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【総括】旭川の件について、今の私が思うこと―認定された「いじめ」について―(いじめ撲滅ドットコム 普津澤峻)


はじめに

旭川の件では、最初の第三者委員会と、その後に設置された再調査委員会の双方が、複数の行為を「いじめ」と認定しています。

ただ、私は、調査委員会がいじめと認定したという理由だけで、それらすべてを同じ性質の「いじめ」として捉えるべきではないと思っています。

いじめ防止対策推進法における「いじめ」の定義は非常に広く、一定の人的関係にある相手から何らかの心理的・物理的な影響を受け、本人が心身の苦痛を感じていれば、基本的には認知の対象になります。

最初の第三者委員会も、法律上の「いじめ」と社会一般で使われている「いじめ」には大きな隔たりがあり、一般的な感覚では「いじめ」と表現することに違和感があるような行為まで含まれ得ることを指摘しています。

また、法律上いじめに該当するからといって、必ず「いじめ」という言葉を使って指導する必要があるわけではないとも述べています。

私は、この考え方には基本的に賛成です。

疑いの段階では広く拾う必要があります。

しかし、その後の評価では、実際に何があったのか、当事者同士がどのような関係だったのか、一方的な関係だったのか、繰り返されていたのか、本人が拒否していたのか、拒否することが難しい状況だったのか、といった事情を見なければならないと思います。

その前提で、二つの調査委員会が取り上げたいじめ行為について、一つずつ考えてみます。


目次

第一章 クラス内で疎外感や孤独感を抱かせたことについて

第二章 本人の特徴や「違い」を取り上げた言動について

第三章 上級生A・B・C(再調査委員会では生徒I・J・L)との性的な話題について

第四章 上級生A(再調査委員会では生徒I)による性的な身体接触について

第五章 深夜に公園へ集まろうとしたことについて

第六章 上級生D(再調査委員会では生徒K)が「お菓子などを繰り返しおごらせていた」とされたことについて

第七章 生徒I(第三者委員会では上級生A)との性的なやり取りについて

第八章 生徒M(第三者委員会では上級生E)から性的な行為や画像などを求められたことについて

第九章 公園で起きた一連の出来事について

第十章 生徒Mの行為とそれに対する本人の応酬について

第十一章 生徒K(第三者委員会では上級生D)の「死ぬ気もねえのに死ぬとか言ってんじゃねえよ」という発言について

第十二章 生徒Mと生徒L(第三者委員会では上級生Eと上級生C)が本人の性的な画像を他人に送ったり見せたりしたことについて

第十三章 今の私が思うこと


 

第一章 クラス内で疎外感や孤独感を抱かせたことについて


この点は、最初の第三者委員会では、独立した「いじめ事実」としては認定されていません。

ただし、第三者委員会も、本人とクラスメートとの関係に全く問題がなかったと評価しているわけではありません。

報告書では、本人が突然感情を露わにして教室を飛び出すような出来事が繰り返されるようになると、そのような事態を生じさせないよう距離を保ったり、本人から話しかけられても会話を避けたりする生徒が現れるようになったとされています。

また、アンケートでは本人が「無視されていた」という趣旨の回答も複数ありましたが、その後の聞き取りでは、文字どおり無視していたというよりも、本人との交流に消極的な態度を取っていたことを「無視」と表現していたと整理されています。

つまり、第三者委員会も、本人がクラスの中で周囲との関係を作りにくくなり、一部の生徒から距離を置かれていた状況そのものは認めています。

一方で、それを特定の生徒や集団による「いじめ」とまでは評価していません。

これに対して再調査委員会は、こうしたクラス内の人間関係や、本人が周囲との違いを意識するようになった経緯などをより重く捉え、本人に疎外感や孤独感を抱かせた一連の状況について、新たにいじめと評価しています。

私は、この点については、第三者委員会の整理の方が妥当だと思っています。

本人が周囲から距離を置かれ、孤独を感じていたのであれば、それは本人にとってつらい状況だったと思いますし、学校として支援が必要だった可能性はあります。

しかし、交流に消極的になることと、相手をいじめることは同じではありません。

本人の言動にどう接してよいのか分からず距離を取った生徒や、トラブルを避けるために会話を控えた生徒まで、それだけを理由に「いじめの行為者」と評価することには慎重であるべきだと思います。

もちろん、意図的な仲間外れや、集団で申し合わせた無視、継続的な排除などがあったのであれば話は別です。

しかし、第三者委員会の聞き取りでは、少なくともそのような意味での「無視」がクラス内で行われていたとは確認されていません。

私は、この点については、本人が孤立していたという事実と、他の生徒が本人をいじめていたという評価を分けて考える必要があると思っています。


 

第二章 本人の特徴や「違い」を取り上げた言動について


本人の特徴や周囲との「違い」を取り上げた言動については、最初の第三者委員会と再調査委員会で評価が異なっています。

最初の第三者委員会では、こうした言動は独立した「いじめ事実」として認定されていません。

第三者委員会のアンケートでは、本人が「あだ名をつけられていた」という趣旨の回答もありました。

しかし、その後の聞き取りで確認したところ、把握できたのは、下校時に本人がその場にいない状態で、上級生が本人を指して不名誉なあだ名で呼んでいたという場面でした。

第三者委員会は、本人に対して直接そのようなあだ名で呼んでいた事実は確認できなかったとしています。

また、聞き取りに応じたクラスメートの中にも、本人がクラス内で不名誉なあだ名をつけられていたと回答した者はいなかったとしています。

つまり、第三者委員会は、不適切な呼び方をした生徒がいたこと自体は把握しながらも、それを本人に対して行われていた継続的な行為としては確認していません。

これに対して再調査委員会は、クラス内での出来事について、より広い範囲をいじめとして評価しています。

再調査委員会は、本人の特徴的な行動を取り上げて「大食い」「大食い女」と呼んだことや、本人と周囲との「違い」を揶揄・隠語で語ったこと、本人が教室を離れる際の言動を真似して笑いを取ったことなどがあったとしています。

そして、こうした言動について、個々の行為者をすべて特定できるわけではなく、行為者の意図や悪意が明らかではない部分もあるとしながら、本人にとって大きな苦痛になっていたとして、いじめと認定しています。

再調査委員会は、本人自身が後に「クラスに馴染めなくてクラスが怖い」「いつも浮いていた」などと振り返っていたことも、こうした評価の材料にしています。

私は、この部分については、一括して評価するのではなく、具体的な行為ごとに分けて考える必要があると思います。

例えば、本人の目の前で、その特徴を繰り返し馬鹿にしたり、本人の言動を真似して周囲で笑ったり、本人が嫌がっていることを知りながら続けていたのであれば、私はいじめと評価してよいと思います。

一方で、「大食い」と言ったという事実だけで、直ちにいじめだったと判断することには慎重であるべきです。

友人関係やその場の文脈、言い方、頻度、本人の受け止め方などによって、同じ言葉でも意味は変わるからです。

また、本人がいない場所で不名誉なあだ名を使った行為は、それ自体として褒められるものではありません。

しかし、本人がその言葉を知らず、その場にもいなかったのであれば、その行為そのものによって当時本人に心身の苦痛が生じたと評価できるのかは、別に検討する必要があります。

私は、後になって本人がクラスで孤独や苦痛を感じていたことが分かったからといって、過去の一つ一つの言動を遡ってすべて「いじめ」と評価することにも慎重であるべきだと思います。

見るべきなのは、誰が、誰に対して、何をしたのか。本人はその行為を認識していたのか。どの程度繰り返されていたのか。その場でどのような関係があったのか。

その具体的な事実を確認したうえで、一つずつ評価する必要があります。

私は、本人がクラスの中で傷つき、孤独を感じていたこと自体を否定しません。

ただ、その苦痛があったという事実と、周囲の個々の言動を「いじめ」と評価できるかどうかは、分けて考えるべきだと思っています。


 

第三章 上級生A・B・C(再調査委員会では生徒I・J・L)との性的な話題について


最初の第三者委員会は、上級生A・B・Cが、三人全員がそろっていない場面も含め、本人が参加しているグループ通話などで性的な話題を繰り返していたことを、「いじめ事実①」の一部として認定しています。

第三者委員会は、その際に本人が性的な話題を明確に拒絶する態度を示しておらず、むしろ話題を受け入れているように見える場面があった可能性も認めています。

しかし、A・B・Cはいずれも上級生であり、本人が拒否や否定の態度を示すことは難しかった可能性があることや、本人が普段から同級生や上級生に積極的に話しかけていたことから、本人が性的な話題そのものを好んでいたとは考えにくいとして、最終的にこの行為をいじめと評価しています。

一方、再調査委員会では、上級生A・B・Cに対応する人物が、それぞれ生徒I・J・Lとして登場します。

再調査委員会によれば、オンラインゲーム中に生徒I、生徒J、生徒Lと本人との間で性的な話題が出ていますが、最初は一般的な「下ネタ」だった話題が、次第に本人が自慰行為をしたことがあるかどうかという、本人個人に向けられた話に移っていったとされています。

ここで重要なのは、生徒Jについては、この話題に関心を持たず、会話に加わっていなかったと明記されていることです。

つまり、第三者委員会が「A・B・C」とまとめて認定した行為について、再調査委員会の認定を踏まえると、少なくともBに対応する生徒Jまで、他の生徒と同じように性的な話題を繰り返していたと評価することには疑問が残ります。

また、再調査委員会は、この会話によって本人にその場で心身の苦痛が生じていたかについては「ともかくとして」としており、少なくとも同僚性を保ちたいという気持ちから無理をしていた可能性がある、としています。

その一方で、本人一人に関心が向けられ、極めて私的な性的な事柄について開示を求められていったことについては、本人の尊厳を損なうものであり、本人がこの集団の中で性的な対象になっていく端緒となった出来事だと評価しています。

そして、後に起きるいじめの背景となる関係性が形成される始まりとして位置付けています。

私は、再調査委員会の整理の方が、この場面については実態を考えるうえで分かりやすいと思います。

中学生同士が性的な話をしていたという事実だけで、それを直ちに「いじめ」と評価することには慎重であるべきです。

また、本人がその場で明確に拒否していたことも確認されておらず、再調査委員会自身も、その会話によって本人に心身の苦痛が生じていたのかまでは明確にしていません。

一方で、一般的な下ネタから、本人一人を対象として自慰行為の経験など極めて私的な内容を尋ねる話に変わっていったのであれば、その部分は単なる友人同士の性的な雑談とは分けて考える必要があります。

私は、この場面については、「性的な話題をしたからいじめだった」と評価するのではなく、誰が実際に会話に加わり、誰に対して、どのような内容を、どのような関係の中で尋ねていたのかを個別に見るべきだったと思います。

特に、再調査委員会が会話に加わっていなかったと認定している生徒Jまで、生徒Iや生徒Lと同じ行為をしたものとして扱うべきではありません。

また、この場面について、後に起きた出来事を知っている現在の視点から、その後の性的な要求などにつながった出来事だったと評価することにも慎重であるべきだと思います。

後に別の問題が起きたという事実だけから、この時点の会話との因果関係や、その後の展開についての予見可能性まで認めることはできないからです。

私は、この場面はあくまで、この時点で実際に行われた会話の内容と当事者それぞれの関わり方に基づいて評価するべきだと思います。


 

第四章 上級生A(再調査委員会では生徒I)による性的な身体接触について


最初の第三者委員会は、上級生Aが本人に対して性的な意味で身体接触をしたことを、「いじめ事実①」の一部として認定しています。

第三者委員会は、性的な身体接触について、相手の真摯な同意がなければ強く非難されるべき行為であり、場合によっては犯罪にも該当し得るとしたうえで、本件についても本人とAの関係性を踏まえて検討しています。

その中で委員会は、Aから身体接触を受けた際に、本人が明確に拒絶した様子はなく、表面的にはAの行為に同意していたと受け取られる状況だった可能性が高いとしています。

一方で、本人とAは交際関係にはなく、Aが上級生、本人が下級生という関係だったことなどから、本人が望まない性的な身体接触について明確に拒絶できなかったとしても不自然ではないとして、最終的にAの身体接触を「いじめ」と評価しています。

再調査委員会では、この人物は「生徒I」と表記されています。

再調査委員会も、R公園で本人と生徒Iが二人きりになった際、生徒Iが興味を示し、本人が胸を服の上から、下半身をジャージの上から直接触らせたことを認定しています。

再調査委員会の評価で重要なのは、本人がその場で明確に拒否したという事実を前提にしているわけではないことです。

むしろ報告書は、本人が生徒Iを含むオンラインゲーム上の人間関係を強く維持したいと考えていたこと、生徒Iに特別な感情を持っていた可能性などを踏まえ、本人が自分の性的な部分を相手に示すことで関係を維持しようとしていた可能性を指摘しています。

そのうえで、二人きりの場で本人だけが下着姿の写真を送ったり、自慰行為を見せたり、身体を触らせたりしていた関係について、「非対称」であり、本人が性的な興味の対象として扱われていた出来事だったと評価しています。

さらに再調査委員会は、実際の行為に至る直接の場面だけを見れば、生徒Iの誘いに本人が応じた形になっているとも認めています。

しかし、その背景には本人が関係を維持したいという気持ちがあり、後に本人が生徒Iとの関係について苦痛を訴えていたことなどから、一連の行為が本人に深い苦痛を与えたとして、いじめに当たると判断しています。

私は、二つの委員会がこの行為を問題視した理由は理解できます。

ただし、この件については、本人が身体接触を明確に拒否していたことや、生徒Iが本人の拒否を無視して身体に触れたことまでが確認されているわけではありません。

第三者委員会は、年齢差や関係性から「明確に拒否できなかった可能性」を重視し、再調査委員会は、本人が関係を維持したいという気持ちを背景に、性的な意味で非対称な関係が形成されていたことを重視しています。

いずれも、単純に「嫌がっている本人に無理やり触れた」という事実を認定して、いじめと評価したわけではありません。

そのため私は、この身体接触については、確認されている事実と、本人の心理状態や人間関係から導かれた評価を分けて考える必要があると思っています。

本人が明確に拒否していなかったからといって、本当に望んでいたと断定することもできません。

一方で、本人が拒否しにくかった可能性があるからといって、本人の意思に反して行われた身体接触だったと断定することにも慎重であるべきです。

私は、両委員会がいじめと評価した理由には一定の合理性があるものの、上級生E(再調査委員会では生徒M)のように明確な拒否を無視して要求を続けたケースとは、事実関係も評価の確実性も分けて考えるべきだと思っています。


 

第五章 深夜に公園へ集まろうとしたことについて


最初の第三者委員会は、上級生A・B・Cが、深夜ないし未明の時間帯に、本人を含めて公園に集まろうという趣旨の会話をグループ通話で行い、実際には公園へ行かなかったにもかかわらず、そのことを本人に伝えなかったことを「いじめ事実②」として認定しています。

第三者委員会は、深夜に年下の女子中学生を外出させようとする言動自体が非常識であり、強く非難されるべき行為だと評価しています。

また、本人がAらが実際には公園へ行かなかったことを認識していなかった可能性が高いとしながらも、一連の行為を一体として評価し、いじめと認定しています。

一方、再調査委員会では、A・B・Cはそれぞれ生徒I・J・Lに対応しますが、この出来事は、最終的に認定された7項目のいじめには含まれていません。

ただし、再調査報告書にも、これと関連すると思われる深夜の出来事についての記載があります。

再調査委員会は、R公園での出来事の後、夜中に本人が生徒Iを含むメンバーと会う約束をし、午前3時か4時頃に家を出ようとして母親に止められ、その後、生徒Iに泣いて謝っていたというエピソードを取り上げています。

再調査委員会は、この出来事を、本人が生徒Iに特別な感情を持っていた可能性や、学校外の人間関係を強く維持しようとしていたことを考える材料の一つとして扱っています。

ただし、少なくとも再調査報告書のこの部分では、第三者委員会が認定したように、生徒I・J・Lらが最初から公園へ行かないつもりだったのか、途中で行くことをやめたのか、そして、それを本人に意図的に伝えなかったのかというところまでは認定されていません。

私は、この点は重要だと思います。

年下の中学生と午前3時や4時に会おうとすること自体は、もちろん適切な行動だったとは思いません。

しかし、不適切な行動であることと、いじめであることは別です。

特に第三者委員会は、本人がAらが公園へ行かなかったことを認識していなかった可能性が高いとしながら、その行為をいじめと評価しています。

私は、この部分には違和感があります。

本人を意図的にだまして深夜に外出させた、本人だけを待たせた、行かないことを知りながら故意に連絡しなかった、といった事情が確認されているのであれば、いじめと評価する余地は十分にあると思います。

しかし、そこまでの事実が確認できないのであれば、「深夜に会おうとしたこと」や「結果として会えなかったこと」だけから、いじめだったと評価することには慎重であるべきです。

再調査委員会がこの出来事を独立したいじめとして最終認定していないことも踏まえると、私は、深夜に会おうとしたこと自体は不適切だったものの、この出来事だけをもっていじめと評価するには、事実関係が十分ではないと考えています。


 

第六章 上級生D(再調査委員会では生徒K)が「お菓子などを繰り返しおごらせていた」とされたことについて


最初の第三者委員会は、上級生Dが、本人からお菓子などを繰り返しおごってもらっていたことを「いじめ事実③」として認定しています。

第三者委員会は、「おごる」「おごられる」という行為自体が直ちに問題になるわけではなく、当事者間の関係や理由によっては、友人同士でも普通にあり得るものだとしています。

その一方で、本件では、Dが上級生であり、本人がDの分まで負担する特段の理由が見当たらなかったことや、本人による負担が繰り返されていたことなどを重視し、いじめと評価しています。

ただし、第三者委員会も、Dが積極的におごるよう要求したことまでは確認できなかったとしています。

また、一度だけ本人から代金を負担してもらったFやGについては、Dの場合とは性質が異なるものとして区別しています。

再調査委員会では、Dに対応する人物は「生徒K」として扱われています。

再調査委員会は、本人が生徒Kにジュースやお菓子、アイスなどを何度もおごっていたと認定し、当初は本人自身が関係を維持するために自発的に行っていた可能性もある一方、次第にそれが本人にとって負担となり、生徒Kとの関係の中で苦痛を感じるようになったとして、いじめと評価しています。

一方、私がD本人から聞いてきた内容は、もう少し曖昧です。

Dは当初から一貫して、

「ハイチュウをおごってもらったことはある。しかし、自分から買ってほしいと言ったのではなく、本人が『私が買います』と言って、自分が手に持っていたハイチュウを取ってレジで会計を済ませた」

という趣旨の説明をしています。

この説明自体は、現在まで変わっていません。

ただ、その後、遺族の代理人弁護士と一緒にDから聴き取りをした際には、「チップス系のお菓子もおごってもらったことがあったかもしれない」という趣旨の話も出ました。

もっとも、その点についてDの記憶が本当に曖昧だったのか、認めづらい気持ちがあってはっきり話せなかったのかについては、私には分かりません。

そのため、私は、Dが本人から複数回何かを買ってもらった可能性自体は否定しませんが、何回、何を、どのような経緯でおごってもらったのかについては、必ずしも明確になっているとは思っていません。

また、少なくとも私が確認したDの説明では、Dが本人に対して「買ってほしい」「おごってほしい」と要求したという話にはなっていません。

私は、ここでも「何度かおごってもらった」という結果だけをもって、直ちにいじめと評価するべきではないと思います。

重要なのは、本人が自分の意思で買ってあげていたのか、それとも、Dとの関係や立場の差によって断りにくい状況になり、本人の意思に反して金銭的な負担が続いていたのかという点です。

もし、本人が自由な意思で「買ってあげる」と申し出ていたのであれば、その行為自体をいじめと評価することには慎重であるべきです。

一方で、本人が関係を維持するためにはおごらなければならないと感じるようになり、嫌であっても断れない状態の中で負担を続けていたのであれば、その部分については、単なる友人同士のおごりとは違う評価が必要になると思います。

ただ、本件では、Dがどの程度おごってもらっていたのか、Dから要求があったのか、本人がその都度どのような気持ちで支払っていたのかについて、必ずしもすべてが明確になっているわけではありません。

そのため私は、Dがおごってもらったこと自体を問題視するのではなく、本人の意思、反復性、金銭的負担、当事者間の力関係、そして自由に断ることのできる関係だったのかを見て評価するべきだと思っています。

私は、確認できている事実だけから、「Dが繰り返し本人におごることを要求し、本人がそれに従わされていた」とまで捉えることには、慎重であるべきだと考えています。


 

第七章 生徒I(第三者委員会では上級生A)との性的なやり取りについて


生徒Iについては、最初の第三者委員会と再調査委員会の双方が、本人との間で性的な行為があったことを認定しています。

第三者委員会では「上級生A」と表記され、本人がブラジャーを着けた胸の画像をAに送ったことや、LINEのビデオ通話を使って自慰行為の様子を見せたことが認定されています。

ただし、第三者委員会は、その前後に具体的にどのようなやり取りがあったのかまでは解明できなかったとしています。

そのうえで、それまでの関係や性的な話題の中でのやり取りなどから、本人の行為はAからの何らかの働きかけに応じたものと考えるのが自然であり、上級生と下級生という関係などを踏まえれば、本人がその働きかけを拒絶することは困難だったと評価しています。

再調査委員会でも、生徒Iとの間で同様の行為が取り上げられています。

ここで私は、生徒Mとの行為とは分けて考える必要があると思っています。

生徒Mとのやり取りでは、本人が具体的な性的要求に対して長時間にわたり拒否していることが確認されています。

一方、生徒Iとのやり取りでは、少なくとも報告書上、本人が「嫌だ」「やりたくない」などと明確に拒否していた具体的なやり取りまでは確認されていません。

だからといって、本人が自由な意思で積極的に望んでいたと断定することもできません。

第三者委員会が指摘するように、年齢差や人間関係、相手との関係を失いたくないという気持ちなどによって、本人が断りにくい状況にあった可能性は十分に考える必要があります。

ただ私は、明確に拒否したにもかかわらず要求が続けられたケースと、拒否の意思表示までは確認できないケースを、全く同じものとして評価することにも慎重であるべきだと思います。

生徒Iについて問題になるのは、「性的な画像を送った」「自慰行為を見せた」という結果だけではありません。

本人がどのような意思でそれに応じたのか、生徒Iからどのような働きかけがあったのか、本人が実際に断ることのできる関係だったのか。

そこを見なければ、本当の意味での評価はできないと思います。


 

第八章 生徒M(第三者委員会では上級生E)から性的な行為や画像などを求められたことについて


生徒Mについては、最初の第三者委員会と再調査委員会の双方が、本人に対する性的な要求を問題として認定しています。

最初の第三者委員会では「上級生E」と表記され、本人とのLINEで性的な話題を長時間にわたって続けたことや、性的な動画を送るよう長時間にわたって求め続けたことが、「いじめ事実④」として認定されています。

第三者委員会は、この行為について、本人が明確に拒否するメッセージを繰り返し送っていたにもかかわらず、Eが性的な話題や性的画像等の要求を続けたことから、強く非難されるべき行為だと評価しています。

再調査委員会でも、生徒Mが本人に自慰行為をビデオ通話で見せることや、その動画を送ることなどを求めた経緯が詳しく検討されています。

その中では、本人が要求に対して40分以上にわたって断り続けていたことや、その後も生徒Mが対面で行うことを求めたり、写真等を求めたりしていたことが記載されています。

ここで重要なのは、本人が性的な話題そのものを常に嫌がっていたわけではないということです。

再調査委員会の報告書を見ると、本人自身が性的な話題に参加したり、積極的に会話を続けたりしていた場面も確認されています。

しかし、性的な話をすることと、自分の自慰行為を見せたり、その動画や画像を相手に送ったりすることは別です。

本人が性的な話題に応じていたからといって、その後に求められた具体的な性的行為についてまで同意していたことにはなりません。

生徒Mとのやり取りでは、本人が具体的な要求に対して拒否する意思を示していたにもかかわらず、その要求が繰り返されています。

また、再調査委員会は、本人にとって生徒Mを含む学校外の人間関係が大切な居場所になっており、その関係を失いたくないという気持ちがあったことも考慮しています。

私は、この行為についてはいじめと評価してよいと思います。

問題なのは、「性的な内容だった」ということだけではありません。

本人が具体的な要求を拒否していたにもかかわらず、その意思が尊重されず、要求が続けられたことを問題として評価するべきです。

また、最終的に本人が要求の一部に応じたとしても、それ以前に拒否を繰り返していたという事実がなくなるわけではありません。

この点で、生徒Iとの行為とは明確に区別する必要があります。

生徒Iについては、第三者委員会、再調査委員会ともに本人が自由に断ることのできる関係だったのかという問題を指摘していますが、具体的な場面で本人が明確に拒否し、それでも要求が続けられたことまでは確認されていません。

一方、生徒Mについては、具体的な性的要求に対する本人の拒否と、それにもかかわらず要求を継続した経過が確認されています。

私は、この違いは二人の行為を評価するうえで非常に重要だと思っています。


 

第九章 公園で起きた一連の出来事について


6月15日にR公園で起きた出来事については、最初の第三者委員会と再調査委員会の双方が、いじめと認定しています。

本人が複数の生徒と公園にいた際、自慰行為をするよう求められ、最終的にその場で自慰行為をしたという出来事です。

最初の第三者委員会は、本人が自慰行為を求められたことを拒否していたにもかかわらず、関係生徒らが要求を続け、あるいはその状況を止めなかったとして、「いじめ事実⑤」と認定しています。

また、複数人に囲まれた状況や、本人がその集団から外れたくないという気持ちなどによって、要求を断り切ることが難しかった可能性を指摘しています。

再調査委員会も、この出来事をいじめと認定しています。

ただし、誰がこの話を始め、誰がどのように関わったのかという点については、私は再調査委員会の認定をそのまま受け入れていません。

再調査委員会は、本人がその場で自慰行為をすることになった経緯について複数の可能性を検討したうえで、生徒Kが以前から本人の自慰行為に関する出来事を知っていたことなどを理由として、生徒Kが話を切り出した可能性が高いと推測しています。

しかし、私がこれまでKとLから聞いてきた説明は、これとは異なります。

KとLは当初から一貫して、自慰行為の話を持ち出し、本人に要求していたのはM・N・Oだったと説明しています。

Kによれば、M・N・Oが本人に要求を続けている中で、「Kはどう思う?」と話を振られ、「この嫌な雰囲気から早く抜け出したい」という気持ちから、「やるならやれば」という趣旨の発言をしたとのことでした。

また、KとLは、本人が実際に自慰行為をしていた際には、近くにいた小学生から本人が見えないよう、自分たちが壁になるように立っていたとも、当初から一貫して説明しています。

もちろん、これはKとL側の説明です。

その説明がすべて正しいと、私が断定するつもりはありません。

ただ、現場にいたのは本人とK・L・M・N・Oであり、その中でK・LとM・N・Oの説明が食い違っているのであれば、誰の説明を採用するのかは慎重に検討する必要があります。

私が再調査委員会の報告書を読んで気になるのは、この部分について、結果としてM・N・O側の説明を強く採用し、KとLの説明をほとんど採用していないように見えることです。

もちろん、亡くなった本人が生前にこの出来事について説明していたのであれば、その供述が重要な判断材料になった可能性はあります。

ただ、そうであるならば、本人の供述がどの部分について存在し、それがK・L、M・N・Oそれぞれの説明とどのように整合していたのかも含めて見なければ、Kが話を切り出した可能性が高いという評価がどこまで確かなものなのかは判断しにくいと思います。

さらに、私はもう一つ気になることがあります。

本人は、この出来事の後に入院した際にも、K先輩に会いたい、連絡を取りたいという趣旨のことを話していたとされています。

このことだけで、Kの行為に問題がなかったと証明できるわけではありません。

人は、自分を傷つけた相手との関係を維持したいと思うこともあります。

一方で、この事実は、少なくとも本人とKとの関係を「本人を一方的に苦しめていた中心的な加害者と被害者」という単純な関係だけで説明することを難しくする事情の一つだと私は思っています。

また、私の認識では、遺族はKを強く問題視していました。

そのため、遺族側から得られた情報や問題意識が、再調査委員会の事実の見方にどの程度影響したのかについては、私は気になっています

ただし、ここについては、「遺族の意向によって認定が歪められた」とまで断定できる根拠があるわけではありません

あくまで、相反する証言がある中で、なぜ一方の説明がより信用できると判断されたのかについて、私は十分に納得できていないということです。

この出来事全体について、私は、「本人が明確に嫌がり、強く拒否している中で、周囲から無理に自慰行為をさせられた」という前提だけで評価することには慎重であるべきだと思っています。

再調査委員会は、本人がその場で「できますよ」「平気」といった態度を示しながらも、実際に行為に及ぶまでには躊躇があったことなどを重視しています。

一方で、私がこれまで聞いてきた話の中には、本人がほとんど躊躇する様子を見せず、平然と自慰行為をしていたというものもあります。

どちらが当時の本人の状態をより正確に表しているのかについて、私は断定することができません。

仮に、本人が明確に拒否したり、強い躊躇を示したりしていたにもかかわらず、周囲が繰り返し要求し、その場の圧力によって行為に及ばせたのであれば、私はいじめと評価してよいと思います。

しかし、仮に本人がほとんど躊躇を示さず、自ら応じるような形で平然と行為していたのであれば、評価はもう少し慎重になると思います。

もちろん、その場合でも、複数人で自慰行為を求めること自体が適切だったとは思いません。

ただ、不適切な行為だったということと、本人の意思に反して行わせた「いじめ」だったということは同じではありません。

本人がその場でどのような態度を取っていたのか、誰が最初に話を持ち出したのか、誰が要求を続けたのか、本人が拒否していたのか、その場から自由に離れることができたのか。

そうした事実をできる限り分けて確認したうえで評価する必要があります。

また、その場にいた生徒全員の責任を同じように考えることにも賛成できません。

繰り返しになりますが、KとLはM・N・Oが要求を始めたと一貫して説明しており、Kは「この嫌な雰囲気から早く抜け出したい」という気持ちから「やるならやれば」という趣旨の発言をしたと説明しています。

また、KとLは、本人が行為をしている際には、小学生から見えないように壁になっていたとも説明しています。

これらの説明が正しいのであれば、要求を始めた者、要求を続けた者、その場の流れに消極的に同調した者、本人を周囲から隠そうとした者を、すべて同じように評価することには無理があります。

私は、この出来事について、性的な行為が公園で行われたという結果だけから「全員が本人に自慰行為を強要したいじめだった」と単純化することにも、反対に「本人が平然としていたのだから何の問題もなかった」と単純化することにも慎重であるべきだと思っています。

結局のところ、誰が何をしたのか、本人がそれをどのように受け入れていたのか、どこから本人の意思に反する要求になったのかを、一人ずつ、一つずつ分けて考える必要があると思います。


 

第十章 生徒Mの行為とそれに対する本人の応酬について


6月22日のR公園での出来事について、最初の第三者委員会では、生徒Mに対応する人物は「上級生E」として記載されています。

Mは本人より一学年上の生徒です。

第三者委員会によれば、本人、上級生D・E、小学生5~6人が公園の東屋にいた際、Eが本人の仕草などを真似してからかいました。

本人は「真似しないでください」という趣旨のことを言いましたが、Eは面白がって挑発するように真似を続け、さらに、Eが知っている本人の秘密をその場で大声で言うような素振りをしたとされています。

これに対して本人は、泣きそうな表情になって怒り出し、Eを握り拳で叩いたり、蹴ったりする状態になりました。

そして、Eを叩いたり蹴ったりしながら、「私のことなんか何も知らないくせに」「誰もわかってくれない」「自分には障害がある」「親とうまくいっていない」「もう死にたい」といった趣旨の言葉を、大声で怒るように言い続けたとされています。

第三者委員会は、本人が嫌がっているにもかかわらずEがからかうような行為を続けたことを問題視し、「いじめ事実⑥」の一部として認定しています。

また、本人自身は後に、Eがこのような態度を取った理由について、自分が「Eの地雷を踏んだ」からではないかという趣旨の説明もしています。

ここは慎重に見る必要があると思います。

本人のこの説明だけから、本人が先にMを挑発したとか、本人に原因があったと断定することはできません。

一方で、Mのからかいが何の前触れもなく突然始まった一方的な攻撃だったと断定することもできません。

本人自身が、自分との何らかのやり取りにMが感情的に反応した可能性を感じていたことは、事実関係を考えるうえで無視できないと思います。

再調査委員会も、この日の出来事について、生徒Mが本人の真似をしてからかったことをいじめと認定しています。

再調査委員会は、この日の本人が周囲の言動に不快感を示しており、Mの真似に対して怒り出したことなどから、本人に大きな苦痛が生じていたと評価しています。

私は、Mが本人から「やめてほしい」という意思を示された後も真似を続けたり、本人が知られたくない秘密を人前で話すような素振りをした部分だけを取り出せば、いじめと評価することは理解できます。

Mが本人より一学年上だったことも、両者の関係を考えるうえで考慮すべき事情だと思います。

ただし、一学年上であるというだけで、直ちにMが本人を支配する立場にあったとか、本人が反抗できない関係だったと評価することもできません。

実際、この場面では本人もMに対して激しく怒り、殴ったり蹴ったりしながら応酬しています。

そのため私は、個々の行為の評価と、一連の出来事全体の評価を分ける必要があると思っています。

Mの「やめて」と言われた後のからかいを切り取れば、いじめと評価することができます。

一方、本人がMを殴ったり蹴ったりした行為を切り取れば、それは本人による暴力です。

しかし、この二つが一連の感情的なやり取りの中で生じているのであれば、出来事全体については別の見方もできます。

本人の言動にMが感情的に反応し、Mがからかい、それに本人が激しく反発して殴る、蹴るという形で応酬していたのであれば、社会一般の感覚では、これを「喧嘩」あるいは「双方が感情的になった対人トラブル」と評価する余地もあると思います。

もちろん、喧嘩であれば何をしても許されるという意味ではありません。

喧嘩の中でも、やってはいけないことはあります。

しかし、相互に攻撃的な行為を繰り返している一連の出来事から、一方の行為だけを切り離して「いじめ」と評価し、もう一方の行為を全体の評価から外してしまえば、実際の人間関係を正確に表せない場合があります。

私はこの場面について、「Mの行為の中には、法律上いじめと評価できる部分があった」ということと、「6月22日のMと本人とのやり取り全体が、一方的ないじめだった」ということは、分けて考えるべきだと思っています。

全体として見るのであれば、喧嘩や相互的な対人トラブルと評価する可能性も含めて検討する必要があると思います。


 

第十一章 生徒K(第三者委員会では上級生D)の「死ぬ気もねえのに死ぬとか言ってんじゃねえよ」という発言について


6月22日のR公園では、前章で触れたMとの激しい応酬の中で、本人が「もう死にたい」などと大声で言い続け、やがて「もう死にます」という趣旨の発言をして、川の方向へ歩き出しました。

これに対して、生徒Kは「死ぬ気もねえのに死ぬとか言ってんじゃねえよ」という趣旨の発言をしています。

最初の第三者委員会では、生徒Kは「上級生D」と表記されています。

第三者委員会は、この発言について、本人の「死にたい」という言葉に対するKの感情的な反発という側面があったことを認めています。

その一方で、パニックのような状態で希死念慮を表している本人に対して、このような突き放す言葉をかけることは不適切であり、本人の行動をさらに促す可能性もあった、そのことはKにも認識できたとして、強く非難されるべき行為と評価し、「いじめ事実⑥」の一部として認定しています。

ただ、私はこの評価については、慎重に考える必要があると思っています。

私がK本人から聞いている説明では、この発言には、「小学生の前で『死にたい』という言葉を聞かせるべきではないと思い、注意するつもりだった」という意図があったとのことです。

また、Kはそれ以前から本人の相談を受け、その中で「死にたい」などのネガティブな言葉を何度も聞いていたと説明しています。

これらが当時のKの心理にどの程度影響していたのかは分かりません。

しかし、少なくとも、本人を傷つけることを目的として突然この言葉を投げつけたという場面とは、少し違って見えます。

その場には小学生もいました。

目の前では本人とMとの間で激しい応酬が起き、本人はMを殴ったり蹴ったりしながら、大声で「死にたい」などと繰り返していました。

そのような騒ぎの中で、中学3年生だったKには、少なくとも二つの問題が同時に見えていた可能性があります。

一つは、「死にたい」という言葉を小学生の前で繰り返すことを止めなければならないという危機感です。

もう一つは、目の前で感情的になり、「死にたい」と言っている本人の精神状態に配慮しなければならないということです。

今、大人が落ち着いた状態で振り返れば、後者を優先し、本人を刺激しない言葉を選ぶべきだったと考えることはできます。

私も、結果としてKの言葉は適切ではなかったと思います。

しかし、騒ぎの渦中にいた中学3年生の女の子に、この二つを瞬時に比較し、本人の精神状態を優先して、冷静に最適な言葉を選ぶことができたはずだと言い切ることには無理があると思います。

第三者委員会は、Kにも本人の行動をさらに促す可能性を認識できたと評価しています。

ただ、「その言葉が相手を傷つける可能性がある」と理解できたことと、「その言葉を発すれば、本人が直後に川へ向かい、入水する可能性がある」と具体的に予見できたことは、同じではありません。

特にこの場面では、K自身も当事者として騒ぎの中におり、小学生への影響を気にし、それ以前から本人の悩みや「死にたい」という言葉を聞き続けていたという事情もあります。

そうした状況を考えれば、大人の支援者と同じような冷静さや判断をKに求めることには慎重であるべきだと思います。

また、第三者委員会の報告書には、この発言の後のKの行動も記載されています。

本人が柵を越えて川岸へ降りたことに気づくと、Kは本人を追いかけ、本人が学校へ電話をしたもののうまく話せない状態だったため、電話を代わって教員に場所や状況を伝えています。

この行動によって先ほどの発言が適切なものになるわけではありません。

しかし、少なくとも、本人に死んでほしいと思っていたとか、本人が危険な状態になっても構わないと考えて発言した、という見方とは整合しないと思います。

一方、再調査委員会は、この発言についてさらに踏み込んでいます。

再調査委員会は、それまでの出来事によって本人の苦痛が増していた中で、Kの一言を「引き金」として本人が川の方向へ走り、最終的に入水したと評価しています。

また、本人が後にKの発言を「オーバーキル」と表現していたことも取り上げています。

私は、この評価についても慎重であるべきだと思います。

Kの発言の直後に本人が川へ向かったという時間的な前後関係はあります。

しかし、発言の直前から本人は「死にたい」と繰り返していましたし、その前にはMとの激しい応酬もありました。

そのような複数の事情が重なっている中で、最後に発せられたKの一言を、本人の入水行動の「直接的な引き金」と断定することには慎重であるべきだと思います。

私は、この発言について、不適切な言葉だったという評価には賛成します

もっと違う言葉をかけることができれば、その方が良かったと思います。

しかし、その場にいたのは、専門的な知識を持つ支援者ではなく、中学3年生の女の子です。

小学生に「死にたい」という言葉を聞かせたくないという判断と、感情的になっている本人を刺激してはいけないという判断のどちらを優先するのかを、混乱したその場で冷静に判断できたはずだとすることには、私は賛成できません。

そのため私は、この発言が不適切だったこと、法律上の「いじめ」と評価できるかということ、本人の入水行動との因果関係があるかということ、そしてKにその行動まで予見できたかということは、それぞれ分けて考える必要があると思っています。


 

第十二章 生徒Mと生徒L(第三者委員会では上級生Eと上級生C)が本人の性的な画像を他人に送ったり見せたりしたことについて


最初の第三者委員会は、本人の性的な画像を他の生徒に送ったり、別の生徒に見せたりした行為について、通常の「いじめ事実①~⑥」とは別に、「当委員会が『いじめ』と同様に考える事実」として取り上げています。

第三者委員会が認定したのは、関係生徒が本人の性的な画像をLINEのグループに送信したことや、その画像をさらに別の生徒に見せたという行為です。

この点について第三者委員会は、少し特殊な整理をしています。

画像を送ったり見せたりする行為には本人が直接関与していないため、本人がその事実を認識していなければ、法が定める「心身の苦痛を感じている」という主観的要件を満たさず、形式的には「いじめ」に該当しないとしています。

一方で、このような行為を問題のないものとして扱うこともできないため、法の趣旨を踏まえ、「いじめ」と同様に考える必要があるとしました。

なお、本人がその行為を認識していた場合には、いじめに当たり得るとも整理しています。

私は、この第三者委員会の整理は興味深いと思っています。

本人の性的な画像を、本人の承諾なく他人に見せたり送ったりすることは、当然、強く非難されるべき行為です。

性的な画像は極めて私的な情報です。

それを本人の知らないところで他人に見せたり送ったりすることは、本人のプライバシーや尊厳を大きく侵害する行為であり、「本人が知らなかったから問題ではない」という話にはなりません。

しかし、ここで私は、「非常に悪質な行為であること」と、「(いじめ防止対策推進法が定義する)いじめと評価できること」は分けて考える必要があると思っています。

本人がその行為の存在自体を知らなかったのであれば、その時点で、その行為によって本人が心身の苦痛を感じていたと評価することはできません。

この意味では、第三者委員会が、形式的にはいじめの定義に当てはまらないとしたことには合理性があると思います。

だからといって、無理に「いじめ」という言葉を使わなければ、その行為を厳しく評価できないわけでもありません。

むしろ私は、本人の性的な画像を本人の知らないところで他人に見せたり送ったりする行為については、いじめであるかどうかとは別に、それ自体として重大な権利侵害として評価すればよいと思っています。

再調査委員会について見ると、最終的に「いじめ」と認定した7項目の中には、この性的な画像を第三者に見せたり送ったりした行為は、独立した項目として含まれていません。

今回確認した再調査報告書の「いじめの認定」の部分でも、第三者委員会のように「いじめと同様に考える事実」という別のカテゴリーを設け、この行為を改めて評価する整理は確認できませんでした。

この違いも、私は重要だと思います。

「いじめ」という言葉には、どうしても強い道徳的な意味が伴います。

そのため、非常に悪質な行為を目にすると、「これはいじめである」と認定しなければ、その深刻さを表現できないように感じてしまうことがあります。

しかし、本来はそうではないと思います。

いじめではなくても、許されない行為はあります。

暴力、性的な権利の侵害、プライバシーの侵害、名誉を傷つける行為などは、「いじめ」という言葉を使わなくても、それぞれの行為として厳しく評価することができます。

私は、この件については、本人の性的な画像を他人に見せたり送ったりした行為そのものは強く非難されるべきだと思っています。

一方で、本人がその事実を認識していなかったのであれば、その時点で本人に生じた精神的苦痛を前提として「いじめ」と評価することには無理があります。

その意味では、第三者委員会がこれを通常の「いじめ事実」とは分けて扱ったことには、私は一定の合理性があると思っています。

そして、この事例は、「いじめに当たるかどうか」と「その行為がどれほど悪いことなのか」は必ずしも一致しないことを、非常に分かりやすく示しているように思います。


 

第十三章 今の私が思うこと


ここまで、二つの調査委員会が取り上げた行為について、一つずつ見てきました。

その結果、私の考えは、この記事を書き始める前よりもはっきりしました。

私は、本人に対するいじめが全くなかったとは考えていません。

少なくとも、生徒Mが、本人から具体的な性的要求を明確に拒否されているにもかかわらず、その要求を続けた行為については、いじめだったと評価しています。

本人が性的な話題そのものには参加していたとしても、それは、自慰行為を見せたり、性的な動画や画像を送ったりすることへの同意とは別だからです。

また、6月22日のMとのやり取りについても、本人が「やめて」と意思を示した後まで、Mが真似をしてからかい続けた部分だけを取り出せば、いじめと評価することはできます。

ただし、この出来事については、本人もMを殴ったり蹴ったりして激しく応酬しており、一連の出来事全体を見れば、喧嘩や相互的な対人トラブルとして捉える余地があります。

一方、それ以外の認定については、私はその多くに疑問を持っています。

本人がクラスの中で孤独や疎外感を感じていたことは事実だと思います。

しかし、孤立していたことと、誰かが本人をいじめていたことは同じではありません。本人との接し方が分からず距離を取った生徒まで、それだけでいじめの行為者と評価することには賛成できません。

本人の特徴や「違い」を取り上げた言動についても同じです。

言葉だけを取り出して、それが不名誉な表現だった、本人が後に孤独を感じていた、という理由だけでいじめと評価するのではなく、誰が、どこで、どのような文脈で、どの程度繰り返し、本人がその行為をどのように認識していたのかを確認する必要があります。

性的な話題についても、性的な内容だからという理由だけでいじめになるわけではありません。

実際、再調査委員会では、生徒Jが性的な会話に加わっていなかったことも認定されています。

それにもかかわらず、最初の第三者委員会ではA・B・Cがまとめて評価されていました。

こうした部分を見ると、集団全体を一括して評価することの危うさを感じます。

生徒Iとの性的な身体接触や性的なやり取りについては、さらに慎重であるべきだと思います。

本人が拒否していたことが確認されているわけではありません。

もちろん、拒否しなかったからといって、本人が本心から望んでいたと断定することもできません。

しかし、「上級生だったから断れなかった可能性がある」「関係を失いたくなかったから応じた可能性がある」という推測から、本人の意思に反した行為だったと認定し、それをいじめと評価することにも私は賛成できません。

深夜に公園へ集まろうとしたことについても、不適切な行動だったことと、いじめだったことは別です。

本人をだまして外出させた、本人だけを待たせた、行かないことを知りながら意図的に連絡しなかった、といった事実まで確認されていないのであれば、私はいじめとは評価できません。

お菓子などを繰り返しおごらせていたとされたことや、6月15日の公園で起きた出来事については、そもそも前提となる事実関係に争いがあります。

誰が何を要求したのか。

何回あったのか。

本人がどのような態度を取っていたのか。

関係生徒それぞれがどのように関わったのか。

その重要な部分について説明が食い違っている以上、私は「いじめだった」「いじめではなかった」と簡単に断定することはできません。

また、Kの「死ぬ気もねえのに死ぬとか言ってんじゃねえよ」という趣旨の発言については、私は適切だったとは思いません。

しかし、不適切な発言だったことと、いじめとして非難することは別です。

小学生の前で「死にたい」と繰り返すことを止めなければならないという意識と、感情的になっている友人を刺激してはいけないという判断のどちらを優先するべきなのか。

騒ぎの渦中にいた中学3年生の子どもに、それを瞬時に冷静に判断し、最善の言葉を選ぶことができたはずだと求めることには、私は慎重であるべきだと思っています。

そして、本人の性的な画像を他人に見せたり送ったりした行為については、私は明確な権利侵害だと思っています。

しかし、本人がその事実を知らなかったのであれば、その時点で本人がその行為によって心身の苦痛を感じていたとはいえません。

この件は、「いじめではない」と評価することと、「問題のない行為だった」と評価することが全く違うことを、よく示していると思います。

ここまで一つずつ見てきて、私は改めて、「いじめを認知すること」と「その後に行為を評価すること」は分けなければならないと思いました。

疑いの段階では、広く拾えばいいと思います。

本人が苦痛を訴えているのであれば、まずいじめとして認知し、学校が調べることにも意味があります。

しかし、調査が終わった後まで、入口で使った広い定義だけで評価を終わらせてはいけないと思います。

本当に一方的な行為だったのか。

本人は拒否していたのか。

相手はその拒否を認識していたのか。

行為は繰り返されていたのか。

力関係はどの程度あったのか。

喧嘩や相互的な応酬ではなかったのか。

認定の前提となる事実は十分に確定しているのか。

心理状態についての推測を、事実のように扱っていないか。

後に重大な出来事が起きたことから、過去の出来事を結果論で評価していないか。

そこまで検討して初めて、その行為がどの程度悪質だったのか、誰にどの程度の責任があるのかを考えることができると思います。

この記事の冒頭で、法律上の「いじめ」と、社会一般で使われている「いじめ」には大きな隔たりがあることを書きました。

十二の項目を一つずつ確認した今、その問題をさらに強く感じています。

「いじめがあった」ということと、「調査委員会が認定したいじめがすべて正しかった」ということは別です。

私は、少なくとも一部には、明確にいじめと評価すべき行為があったと思っています。

しかし、二つの調査委員会が認定した行為を一つずつ検討した結果、その多くについて、私は認定そのものに賛成することができませんでした。

事実が十分に確定していないものがあります。

推測によって本人の意思や心理を補っているものがあります。

不適切ではあっても、いじめとは別に考えるべきものがあります。

相互の応酬として見るべきものもあります。

そして、いじめに該当しなくても、別の意味で重大な権利侵害と評価すべきものもあります。

それらをすべて一つの「いじめ」という言葉の中に入れてしまえば、かえって何が本当に問題だったのかが見えなくなります。

私は、この件を「いじめがあった」「いじめはなかった」という二択で語るつもりはありません。

いじめと評価できる行為はあった。

しかし、そこから、

「一人の少女が、複数の加害者から継続的かつ一方的にいじめられていた」

という一つの物語にまとめてしまうことにも、私は賛成できません。

一つ一つの行為を分けること。

一人一人の関わり方を分けること。

確認された事実と推測を分けること。

不適切さといじめを分けること。

本人が受けた苦痛と、相手に帰すべき責任を分けること。

そして、それらを分けたうえで、最後に全体を見ること。

それが、旭川の件について、今の私が最も大切だと思っていることです。

いじめ撲滅ドットコム 普津澤峻


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中山岳教頭の説明(保護者説明会)

B男(赤井楓翔)独占インタビュー

のむらパターソン和孝 旭川市議

ネバギバランド 木村浩一郎×工藤年泰

市の隠蔽を暴いた時の報道(テレ朝)

匿名さんのレビュー

元中学教員です。
書かれている内容から、どのような状況だったか、手に取るようにイメージできます。

「学校は何もしなかった」と安易にマスコミや世間は叩くけれど、じゃあ何ができたというのか。
自分たちが中学生の時、スマホやネットがなかった時代でさえ、「大人」が「中学生」を安易に理解できたか。「中学生」が「大人」に今日どこで何をしてどんなことがあったかを逐一報告したか。
自分たちの中学時代に置き換えて状況をもう少しでいいから想像して欲しい。
そこにスマホが加わることで、子供たちの世界はどれだけ大人から見えない物になってしまったか。
もう少し「中学生の今」を考えてみてほしい。

さらには、入学してきてたった数ヶ月の出来事。
生徒への理解、生徒同士の人間関係が少しずつ見えてきた矢先の事件であり、「いじめ」に相当する出来事のほとんどは学校外で起きていた。
教室内・学校内で起こっていたのであれば、学校・教師の責任を追及する声が上がっても仕方ない。
家庭に帰してからの出来事、さらには他校の生徒が絡んだ案件を、保護者すら把握できないのに、担任が、教員がどこまで即座に把握し、指導できるというのか。糾弾している人々にそのすべを教えてもらいたい。

もちろん、他校とも連携を取り、事実確認をしたり、それぞれ話をしたりはする。
一同に集めて話をするのは難しいし、さらにスマホの中での付き合いも加わると、人間関係が複雑で対応は困難を極める。
そこは本当に「学校の」責任の範疇なのか。
起きた事実が「いじめ」や「犯罪」かはさておき、放課後や夜間、休日に起きている出来事すら「学校・教師の責任」なのだろうか。

こんなにも多くの児童生徒が居場所を求めて公園に頻繁に長時間集まっていた。
その時点で保護者や地域にもできることはあったし、動くべきであった。
が、その責任は誰にも追及されない。

学校現場は、外部の方々が思っている何倍も、「トラブルの連続」である。
毎日のように何かしらのトラブルが起き、悩みを抱えた子がごまんといる。
そして、多感な成長過程にある子供たちは、常にそれぞれに課題を抱えている。

現場にいたとき、いつも子供たちに言ってきた。
「人と人とのトラブルは、0対100というケースはほとんどないんだよ。
向こうが全部悪い、私は悪くないと思ってるかもしれないけれど、自分にも何か問題がなかったか考えてみよう」
私は個人的に「限りなく0対100に近いケース」がいじめであると考えている。

本当に本当に悲しい事件だと思う。
しかし、残念ながら、似たような案件は、全国のあちこちに転がっている。
今回の被害者がそうであるかは私には分からないが、心に闇を抱える女の子の多くが、自らの性を、寂しさを解決する手段に使うケースを山ほど見てきた。
自分への興味関心を引き、誰かに求められる・必要とされる実感を得られる、最も分かりやすい「ツール」だからだ。
性の入口に立った中学生達は安易にそれに飛びつくし、特に勉強や部活への興味ややる気をなくし、目的や目標を持てずにいる子供たちにとっては、格好の娯楽となる。

「いじめだ!!」「学校の怠慢だ!!」と声高に叫び、介在した生徒・教員達を叩きまくることで何が生まれ、何が変わるというのか。
この件は、スマホ依存社会、同時に核家族化・共働き化が推し進んだ中で、そのすき間で危ういバランスの人間関係を保っている中学生なら、全国どこででも起こりえる事件だ。
表面化していないだけできっともう同じような事件はたくさん起きていると思う。
失われた尊い命を「無駄にしない」というのは、ただ誰かを叩き、吊るし、結果論で物を言うのではなく、その背景をしっかり理解し、原因や対応策を考え、さあやさんのように、寂しさや孤独を抱えた子供たちを救うこと。ただその一点にあると思う。

2024年6月30日 1:26 PM

匿名さんのレビュー

私も、入水後に入院した病院で治療を継続できなかったのか、ここがターニングポイントだったのかも?と思います。
児童デイや放課後デイは、家庭⇔学校⇔病院⇔福祉を繋ぎます
彼女特有の寂しさや人間関係の困難さ等のサポートが受けられる架け橋になれたはず。
この病院は、この点を指摘してました。
また、引っ越しや転校も彼女の気持ちからするともう少し慎重になれていたら、とも思います。
学校に弁護士を同伴して謝罪を受けられていたら、また入院費や引っ越し等の補償が出来ていたら、遺族はここまで執拗に先生や先輩を追い詰めなかったのか?遺族の本当の目的は何なのでしょう?私なら、売春させられていたとかレイプを受けた、と言われる方が娘の名誉の為に許せない行為ですが。そんな事を配信し続けるインフルエンサーには弁護士からの指摘はないですよね?
A子の「死ぬ気もないのに〜」って言う言葉も、受け取り方でこんなに変わってしまうなんて。A子にとっては、思い留めさせる為だった発言が彼女にとっては言って欲しくなかった一言。大人でも難しいなと思う出来事がまだ10代の子にダメ出しをする、そして死の責任まで言及する、ネットで名前も顔も出される、こんな世の中間違っている。
彼女の死で関係者の将来を潰す事、これが延長線で行われみんなが正義と信じ一致団結したように行われている事に吐き気がします。

2024年6月30日 7:53 PM

匿名さんのレビュー

子供に起こるさまざまな出来事。
起こった良いことを一緒に喜び、辛かったことを聞いて慰める役目を一番に担うべきなのは、子どもの変化に目を向け、小さな変化にも気付き、その原因を突き止めて解消するのは親の役目。

子どもの困りごとに寄り添い、その解消に繋がる道を模索するのも親の役目。
学校も行政も、親からのSOSを受け手助けをする1ピースでしか無い。

学校や行政のせいにし叩き続けている限り、いじめによる自死は無くならないだろう。

2024年6月30日 10:26 PM

学校とはさんのレビュー

再調査委員会の会見見ました。転校先の学校は前中学校でおきたいじめのフラッシュバックの対応までしなければならないのでしょうか。警察も学校もかなり高いレベルでの対応を要求されていますが、ひとりの生徒に対し無理だと感じました。学校の授業以外で校外やSNSを含めた対応を求められ、足りなかった場合は袋叩きに合うのであれば、誰も教員になれないと感じました。

2024年6月30日 11:44 PM

匿名さんのレビュー

発達障害の診断自体、専門医が少なく、予約して半年待ちはザラ。半年という時間は成長期の子供にとって貴重。思春期の二次障害については、受診できる病院が少ない。他県のものですが、これは全国的な課題だと思います。
15歳で思春期外来から精神科が受診先になることをみこした治療をすすめる。医師だけでなくコメディカルによるチーム医療ができる病院がよい。とスクールソーシャルワーカーをしている知人から聞いたことがあります。
遺族の手記が2つあり、文春本裏の30ページと、2021年8月18日公表3ページを読みましたが、いじめが起こる前後と学校側の対応のずさんさを強調した内容。
被害者にとっては小学校高学年から出現した特性ゆえの行動からの進級の選択、疲労につながる塾通い等の考慮、ネット依存状況の把握と離脱、なにより強く訴えている「さびしい」を受けとめてネット以外の心の安定につながる依存先を作っておくことだったと思います。この判断ができなかったという事では、母親にもこの時点で支援が必要だったと思います。
(実際のところはわかりませんが)
入院先での治療を継続すべきだったとのコメントが、ここまでに三人寄せられています。ここが転機だったでしょう。同感です。
再調査委員会最終報告は、自死といじめの因果関係を認めることで、被害者とさして年のかわらぬ子供達に、大人も背負うべきである責任を子供達に背負わす内容。代理人が誇らしげに全国モデルにと言ってたようですが、とんでもないことだと思います。なぜ死を選ぶほどつらい思いをしたのか。黒塗りなどせず公表し真実とむきあうことが、被害者の追悼です。

2024年7月2日 3:05 PM

匿名さんのレビュー

いじめ問題に関して被害者の発達障害について言及すると、
「発達障害を抱えているからっていじめられて良いというのか!」と批判する人が多い。
けれどそういう人達って、
発達障害を抱えている人達の生きづらさを理解しようとすらしていないし、発達障害に対して差別的な認識をしている。
そんな人達が被害者の事を理解せずに、自分の都合や当事者を蔑ろにした認識を押し付けるばかりで、
被害者だけでなく教師なども苦しめている事に目を向けない。

ふつざわさんは発達障害について言及しているけれど、
亡くなられた子が抱えていた特性に対して真摯に向き合っているからであって、そこには理解しようとする姿勢がある。
逆に、
彼を誹謗中傷している人達が、
理解されない事で苦しみ続けていた子に関して、
不都合な事実から目を逸らし続けるのは、
亡くなられた子が抱えていた苦しみを全く理解していないからとしか思えない。

私の場合、
私自身にそういう傾向があるからこそ、
当事者であるからこそ、
死にたくなるほど辛い思いをしてきた人の気持ちがわかる。
だからこそ、
亡くなられた子の等身大の人物像を隠蔽し、
自分達の都合の為に創り上げた虚像を掲げて、
更なる被害を生み出している連中に対して強い憤りを感じている。

イジメの有無ではなく、
「孤独(理解されない苦しみも含む)」こそが死に至らしめるほど心を苦しめる病であり、
衝動性がそれをより深刻な事態に発展させる要素。

2024年7月6日 7:10 AM

あるくむさんの応援メッセージ

世間の論調、それを形成したマスメディアの報じ方と実情がこれほどかけ離れていたことに、驚愕と強い反省を覚えます。昨日もマスメディアは詳細を伏せ、ヤフコメでは加害者晒しなどと全くの誤解憶測が飛び交ってます。とは言え昨日までの私の認識も大差ないものでした。恥ずかしいです。

真実はなぜ伏せられ続けたのか。遺族と協議して黒塗りしたという報道がなされていますが、その協議とは如何なる根拠で、いかなるプロセスで行われたのか。被害者と遺族の抱えた問題をプライバシー配慮という名の下に伏せたことは本当に正しいのか。それによって曲げられた真実は独り歩きして別の誰かを傷つける。社会課題を解決するふりをして、私たちは別の誰かに皺を寄せただけではないか。あなたの行為は多くの根本的な疑問を浮き彫りにしました。

自分も家族に精神障害者を抱えた当事者家族の立場から述べますが、全ての少年少女が障害や多様性を理解し対応できる日は来ないと思います。もちろん、そのための努力は尊いものですが、社会設計は理想や建前だけでは成立しない。そういう楽観論だけでいじめは無くならない。だからこそ本件は徹底した検証がなされるべきだと思いました。あなたが公開した行為の是非はともかく、行動を起こしたからには全ての経緯を公正な手段でつまびらかにしていただきたいと願います。メディアには、手記や告発レポートの形で切り取りしない全文を世に出す責任を果たしていただきたい。

2024年6月25日 6:11 AM

匿名さんからの応援メッセージ

公開してくれたんで、黒塗り版を作った人たちが何を隠したかったのか浮き彫りになると思う
後でゆっくり見させてもらいます、ありがとうございました

2024年6月25日 6:03 PM

匿名さんからの応援メッセージ

あなたは正義の味方です
これからも応援します

2024年6月25日 7:58 AM

匿名さんからの応援メッセージ

公開された正義感と勇気に敬服しました。
文春の記事のいい加減さに、あきれました。公開されなかったら、決して表に出てこなかった事実と感じます。
いじめと自死との関係性について、考えさせられました。
いじめを解決することで、自死を防ぐことができたか、疑問に感じるとともに、
結局、自死を防ぐ有効な手段が見当たらない(現在も)と感じました。

2024年6月25日 7:59 PM

匿名さんからの応援メッセージ

あれだけ大きく報じられ、全国からの問い合わせによって第三者委員会の調査が決まったのに、出来上がった報告書は黒塗りだらけで、なんだこれ?って思ったことを覚えています。
今回全てが読めて、リスク承知で公開してくれたことに、個人的にはありがとうございますと言いたいです

被害者の子が抱える、寂しさや、思春期と発達障害による特性の混ざりあった、お母さんとの衝突やクラスメートとの関わり方の悩み、自分を制御できないもどかしさ等、黒く塗られて知り得なかったことが知れ、どれほど辛かっただろう…と公表版の報告書を読んだ時よりも、より胸が痛みました
同時に、これらのことが何故隠されなければならなかったのか理解に苦しみます

また、ネットニュース等で悪の化身のような書かれかたをしていた校長先生はじめ教師の皆様が、なにも対応していなかったわけでは無かったと知ることができ、学校もすてたもんじゃないなとも思えました

AとBいう選択肢があって、Aを選択したのは間違いでBを選択すれば良かった(Bもするべきだった)
というような文言をよく目にしますが、AもBも選択していれば結果が違ったものになっていたかは誰にも解りません
現場の教師の方々は日々そういった選択を余儀なくされているのですから、むやみやたらに責めるのは辞めて欲しいです

調査報告書が誰かを責めるためのものではなく、起こってしまったことを次に生かすためのものでありますように
また、なるべく黒塗りのない状態で公表され、一人でも多くの人がいじめについて考えるものになりますように

2024年6月25日 10:45 PM

匿名さんからの応援メッセージ

テレビのニュースで見たので探してきました。
よくやった!感動した!!

2024年6月25日 11:35 PM

匿名さんからの応援メッセージ

これは大変勇気のいることだったでしょう。
それでもいじめとそれに関わる人間に立ち向かう姿に感動しました。

2024年6月26日 2:52 AM

匿名さんからの応援メッセージ

私は文春の記事を鵜呑みにして、学校の先生方を悪者と決めつけていました。
その事が恥ずかしいですし申し訳ない気持ちです。

学校の先生方はきちんと被害者に寄り添っていたと読み取れますし、
事実と異なる事を記事にされている加害少年達も一方で被害者と言えると思います。

一体誰のための何のための黒塗りだったのか。。

勇気を出して真実を公開して下さってありがとうございました。

2024年6月26日 8:35 AM

匿名さんからの応援メッセージ

あなたのYouTube Liveなどをよく拝見していました。
あの時、表立って言えないことがこんなにもあったのですね。
あなたの忍耐力に頭が下がります。

2024年6月28日 4:56 PM

匿名さんからの応援メッセージ

随分初期の頃から加害生徒とされる子・ご遺族の両方と繋がっておられたのですね
あなたがXで発信していたことの裏に様々な理由があったことを知りました
言葉が強かったり、一体何がしたいんだ…と思ったこともありましたが、理解できた気がします

2024年6月29日 8:04 PM

匿名さんからの応援メッセージ

2021年当時からふつざわさんの言葉を目にしており、自分なりに理解できたと思っていましたが
まだまだ知らなかった事ばかりで驚いています

いつの日だったか、あちらを立てるとこちらが立たなくなり悩むとどこかで言われていたように記憶しています

今回黒塗りなしの報告書を手にされて、相当悩まれたのではないかと想像しています

3年間見てきた中でこれだけは言えます

ふつざわさんは一貫して不当に叩かれている弱者の味方でした

これからも応援しております

2024年6月29日 8:35 PM

匿名希望さんからの応援メッセージ

黒塗り無しの報告書と内部告発を見て、事件の印象は全く変わりました。
いじめはあったものの、障害による特性と相まって起きた、事故に近い自死であったと認識しました。

加害児童と呼ばれる子達にも優しい面があり、何処にでも居る子供達なのだなと。

他にも知ってる嘘があれば告発してほしいです。
世論が変わるきっかけになると思います。

2024年6月30日 2:20 PM

匿名さんからの応援メッセージ

このサイトで今までの報道とは違う情報を知れてとても良かったです。
何があったのか、自殺だったのか家出だったのか、爽彩さんにしか分からない事ですが、苦悩を知り改善していく事が爽彩さんへの旭川市民として出来る誠意だと思っていました。
だから、某YouTuberに情報を提供した事もありました。
でも、彼は爽彩さんが売春させられていたとか加害児童と言われる子が暴力団と繋がっているとか、噂話をネットに流すだけ。
私にとっては、そんな証拠もない事をネットに流す事は爽彩さんの名誉を傷つける事、また爽彩さんへの誠意ではないと感じていました。
ただ、ネットでこのような意見を書けば加害児童の保護者か?と言われてしまうので。
一言言わせてください!
加害児童が何か今出ている情報よりもっと悪い事をしていても、あなた方の将来を潰していいとは思っていないし、爽彩さんもそんな事望んでいないと思っています。
あなた方が爽彩さんの事で反省や後悔をしていたら、他者に優しくしてあげてください。爽彩さんはきっと、それを望んでいますよ。
あなた方の将来を心配したり、少しでも健やかな毎日が送れる事を望んでいる旭川市民がいる事、お伝えしたかったです。

2024年7月1日 1:07 PM

いいじまさんからの応援メッセージ

自閉症スペクトラム障害の男児(8歳)父親です。
ウチの子もたまに「死にたい」とか衝動で飛び出したりします。

支援級や放課後等デイサービスに通って、今のところは協力いただきながらすくすくと育ってくれています。
成長すれば、色々と人間関係で出てくるかも知れません。

旭川事件は通りいっぺんの記事しか知りません。

ですが、
他人事とは思えず、大変勉強になりました。

ありがとうございます。

2024年7月1日 4:36 PM

匿名さんからの応援メッセージ

ふつざわさんの主張は、
発達障害を抱えている子が抱えていた本当の問題を理解しているからこそだと思うよ。

死にたくなるほど苦しんでいる子達に真剣に向き合ったことがない人達には分からないみたいだけれど、
孤独や理解されない苦しみこそが子供を死に至らしめる問題の本質だよ。

そもそも虐められても支えてくれる存在がいれば人は死を選ばない。

本件は、
支えるどころか自分達の都合を子供にも学校にも押し付けるばかりで、
子の認知を歪めに歪めて更に精神状態を悪化させた上に、
子供の孤立を更に深刻化させた人達が何故か被害者面し、
問題の解決に向き合っていた人達が不当に誹謗中傷されていることが問題。

2024年7月6日 9:33 AM

匿名さんからの応援メッセージ

「顔や名前が出てしまっているけど、遺族側から出てる情報だけでこんな状況おかしくないか?」と思っていても見て見ぬふりのいじめを続けていた私がいます
でも、ふつざわさんの話を見て考えが改まりました
ふつざわさんの話を一方的に信じているわけではなくて、爽彩さんが失踪したとの情報が出て以降、疑問に感じていた事がふつざわさんの話だと納得できる、一番辻褄が合うと感じたからです
だからって、今更私が声をあげても遅いのかも、見て見ぬふりをした時間は戻ってこない
爽彩さんの為にも、今 名前や顔を出てる人達の為にも、やっぱり私も動きます、ふつざわさんだけでなく私も。

2024年7月11日 3:04 PM

匿名さんからの応援メッセージ

陰ながら私も何か出来る事をしていきたいと思います。
優しい子ばかりが傷つくのは、もう嫌です…。

2024年7月14日 8:29 AM

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