激病み編
「死んでしまいたい」と思った時
「死んでしまいたい」と思うのは、「生きてて良かった」と思った時の「感覚」を覚えているからだ。
でも、そういう時は「生きてて良かった」と思った時の「記憶」の方は忘れてしまっている。
君は今、悪い状況ばかりに考えが向いてしまっていて、これまでの全てが間違いだったと思い込んでいる。
つまり、物事を冷静に分析できる状態ではないということだ。
こういう時は、一時の感情に振り回され易い。
それ故、間違ったこと、得にならないことを、どこまでも行なってしまう危険性がある。
「今の自分は危険だな」と自覚したら、すぐに病院に行って、気持ちを落ち着かせる薬や幸福感を得やすくなる薬を処方して貰った方が良い。
辛い経験をし過ぎて、脳内物質がきちんと分泌されない状態になっているからだ。
つまり、今の君は「気持ちだけでどうにかなるレベルではない」ということである。
物事が根性論で解決するなら、そもそもこんなことにはなっていない筈だ。
そして、もし、君が死ねば、残された家族は、絶望のどん底に突き落とされるだろう。
そして、自分を責め続けるかも知れない。
あるいは、関わった人達を責め続けるかも知れない。
怒りと悲しみを何度も繰り返して、次第に、耐えられなくなり、無念の思いで、後追い自殺をしてしまうかも知れない。
はっきり言う。
君が死ねば、君の親は、いじめられた君よりも遥かに苦しむことになる。
なぜ、そう言えるか。
君は、自分がボコボコにされるのと、親がボコボコにされるのとでは、どっちが苦しいだろう?
つまり、そういうことだ。
「誰も助けてくれない」と思った時
世の中には色んな人がいる。
人をいじめることに快楽を覚えている人もいれば、自分のことしか考えず平気で見て見ぬふりをしてしまう人もいる。
口では綺麗なことばかり言って、何ら行動しない人もいる。
今、君の周りにいるのは、こういう悪い人ばかりなのかも知れない。
でも、世の中は広い。
いじめが許せないと思って、本気で行動している人もいる。
君は、そういう人に、巡り会えていないだけなんだよ。
「親は私のことなんて心配してない」と思った時
親も人間だ。
夫婦喧嘩ばかりして、子供のことに目が向かなくなってしまう時もある。
でも、君がめちゃめちゃ苦しんでいることを知ったら、そんな親でも、さすがに君を優先する筈だ。
試してみて、それでも駄目なら諦めて、別の人を頼ろう。
世の中には、虐待してしまう親もいるからね。
それに、助けてくれるのは親だけではないことを、君は知っている筈だ。
「全部、自分が悪いんだ」と思った時
「いじめる」という行動に出た時点で、悪いのは加害者である相手だ。
この事実は、相手や君がどんな主張をしても、揺るがない。
大人たちが法律でそう決めているからだ。
思い込み編
「いじめは続いているけど、どうしても学校に行きたい」と思った時
いじめを解決できない学校が、すぐにいじめを解決できる学校に変わることはない。
彼らは、いじめを解決出来なかっただけでは、クビにもならない。
同じことを何度でも繰り返すだろう。
また、いじめに対して、見て見ぬふりをしているクラスメイトも、君に良い影響は与えない。
したがって「世の中にはそういう人間もいる」ということを知ることが出来たら、それ以上、付き合う価値はない。
人間関係で一番大切なのは取捨選択をすることだ。
「それでも学校に行きたい」と思うなら、その気持ちは、無理やり捨てなくて良い。
心にしまっておいて、大人になったら取り出してみよう。
「復讐してやりたい」と思った時
やられたらやり返した方が良い。
二度と君を軽く見ないように、徹底的にぶちのめすべきだ。
その方が、心もスッキリする。
自分を偽って、綺麗事で解決しようとしても、本気でそう思えなければ、後で必ずぶり返すだろう。
それでは、心が回復したとは言えない。
やられたことと同種の方法で復讐することが困難な場合は、謝罪をさせよう。
無論、彼らは反省などしない。
しかし、謝罪することを屈辱的な行為と捉えている。
マウントを取ることで優越感に浸るスタイルが身に付いているからだ。
そういう人に屈辱を感じさせたなら、復讐を果たしたと言える。
それを果たすためには、いじめの証拠を集めて学校に突き付けるか、いじめの重大事態として第三者に調査をして貰う必要がある。
病み編
「学校に行きたくない」と思った時
勉強は、やる気さえあれば、何処でも出来る。
解りやすいところでいえば、塾のほうが、他の塾と競争をしながら金儲けをしている分、学校の先生なんかより遥かにわかりやすく教えてくれるだろう。
部活も同じだ。
また、いじめが原因で休むなら、フリースクールに通うなどして、出席扱いにすることも出来る。
場合によっては、転校も可能だ。
そもそも、学校は、教育を受ける権利を国民が行使できるように国の義務として作っているだけであって、通う側に義務はない。
「そうは言っても、やっぱり通った方が良い」などと言っているのは、通っていた人達や通いたかったけど別の事情があって通えなかった人達だけだ。
いじめの被害をモロに受けて通わなくなった人達は「通った方が良い」とは言わない。
いじめをする人達やいじめを見て見ぬふりをする人達との関わりの中でしか得られないものがあるとするならば、それは、バレないようにいじめをする技術と、いじめっこ達から目を付けられないように振る舞う技術だけである。
そんなことを学んでも、君の人生は豊かにはならない。
「親に心配かけたくない」と思った時
事態が深刻化して余計に心配をかけることになる。
出来るだけ心配をかけたくないなら、どうするべきか。
答えは決まっている。
「どうしたら良いかわからない」と思った時
箇条書きで自分の思いを書き出して、要点をまとめてみると良いだろう。
自分では出来ないと思ったら、秘密掘削隊の隊員にDMを送ってみてくれ。
気付き編
「これって、いじめかな?」と思った時
いじめとは、心理的または物理的な行為で、心身の苦痛を感じさせるもの、とされている。
あれもこれも、いじめになりそうな表現だが、これには理由がある。
君たちをすぐに助けられるようにする、という目的があるからだ。
やられた子が、つらい、くやしい、かなしい、くるしい、と思ったなら、それは、いじめと捉え、すぐに対処しようと、大人達が決めたんだ。
「一人になるのがこわい」と思った時
学生の世界では、ノリも大事だ。
何でもかんでも「いじめ」と言われたら、今度は息苦しさを感じることになる。
でも、誰かが、つらい、くやしい、かなしい、くるしいと思っているなら、例え、それで場が盛り上がったとしても、認めるべきじゃない。
君がやられている場合であっても、当然同じだ。
誰かを傷付けて盛り上がる「ノリ」を有難がっている奴らに未来はない。
そういう奴らは、ろくな人生を送らないことを、俺は年を重ねる度に実感している。
君も早いうちに関係を断っておいた方が良い。
一人で本でも読んでいる方が、何億倍もマシである。
「自分が悪いのかな?」と思った時
いじめは、相手の欠点を強調し、正義の顔をして行われることもある。
でも、「ここは、自分も悪かったから修正した方が良いかも知れないな」と君が本気で思うなら、変えてみよう。
新しい自分に生まれ変わるチャンスかも知れない。
だからといって、あらゆる指摘に対して、いいなりになってはいけない。
「これは自分の意思ではないな」「納得出来てないな」と思ったら、すぐに中止して、君を支配しようとしている者から少しだけ距離を取った方が良い。
でなければ、君はいずれ、搾取されることになる。
自分の価値を守るためにも、納得できないものには、毅然とした態度で拒否しよう。