました。

2024年6月26日 8:35 AM

匿名さんからの応援メッセージ

あなたのYouTube Liveなどをよく拝見していました。
あの時、表立って言えないことがこんなにもあったのですね。
あなたの忍耐力に頭が下がります。

2024年6月28日 4:56 PM

匿名さんからの応援メッセージ

随分初期の頃から加害生徒とされる子・ご遺族の両方と繋がっておられたのですね
あなたがXで発信していたことの裏に様々な理由があったことを知りました
言葉が強かったり、一体何がしたいんだ…と思ったこともありましたが、理解できた気がします

2024年6月29日 8:04 PM

匿名さんからの応援メッセージ

2021年当時からふつざわさんの言葉を目にしており、自分なりに理解できたと思っていましたが
まだまだ知らなかった事ばかりで驚いています

いつの日だったか、あちらを立てるとこちらが立たなくなり悩むとどこかで言われていたように記憶しています

今回黒塗りなしの報告書を手にされて、相当悩まれたのではないかと想像しています

3年間見てきた中でこれだけは言えます

ふつざわさんは一貫して不当に叩かれている弱者の味方でした

これからも応援しております

2024年6月29日 8:35 PM

匿名希望さんからの応援メッセージ

黒塗り無しの報告書と内部告発を見て、事件の印象は全く変わりました。
いじめはあったものの、障害による特性と相まって起きた、事故に近い自死であったと認識しました。

加害児童と呼ばれる子達にも優しい面があり、何処にでも居る子供達なのだなと。

他にも知ってる嘘があれば告発してほしいです。
世論が変わるきっかけになると思います。

2024年6月30日 2:20 PM

匿名さんからの応援メッセージ

このサイトで今までの報道とは違う情報を知れてとても良かったです。
何があったのか、自殺だったのか家出だったのか、爽彩さんにしか分からない事ですが、苦悩を知り改善していく事が爽彩さんへの旭川市民として出来る誠意だと思っていました。
だから、某YouTuberに情報を提供した事もありました。
でも、彼は爽彩さんが売春させられていたとか加害児童と言われる子が暴力団と繋がっているとか、噂話をネットに流すだけ。
私にとっては、そんな証拠もない事をネットに流す事は爽彩さんの名誉を傷つける事、また爽彩さんへの誠意ではないと感じていました。
ただ、ネットでこのような意見を書けば加害児童の保護者か?と言われてしまうので。
一言言わせてください!
加害児童が何か今出ている情報よりもっと悪い事をしていても、あなた方の将来を潰していいとは思っていないし、爽彩さんもそんな事望んでいないと思っています。
あなた方が爽彩さんの事で反省や後悔をしていたら、他者に優しくしてあげてください。爽彩さんはきっと、それを望んでいますよ。
あなた方の将来を心配したり、少しでも健やかな毎日が送れる事を望んでいる旭川市民がいる事、お伝えしたかったです。

2024年7月1日 1:07 PM

いいじまさんからの応援メッセージ

自閉症スペクトラム障害の男児(8歳)父親です。
ウチの子もたまに「死にたい」とか衝動で飛び出したりします。

支援級や放課後等デイサービスに通って、今のところは協力いただきながらすくすくと育ってくれています。
成長すれば、色々と人間関係で出てくるかも知れません。

旭川事件は通りいっぺんの記事しか知りません。

ですが、
他人事とは思えず、大変勉強になりました。

ありがとうございます。

2024年7月1日 4:36 PM

匿名さんからの応援メッセージ

ふつざわさんの主張は、
発達障害を抱えている子が抱えていた本当の問題を理解しているからこそだと思うよ。

死にたくなるほど苦しんでいる子達に真剣に向き合ったことがない人達には分からないみたいだけれど、
孤独や理解されない苦しみこそが子供を死に至らしめる問題の本質だよ。

そもそも虐められても支えてくれる存在がいれば人は死を選ばない。

本件は、
支えるどころか自分達の都合を子供にも学校にも押し付けるばかりで、
子の認知を歪めに歪めて更に精神状態を悪化させた上に、
子供の孤立を更に深刻化させた人達が何故か被害者面し、
問題の解決に向き合っていた人達が不当に誹謗中傷されていることが問題。

2024年7月6日 9:33 AM

匿名さんからの応援メッセージ

「顔や名前が出てしまっているけど、遺族側から出てる情報だけでこんな状況おかしくないか?」と思っていても見て見ぬふりのいじめを続けていた私がいます
でも、ふつざわさんの話を見て考えが改まりました
ふつざわさんの話を一方的に信じているわけではなくて、爽彩さんが失踪したとの情報が出て以降、疑問に感じていた事がふつざわさんの話だと納得できる、一番辻褄が合うと感じたからです
だからって、今更私が声をあげても遅いのかも、見て見ぬふりをした時間は戻ってこない
爽彩さんの為にも、今 名前や顔を出てる人達の為にも、やっぱり私も動きます、ふつざわさんだけでなく私も。

2024年7月11日 3:04 PM

匿名さんからの応援メッセージ

陰ながら私も何か出来る事をしていきたいと思います。
優しい子ばかりが傷つくのは、もう嫌です…。

2024年7月14日 8:29 AM

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