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俺が人と付き合う上で、譲れないこと/いじめ撲滅ドットコム 普津澤峻


はじめに

俺は、これまで色々な人に助けてもらってきた。

そのことについては、今でも感謝している。

ただ、感謝しているからといって、何でも受け入れられるわけではない。

俺には、どうしても嫌なことや、譲れないことがある。

そして、俺自身もそんなに出来た人間ではない。

間違えることもあるし、感情的になることもある。

格好をつけることも、姑息なことをすることもある。

人に対して「ダサいな」と思っていることを、自分でやってしまうことだってあると思う。

だから、この記事で「人間はこうあるべきだ」と言うつもりはない。

ただ、俺が人と関わる中で、何を大切だと思い、何を嫌だと思うのか。

その辺りを、一度ちゃんと書いておこうと思った。

人間関係では、言わなくても分かってもらえると思っていたことが、意外と伝わっていないことがある。

俺も、嫌だと思いながらその場では何も言わず、後になって距離を取ることがある。

それなら最初から、自分がどういう人間なのかをある程度伝えておいた方が、お互いに余計な誤解をしなくて済む。

もちろん、ここに書いたことを読んだからといって、俺に合わせてほしいわけではない。

合う人とは自然に付き合えばいいし、合わない人とは無理に付き合わなくていい。

俺もその方が楽だ。


目次

第一章 感謝はする。でも、ほとんど返せない。

第二章 俺との関係を勝手に決めないでほしい。

第三章 自分を大きく見せることに夢中な人とは合わない。

第四章 喧嘩は好きだが、いじめは嫌い。

第五章 格好悪い部分を必死に隠し、その上に立派な自分を作り続ける人が苦手。


 

第一章 感謝はする。でも、ほとんど返せない。


活動を応援してくれた人もいれば、困っているときに手を差し伸べてくれた人もいる。

俺のために時間やお金を使い、実際に動いてくれた人もいる。

そのことには、今でも感謝している。

ただ、その感謝に十分な形で報いることは、たぶんできない。

感謝はする。でも、ほとんど返せない。

これが俺だ。

してもらったことを軽く考えているわけではないし、返したくないわけでもない。

単純に、俺にはそこまでの力がない。

俺が使える時間も、気力も、行動力も限られている。

そして、その限られた力を何に使うのかについては、自分の中で優先順位が決まっている。

まず、家族。

そして、目の前でいじめられている子供がいるなら、そのいじめを止めること。

俺は、そこに自分の力を使いたい。

だから、仲間からどれだけ多くのものを受け取っても、それと同じだけのものを返すことはできないと思う。

100のことをしてもらって、10しか返せないかもしれない。

1しか返せないかもしれない。

何もできないことだってある。

申し訳ないとは思う。

でも、「いつか必ず返す」とは言えない。

仮に俺に余力ができても、その力を家族や、困っている子供のために使うかもしれないからだ。

仲間が大切ではないという話ではない。

困っているときに、俺にできることがあれば助けることもある。

ただ、それを約束することはできない。

だから、俺に何かをしてくれる人には、同じだけのものが自分にも返ってくるとは期待しないでほしい。

こう書くと、薄情に見えると思う。

実際、俺には薄情なところがあるのかもしれない。

上下の関係が出来上がったと勘違いする。

人から受けた恩にきちんと報いながら、人間関係を大切にしていける人を見ると、俺よりずっと人間ができていると思うこともある。

でも、できないことをできるように見せて付き合うことはしたくない。

俺は、してもらったことには感謝する。

関係が変わっても、「あのとき助けてもらった」という事実まで忘れるつもりはない。

ただ、その恩に十分報いることができるとは約束できない。

俺には、家族と、目の前のいじめを止めるための力しかない。

それでもいいと思ってくれる人と、俺は付き合っていきたい。


 

第二章 俺との関係を勝手に決めないでほしい。


俺は、人から勝手に関係を決められることが苦手だ。

これまで、俺のことを「右腕」「弟子」「後継者」などと呼ぶ人がいた。

反対に、自分のことを俺の「父」「母」のような存在だと認識し、それを周囲に公言する人もいた。

多くの場合、そこに悪意はないのだと思う。

親しみを持ってくれていたり、大切に思ってくれていたりするからこそ、そういう言葉が出てくることもある。

その気持ちは嬉しいし、ありがたい。

ただ、それと俺がその関係を受け入れることは別だ。

俺がその人を師匠だと思っていないのに、弟子と呼ばれる。

その人の思想や活動を受け継ぐつもりがないのに、後継者と呼ばれる。

とても違和感があるし、抵抗がある。

「右腕」についても、俺自身がそういう関係だと思っていなければ同じ。

父や母については、もっと単純だ。

俺の父親は、適当なことばっかり言っている、あの親父だけだ。

俺の母親は、論理的でもないくせに口うるさい、あのお袋だけだ。

色々と思うところはあるけれど、俺にとって父と母はあの二人しかいない。

ただ、俺の方から親しい年上の人に「兄貴」「姉さん」と呼ぶこともある。

相手との関係やその場の空気を見て、そう呼べば喜んでくれるだろうと思ったときに、親しみを込めて使っている。

だから、呼び方そのものが嫌なわけではない。

俺が嫌なのは、呼び方ではなく、その呼び方によって関係まで一方的に決められてしまうことだ。

最初は冗談や親しみの表現だったものが、いつの間にか当然の関係として扱われる。

周囲にもそう説明され、その関係を前提に俺のことを語られる。

さらに、その関係に応じた振る舞いまで求められる。

上下の関係が出来上がったと勘違いされることもある。

そうなってくると、俺は窮屈になる。

俺は、人に助けてもらうこともある。

相談することも、教えてもらうことも、頼ることもある。

第一章で書いた通り、そのことには感謝している。

でも、助けてもらったから弟子になるわけではないし、教えてもらったから後継者になるわけでもない。

親しくなったから家族になるわけでもない。

俺との関係を、自分を大きく見せるために使われることにも抵抗がある。

「自分が育てた」

「自分が面倒を見てきた」

「自分の後継者だ」

そんなふうに語られれば、俺が自分で考え、自分で選び、積み上げてきたものまで、その人から与えられたもののように見えてしまう。

それは嫌だ。

もちろん、実際に世話になったことまで否定するつもりはない。

教えてもらったことがあれば認めるし、助けてもらったことには感謝する。

尊敬しているところがあれば、普通に尊敬していると言う。

それで十分だと思っている。

たぶん俺は、人との距離感について少し面倒くさいところがある。

相手からすれば、「そんな深い意味で言っていない」と思うこともあるだろう。

俺も、そのくらいは分かっている。

だから、一度や二度そう呼ばれただけで腹を立てるわけではない。

ただ、それが繰り返され、いつの間にか既成事実になっていくのは嫌だ。

そして俺は、嫌だと思ってもその場では言わず、後になって距離を取ってしまうことがある。

だから、先に書いておきたい。

親しくしてくれるのは嬉しい。

世話になったことには感謝する。

でも、俺との関係を勝手に決めないでほしい。

俺とあなたがどういう関係なのかは、どちらか一方だけで決めるものではないと思っている。

特別な名前がなくても、俺は十分にあなたと親しくなれる。


 

第三章 自分を大きく見せることに夢中な人とは合わない。


俺は、自分を大きく見せることばかりに夢中な人が苦手だ。

ハッタリやブランディングそのものを悪いとは思っていない。

自分の実績を伝えたり、見せ方を工夫したりすることは、社会で何かをしようと思えば必要になる。

俺だって、自分をよく見せようとする。

ただ、そればかりになるとうんざりする。

誰と知り合いなのか。

どんな肩書きを持っているのか。

誰から評価されているのか。

どれだけ難しいことを知っているのか。

そんなものを次々と並べ、自分の価値を高く見せようとする姿を見ると、逆に頭が悪そうに見えてしまう。

自分を大きく見せることばかりに夢中な人は、知能が低そうに見える。

もっと頭を使うところがあるだろうと思うからだ。

議論でも、似たようなことを感じる。

「専門家が言っている」

「普通はこう考える」

「それが社会の常識だ」

専門家の知見には価値があるし、広く共有されている常識にも、それなりの理由はある。

それらを無視すればいいとは思っていない。

それでも、「専門家が言っているから正しい」で話を終わらせることには納得できない。

なぜ、その説明が妥当なのか。

なぜ、それを正しいと考えるのか。

俺が知りたいのは、その中身だ。

肩書きや多数派であることは、考えることの代わりにはならない。

専門用語や知識を使ってマウントを取ろうとする人にも、同じようなものを感じる。

簡単に説明できる話を、わざと難しくする。

必要以上に専門用語を使う。

本筋とは関係の薄い知識まで持ち出す。

そうやって相手の知らないことを並べ、自分の方が物を知っていると示そうとする。

俺には、あれが賢く見えない。

本当に難しい話なら、難しくなるのは仕方がない。

正確に説明するため、専門用語を使わなければならない場面もある。

単純に俺の知識が足りず、理解できない場合もある。

俺が嫌なのは、難しい話そのものではない。

難しさや知識を、自分を大きく見せるための道具にすることだ。

俺には、大した学歴がない。

しかし、そのことを卑下したことは、ほとんどない。

むしろ、そういうものを何も持っていないのに、色々な人と話し、色々な場所に首を突っ込み、ここまで渡り合ってきた自分を面白いと思っている。

だからなのか、俺には権威というものがよく分からない。

立派な大学を出ているから正しい。

肩書きがあるから正しい。

有名な人の発言だから正しい。

みんなが信じているから正しい。

そう言われても、それだけでは納得できない。

偉い人でも間違える。

常識だって変わる。

何の肩書きもない人が、筋の通ったことを言っている場合もある。

だったら、その人が何者なのかより、何を言っているのかを見ればいい。

俺はそう思っている。

他人の失敗や過ちを、自分を大きく見せる材料にする人も苦手だ。

誰かの間違いを見つけて、それを批判すること自体は何とも思わない。

俺もやる。

しかし、その失敗を必要以上に強調し、「あいつと違って自分は正しい」「自分の方が優れている」と見せようとする姿には、どうしても嫌悪感を覚える。

他人の失敗を使って自分を大きく見せようとする人は、見苦しい。

自分の価値を示したいなら、自分の持っているもので示せばいい。

他人を小さく見せなければ自分を大きく見せられないのなら、その大きさに何の意味があるのだろうと思う。

俺との関係を箔付けに使われることが嫌なのも、同じ理由だ。

俺と親しい。

昔から俺を知っている。

俺を助けたことがある。

そうした関係を、自分の価値を高める材料として利用されることには抵抗がある。

俺は、肩書きのある人が嫌いなわけではない。

知識のある人も好きだし、頭のいい人と話すのも好きだ。

自分を上手に見せることも否定しない。

ただ、中身よりも「どう見られるか」にばかり力を使っている人とは、たぶん合わない。

俺が話したいのは、権威を借りなくても、自分の頭で考え、自分の言葉で話せる人だ。

肩書きがあってもなくても、それなら話せる。

俺にとって大事なのは、そこだ。


 

第四章 喧嘩は好きだが、いじめは嫌い。


俺は、喧嘩が好きだ。

もちろん、殴り合いをしたいという意味ではない。

勝負が好きなのだ。

論戦も好きだし、お互いに自分の持っているものを出して競うことも好きだ。

相手が強ければ、それだけ面白い。

勝てば嬉しいし、負ければ悔しい。

負けた後に「あのとき、こう言えばよかった」と考えることもある。

それも含めて、俺は勝負を楽しんでいる。

だから、争うこと自体を悪いとは思っていない。

意見が違うなら、ぶつかればいい。

勝ちたいなら、勝とうとすればいい。

俺だって勝ちたい。

できれば、自分の得意なところで戦いたい。

わざわざ不利な条件を選びたいとも思わない。

でも、いじめは嫌いだ。

俺の中では、喧嘩といじめは全く違う。

特に嫌いなのは、自分より明らかに弱い相手を選び、その優位性を利用して勝ち誇る人間だ。

例えば、体重100キロで格闘技を何年も続けている人間が、格闘技経験のない体重50キロの人間に自分から喧嘩を売る。

勝った後、「俺の方が強い」と得意げになっていたら、俺は格好悪いと思う。

そりゃ勝つだろ、という話でしかない。

体格でも経験でも圧倒的に有利なのだから、勝ったところで強さの証明にはならない。

強さを示したいなら、せめて自分と同じくらいの相手と戦えばいい。

もっと強い相手に挑むなら、なお格好いい。

これは、殴り合いに限った話ではない。

長い経験を持つ人間が、何も知らない初心者を知識で叩きのめす。

大勢で、一人の相手を囲む。

大きな発言力を持つ人間が、ほとんど反論する手段を持たない相手を吊し上げる。

俺には、どれも同じように見える。

そして、そんな圧倒的に有利な条件で勝った後にドヤ顔をする人間を見ると、ガキだなと思う。

自分に都合のいいルールで勝ってドヤ顔する奴はガキだ。

ただし、俺は「どんな勝負でも完全に公平でなければならない」と言いたいわけではない。

勝負なのだから、自分の強みを使えばいい。

知識があるなら知識を使えばいいし、経験があるなら経験を使えばいい。

自分の得意な土俵に相手を誘うことも、戦い方の一つだと思っている。

一対一で、

「俺はこれが得意だ。これで勝負しよう」

と来るなら、むしろ嫌いではない。

無論、受けるかどうかは俺が決める。

俺が嫌なのは、圧倒的に有利な条件を利用して弱い相手に絡み、勝ったことを自分の強さの証明として見せびらかすことだ。

俺には、それが強さではなく、弱い相手しか選べない臆病さに見える。

勝負がついた後の追い討ちも嫌いだ。

相手が負けを認めた。

謝った。

撤退した。

もう戦う意思を見せていない。

それでも攻撃を続ける。

過去を掘り返し、周囲にも攻撃を呼びかけ、相手が立ち上がれなくなるまで叩こうとする。

そこまでいけば、俺にはもう勝負には見えない。

もちろん、謝れば何をしても許されるという話ではない。

被害が続いているなら止めなければならない。

俺が嫌なのは、問題を解決するために必要な範囲を越えて、相手を苦しめること自体が目的になっていくことだ。

勝負なら、勝敗がついたら終わりでいい。

昨日まで激しく争っていた相手でも、終わったならそれでいい。

倒れた相手をさらに蹴って、自分の強さを確認する必要はない。

俺には、あれが醜く見える。

俺だって、腹が立てば相手を徹底的に言い負かしたくなることはある。

負けた相手に余計な一言を言いたくなることもある。

だから、自分がいつも綺麗に勝負を終えられる人間だとは思っていない。

それでも、そういう自分にはなりたくないと思っている。

俺は喧嘩が好きだ。

勝負も論戦も好きだ。

勝つために頭を使うのも好きだ。

でも、弱い相手を選んで痛めつけることには興味がない。

立っている相手とは戦いたい。

倒れた相手を蹴る人間にはなりたくない。

俺にとって、喧嘩といじめの違いは、そこにある。


 

第五章 格好悪い部分を必死に隠し、その上に立派な自分を作り続ける人が苦手。


俺は、自分をよく見せようとすること自体は悪いと思っていない。

格好をつけることもあるし、人からよく思われたい気持ちもある。

下心だってある。

誰だって、多少は自分をよく見せながら生きていると思う。

ただ、それが行き過ぎて、本音まで見えなくなっている人は苦手だ。

特に、何かしらの欲を満たすために、本音を隠し続けている人には気味の悪さを感じる。

例えば、女性に好かれたいのに、その欲を徹底的に隠しながら、紳士や常識人を演じ続ける人がいる。

善良なことを言う。

女性に理解があることを示す。

冗談を言うときも、常識人の範囲から決してはみ出さない。

もちろん、本当にそういう人なら何とも思わない。

俺が苦手なのは、言動の端々から別の欲が透けて見えているのに、それだけは絶対に認めようとしない人だ。

そういう人と話していると、ときどき、

「この会話も、女が聞いていることを踏まえてやっているんだろうな」

と思うことがある。

俺だって姑息なことはする。

女性の前で格好をつけることもあるし、相手からどう見られるかを考えて話すこともある。

だから、そういう計算をするなと言いたいわけではない。

ただ、姑息なのはお互い様でも、あまりに姑息だとダサく見える。

善人だと思われたい。

常識人だと思われたい。

男からも信用されたい。

女性からも好かれたい。

モテたい。

でも、下心のある男だとは思われたくない。

何も失わずに、全部取ろうとする。

俺には、そんなふうに見える。

そして、全部を取ろうとしているうちは、結局何も取れないんじゃないかと思っている。

少なくとも、その人自身が見えないままでは、俺は深く付き合いたいとは思わない。

欲を満たす目的で本音を隠し続けている人は、気味が悪い。

人に媚びる態度についても、似たような違和感がある。

俺は、自分に必要以上に媚びてくる人が好きではない。

何でも同意する。

やたらと持ち上げる。

機嫌を窺う。

そんなことをされると疲れるので、「俺に媚びなくていい」と言うことがある。

すると、なぜか急に態度がデカくなる人がいる。

馴れ馴れしくなったり、言葉遣いが雑になったり、必要以上に強く当たってきたりする。

いや、そういうことじゃない。

媚びるなと言っている。偉そうにしろとは言っていない。

普通にしてほしいだけだ。

俺が間違っていると思えば、違うと言えばいい。

反対意見があるなら、普通に言えばいい。

俺を持ち上げる必要もなければ、対等であることを示すために態度を大きくする必要もない。

媚びるか、偉そうにするか。

その二択しかない人を見ると、どう接していいのか分からなくなる。

悪口についても、似たところがある。

俺は、人の悪口を聞くこと自体は嫌いではない。

俺だって言う。

嫌いな人間もいるし、腹が立てば誰かに愚痴を言いたくなる。

だから、「人の悪口を言う人は信用できない」なんてことは思っていない。

ただ、その悪口を聞いているうちに、

「これ、本人には絶対に言えないんだろうな」

と感じると、一気に冷める。

もちろん、何でも本人に言えばいいわけではない。

余計な争いを避けるために黙っていることも必要だし、言わない方がいい場面はいくらでもある。

俺だって、本人には言わない悪口を言うことはある。

でも、本当は怖くて言えないだけなのに、それを「大人の対応」「相手にする価値がない」などと説明しながら、安全な場所では威勢よく相手を罵っている姿はダサいと思う。

怖いなら、怖いでいい。

「本人には言えない。怖いから(笑)」

とでも言ってくれた方が、俺はよほど信用できる。

臆病であることが嫌なのではない。

俺だって臆病になる。

自分の弱さを隠すために、強い人間を演じることが苦手なのだ。

戦えない人間の武勇伝みたいな悪口は、聞きたくない。

下心がある。

臆病になる。

人に媚びる。

格好をつける。

姑息なことをする。

俺にも全部ある。

だから、それだけで人を嫌いにはならない。

ただ、そういう格好悪い部分も含めて、「俺はこんなもんだ」と認めている人の方が付き合いやすい。

俺が苦手なのは、自分の格好悪い部分を必死に隠し、その上に立派な自分を作り続ける人だ。

完璧な善人でなくていい。

立派な常識人でなくてもいい。

強い人間でなくてもいい。

少しくらい格好悪くても、その人自身が見える方がいい。

俺は、そういう人と話したい。

いじめ撲滅ドットコム 普津澤峻


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匿名さんのレビュー

元中学教員です。
書かれている内容から、どのような状況だったか、手に取るようにイメージできます。

「学校は何もしなかった」と安易にマスコミや世間は叩くけれど、じゃあ何ができたというのか。
自分たちが中学生の時、スマホやネットがなかった時代でさえ、「大人」が「中学生」を安易に理解できたか。「中学生」が「大人」に今日どこで何をしてどんなことがあったかを逐一報告したか。
自分たちの中学時代に置き換えて状況をもう少しでいいから想像して欲しい。
そこにスマホが加わることで、子供たちの世界はどれだけ大人から見えない物になってしまったか。
もう少し「中学生の今」を考えてみてほしい。

さらには、入学してきてたった数ヶ月の出来事。
生徒への理解、生徒同士の人間関係が少しずつ見えてきた矢先の事件であり、「いじめ」に相当する出来事のほとんどは学校外で起きていた。
教室内・学校内で起こっていたのであれば、学校・教師の責任を追及する声が上がっても仕方ない。
家庭に帰してからの出来事、さらには他校の生徒が絡んだ案件を、保護者すら把握できないのに、担任が、教員がどこまで即座に把握し、指導できるというのか。糾弾している人々にそのすべを教えてもらいたい。

もちろん、他校とも連携を取り、事実確認をしたり、それぞれ話をしたりはする。
一同に集めて話をするのは難しいし、さらにスマホの中での付き合いも加わると、人間関係が複雑で対応は困難を極める。
そこは本当に「学校の」責任の範疇なのか。
起きた事実が「いじめ」や「犯罪」かはさておき、放課後や夜間、休日に起きている出来事すら「学校・教師の責任」なのだろうか。

こんなにも多くの児童生徒が居場所を求めて公園に頻繁に長時間集まっていた。
その時点で保護者や地域にもできることはあったし、動くべきであった。
が、その責任は誰にも追及されない。

学校現場は、外部の方々が思っている何倍も、「トラブルの連続」である。
毎日のように何かしらのトラブルが起き、悩みを抱えた子がごまんといる。
そして、多感な成長過程にある子供たちは、常にそれぞれに課題を抱えている。

現場にいたとき、いつも子供たちに言ってきた。
「人と人とのトラブルは、0対100というケースはほとんどないんだよ。
向こうが全部悪い、私は悪くないと思ってるかもしれないけれど、自分にも何か問題がなかったか考えてみよう」
私は個人的に「限りなく0対100に近いケース」がいじめであると考えている。

本当に本当に悲しい事件だと思う。
しかし、残念ながら、似たような案件は、全国のあちこちに転がっている。
今回の被害者がそうであるかは私には分からないが、心に闇を抱える女の子の多くが、自らの性を、寂しさを解決する手段に使うケースを山ほど見てきた。
自分への興味関心を引き、誰かに求められる・必要とされる実感を得られる、最も分かりやすい「ツール」だからだ。
性の入口に立った中学生達は安易にそれに飛びつくし、特に勉強や部活への興味ややる気をなくし、目的や目標を持てずにいる子供たちにとっては、格好の娯楽となる。

「いじめだ!!」「学校の怠慢だ!!」と声高に叫び、介在した生徒・教員達を叩きまくることで何が生まれ、何が変わるというのか。
この件は、スマホ依存社会、同時に核家族化・共働き化が推し進んだ中で、そのすき間で危ういバランスの人間関係を保っている中学生なら、全国どこででも起こりえる事件だ。
表面化していないだけできっともう同じような事件はたくさん起きていると思う。
失われた尊い命を「無駄にしない」というのは、ただ誰かを叩き、吊るし、結果論で物を言うのではなく、その背景をしっかり理解し、原因や対応策を考え、さあやさんのように、寂しさや孤独を抱えた子供たちを救うこと。ただその一点にあると思う。

2024年6月30日 1:26 PM

匿名さんのレビュー

私も、入水後に入院した病院で治療を継続できなかったのか、ここがターニングポイントだったのかも?と思います。
児童デイや放課後デイは、家庭⇔学校⇔病院⇔福祉を繋ぎます
彼女特有の寂しさや人間関係の困難さ等のサポートが受けられる架け橋になれたはず。
この病院は、この点を指摘してました。
また、引っ越しや転校も彼女の気持ちからするともう少し慎重になれていたら、とも思います。
学校に弁護士を同伴して謝罪を受けられていたら、また入院費や引っ越し等の補償が出来ていたら、遺族はここまで執拗に先生や先輩を追い詰めなかったのか?遺族の本当の目的は何なのでしょう?私なら、売春させられていたとかレイプを受けた、と言われる方が娘の名誉の為に許せない行為ですが。そんな事を配信し続けるインフルエンサーには弁護士からの指摘はないですよね?
A子の「死ぬ気もないのに〜」って言う言葉も、受け取り方でこんなに変わってしまうなんて。A子にとっては、思い留めさせる為だった発言が彼女にとっては言って欲しくなかった一言。大人でも難しいなと思う出来事がまだ10代の子にダメ出しをする、そして死の責任まで言及する、ネットで名前も顔も出される、こんな世の中間違っている。
彼女の死で関係者の将来を潰す事、これが延長線で行われみんなが正義と信じ一致団結したように行われている事に吐き気がします。

2024年6月30日 7:53 PM

匿名さんのレビュー

子供に起こるさまざまな出来事。
起こった良いことを一緒に喜び、辛かったことを聞いて慰める役目を一番に担うべきなのは、子どもの変化に目を向け、小さな変化にも気付き、その原因を突き止めて解消するのは親の役目。

子どもの困りごとに寄り添い、その解消に繋がる道を模索するのも親の役目。
学校も行政も、親からのSOSを受け手助けをする1ピースでしか無い。

学校や行政のせいにし叩き続けている限り、いじめによる自死は無くならないだろう。

2024年6月30日 10:26 PM

学校とはさんのレビュー

再調査委員会の会見見ました。転校先の学校は前中学校でおきたいじめのフラッシュバックの対応までしなければならないのでしょうか。警察も学校もかなり高いレベルでの対応を要求されていますが、ひとりの生徒に対し無理だと感じました。学校の授業以外で校外やSNSを含めた対応を求められ、足りなかった場合は袋叩きに合うのであれば、誰も教員になれないと感じました。

2024年6月30日 11:44 PM

匿名さんのレビュー

発達障害の診断自体、専門医が少なく、予約して半年待ちはザラ。半年という時間は成長期の子供にとって貴重。思春期の二次障害については、受診できる病院が少ない。他県のものですが、これは全国的な課題だと思います。
15歳で思春期外来から精神科が受診先になることをみこした治療をすすめる。医師だけでなくコメディカルによるチーム医療ができる病院がよい。とスクールソーシャルワーカーをしている知人から聞いたことがあります。
遺族の手記が2つあり、文春本裏の30ページと、2021年8月18日公表3ページを読みましたが、いじめが起こる前後と学校側の対応のずさんさを強調した内容。
被害者にとっては小学校高学年から出現した特性ゆえの行動からの進級の選択、疲労につながる塾通い等の考慮、ネット依存状況の把握と離脱、なにより強く訴えている「さびしい」を受けとめてネット以外の心の安定につながる依存先を作っておくことだったと思います。この判断ができなかったという事では、母親にもこの時点で支援が必要だったと思います。
(実際のところはわかりませんが)
入院先での治療を継続すべきだったとのコメントが、ここまでに三人寄せられています。ここが転機だったでしょう。同感です。
再調査委員会最終報告は、自死といじめの因果関係を認めることで、被害者とさして年のかわらぬ子供達に、大人も背負うべきである責任を子供達に背負わす内容。代理人が誇らしげに全国モデルにと言ってたようですが、とんでもないことだと思います。なぜ死を選ぶほどつらい思いをしたのか。黒塗りなどせず公表し真実とむきあうことが、被害者の追悼です。

2024年7月2日 3:05 PM

匿名さんのレビュー

いじめ問題に関して被害者の発達障害について言及すると、
「発達障害を抱えているからっていじめられて良いというのか!」と批判する人が多い。
けれどそういう人達って、
発達障害を抱えている人達の生きづらさを理解しようとすらしていないし、発達障害に対して差別的な認識をしている。
そんな人達が被害者の事を理解せずに、自分の都合や当事者を蔑ろにした認識を押し付けるばかりで、
被害者だけでなく教師なども苦しめている事に目を向けない。

ふつざわさんは発達障害について言及しているけれど、
亡くなられた子が抱えていた特性に対して真摯に向き合っているからであって、そこには理解しようとする姿勢がある。
逆に、
彼を誹謗中傷している人達が、
理解されない事で苦しみ続けていた子に関して、
不都合な事実から目を逸らし続けるのは、
亡くなられた子が抱えていた苦しみを全く理解していないからとしか思えない。

私の場合、
私自身にそういう傾向があるからこそ、
当事者であるからこそ、
死にたくなるほど辛い思いをしてきた人の気持ちがわかる。
だからこそ、
亡くなられた子の等身大の人物像を隠蔽し、
自分達の都合の為に創り上げた虚像を掲げて、
更なる被害を生み出している連中に対して強い憤りを感じている。

イジメの有無ではなく、
「孤独(理解されない苦しみも含む)」こそが死に至らしめるほど心を苦しめる病であり、
衝動性がそれをより深刻な事態に発展させる要素。

2024年7月6日 7:10 AM

あるくむさんの応援メッセージ

世間の論調、それを形成したマスメディアの報じ方と実情がこれほどかけ離れていたことに、驚愕と強い反省を覚えます。昨日もマスメディアは詳細を伏せ、ヤフコメでは加害者晒しなどと全くの誤解憶測が飛び交ってます。とは言え昨日までの私の認識も大差ないものでした。恥ずかしいです。

真実はなぜ伏せられ続けたのか。遺族と協議して黒塗りしたという報道がなされていますが、その協議とは如何なる根拠で、いかなるプロセスで行われたのか。被害者と遺族の抱えた問題をプライバシー配慮という名の下に伏せたことは本当に正しいのか。それによって曲げられた真実は独り歩きして別の誰かを傷つける。社会課題を解決するふりをして、私たちは別の誰かに皺を寄せただけではないか。あなたの行為は多くの根本的な疑問を浮き彫りにしました。

自分も家族に精神障害者を抱えた当事者家族の立場から述べますが、全ての少年少女が障害や多様性を理解し対応できる日は来ないと思います。もちろん、そのための努力は尊いものですが、社会設計は理想や建前だけでは成立しない。そういう楽観論だけでいじめは無くならない。だからこそ本件は徹底した検証がなされるべきだと思いました。あなたが公開した行為の是非はともかく、行動を起こしたからには全ての経緯を公正な手段でつまびらかにしていただきたいと願います。メディアには、手記や告発レポートの形で切り取りしない全文を世に出す責任を果たしていただきたい。

2024年6月25日 6:11 AM

匿名さんからの応援メッセージ

公開してくれたんで、黒塗り版を作った人たちが何を隠したかったのか浮き彫りになると思う
後でゆっくり見させてもらいます、ありがとうございました

2024年6月25日 6:03 PM

匿名さんからの応援メッセージ

あなたは正義の味方です
これからも応援します

2024年6月25日 7:58 AM

匿名さんからの応援メッセージ

公開された正義感と勇気に敬服しました。
文春の記事のいい加減さに、あきれました。公開されなかったら、決して表に出てこなかった事実と感じます。
いじめと自死との関係性について、考えさせられました。
いじめを解決することで、自死を防ぐことができたか、疑問に感じるとともに、
結局、自死を防ぐ有効な手段が見当たらない(現在も)と感じました。

2024年6月25日 7:59 PM

匿名さんからの応援メッセージ

あれだけ大きく報じられ、全国からの問い合わせによって第三者委員会の調査が決まったのに、出来上がった報告書は黒塗りだらけで、なんだこれ?って思ったことを覚えています。
今回全てが読めて、リスク承知で公開してくれたことに、個人的にはありがとうございますと言いたいです

被害者の子が抱える、寂しさや、思春期と発達障害による特性の混ざりあった、お母さんとの衝突やクラスメートとの関わり方の悩み、自分を制御できないもどかしさ等、黒く塗られて知り得なかったことが知れ、どれほど辛かっただろう…と公表版の報告書を読んだ時よりも、より胸が痛みました
同時に、これらのことが何故隠されなければならなかったのか理解に苦しみます

また、ネットニュース等で悪の化身のような書かれかたをしていた校長先生はじめ教師の皆様が、なにも対応していなかったわけでは無かったと知ることができ、学校もすてたもんじゃないなとも思えました

AとBいう選択肢があって、Aを選択したのは間違いでBを選択すれば良かった(Bもするべきだった)
というような文言をよく目にしますが、AもBも選択していれば結果が違ったものになっていたかは誰にも解りません
現場の教師の方々は日々そういった選択を余儀なくされているのですから、むやみやたらに責めるのは辞めて欲しいです

調査報告書が誰かを責めるためのものではなく、起こってしまったことを次に生かすためのものでありますように
また、なるべく黒塗りのない状態で公表され、一人でも多くの人がいじめについて考えるものになりますように

2024年6月25日 10:45 PM

匿名さんからの応援メッセージ

テレビのニュースで見たので探してきました。
よくやった!感動した!!

2024年6月25日 11:35 PM

匿名さんからの応援メッセージ

これは大変勇気のいることだったでしょう。
それでもいじめとそれに関わる人間に立ち向かう姿に感動しました。

2024年6月26日 2:52 AM

匿名さんからの応援メッセージ

私は文春の記事を鵜呑みにして、学校の先生方を悪者と決めつけていました。
その事が恥ずかしいですし申し訳ない気持ちです。

学校の先生方はきちんと被害者に寄り添っていたと読み取れますし、
事実と異なる事を記事にされている加害少年達も一方で被害者と言えると思います。

一体誰のための何のための黒塗りだったのか。。

勇気を出して真実を公開して下さってありがとうございました。

2024年6月26日 8:35 AM

匿名さんからの応援メッセージ

あなたのYouTube Liveなどをよく拝見していました。
あの時、表立って言えないことがこんなにもあったのですね。
あなたの忍耐力に頭が下がります。

2024年6月28日 4:56 PM

匿名さんからの応援メッセージ

随分初期の頃から加害生徒とされる子・ご遺族の両方と繋がっておられたのですね
あなたがXで発信していたことの裏に様々な理由があったことを知りました
言葉が強かったり、一体何がしたいんだ…と思ったこともありましたが、理解できた気がします

2024年6月29日 8:04 PM

匿名さんからの応援メッセージ

2021年当時からふつざわさんの言葉を目にしており、自分なりに理解できたと思っていましたが
まだまだ知らなかった事ばかりで驚いています

いつの日だったか、あちらを立てるとこちらが立たなくなり悩むとどこかで言われていたように記憶しています

今回黒塗りなしの報告書を手にされて、相当悩まれたのではないかと想像しています

3年間見てきた中でこれだけは言えます

ふつざわさんは一貫して不当に叩かれている弱者の味方でした

これからも応援しております

2024年6月29日 8:35 PM

匿名希望さんからの応援メッセージ

黒塗り無しの報告書と内部告発を見て、事件の印象は全く変わりました。
いじめはあったものの、障害による特性と相まって起きた、事故に近い自死であったと認識しました。

加害児童と呼ばれる子達にも優しい面があり、何処にでも居る子供達なのだなと。

他にも知ってる嘘があれば告発してほしいです。
世論が変わるきっかけになると思います。

2024年6月30日 2:20 PM

匿名さんからの応援メッセージ

このサイトで今までの報道とは違う情報を知れてとても良かったです。
何があったのか、自殺だったのか家出だったのか、爽彩さんにしか分からない事ですが、苦悩を知り改善していく事が爽彩さんへの旭川市民として出来る誠意だと思っていました。
だから、某YouTuberに情報を提供した事もありました。
でも、彼は爽彩さんが売春させられていたとか加害児童と言われる子が暴力団と繋がっているとか、噂話をネットに流すだけ。
私にとっては、そんな証拠もない事をネットに流す事は爽彩さんの名誉を傷つける事、また爽彩さんへの誠意ではないと感じていました。
ただ、ネットでこのような意見を書けば加害児童の保護者か?と言われてしまうので。
一言言わせてください!
加害児童が何か今出ている情報よりもっと悪い事をしていても、あなた方の将来を潰していいとは思っていないし、爽彩さんもそんな事望んでいないと思っています。
あなた方が爽彩さんの事で反省や後悔をしていたら、他者に優しくしてあげてください。爽彩さんはきっと、それを望んでいますよ。
あなた方の将来を心配したり、少しでも健やかな毎日が送れる事を望んでいる旭川市民がいる事、お伝えしたかったです。

2024年7月1日 1:07 PM

いいじまさんからの応援メッセージ

自閉症スペクトラム障害の男児(8歳)父親です。
ウチの子もたまに「死にたい」とか衝動で飛び出したりします。

支援級や放課後等デイサービスに通って、今のところは協力いただきながらすくすくと育ってくれています。
成長すれば、色々と人間関係で出てくるかも知れません。

旭川事件は通りいっぺんの記事しか知りません。

ですが、
他人事とは思えず、大変勉強になりました。

ありがとうございます。

2024年7月1日 4:36 PM

匿名さんからの応援メッセージ

ふつざわさんの主張は、
発達障害を抱えている子が抱えていた本当の問題を理解しているからこそだと思うよ。

死にたくなるほど苦しんでいる子達に真剣に向き合ったことがない人達には分からないみたいだけれど、
孤独や理解されない苦しみこそが子供を死に至らしめる問題の本質だよ。

そもそも虐められても支えてくれる存在がいれば人は死を選ばない。

本件は、
支えるどころか自分達の都合を子供にも学校にも押し付けるばかりで、
子の認知を歪めに歪めて更に精神状態を悪化させた上に、
子供の孤立を更に深刻化させた人達が何故か被害者面し、
問題の解決に向き合っていた人達が不当に誹謗中傷されていることが問題。

2024年7月6日 9:33 AM

匿名さんからの応援メッセージ

「顔や名前が出てしまっているけど、遺族側から出てる情報だけでこんな状況おかしくないか?」と思っていても見て見ぬふりのいじめを続けていた私がいます
でも、ふつざわさんの話を見て考えが改まりました
ふつざわさんの話を一方的に信じているわけではなくて、爽彩さんが失踪したとの情報が出て以降、疑問に感じていた事がふつざわさんの話だと納得できる、一番辻褄が合うと感じたからです
だからって、今更私が声をあげても遅いのかも、見て見ぬふりをした時間は戻ってこない
爽彩さんの為にも、今 名前や顔を出てる人達の為にも、やっぱり私も動きます、ふつざわさんだけでなく私も。

2024年7月11日 3:04 PM

匿名さんからの応援メッセージ

陰ながら私も何か出来る事をしていきたいと思います。
優しい子ばかりが傷つくのは、もう嫌です…。

2024年7月14日 8:29 AM

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