戦わされている人
1
病院で再会した我が子の残像に苦しみながら、帰って来ない我が子を待ち続けている。
何をしても、帰って来ないことは、分かっている。
それでも、我が子の命を確かめるように、朝と夜に、仏壇に語り掛ける。
そして、少しでも加害者達の悪意が認められるように、少しでも学校の悪意が認められるように、祈っている。
でも、時々、そんな自分が、悪い人間のように思えて、苦しくなる。
かつての自分と、愛する者を奪われた自分を、比較して、苦しくなる。
押さえていた感情が溢れた日は、罪悪感で、いっぱいになる。
その源泉に気付くのは、悪いニュースや連絡が入ってきた時だ。
苦しんでいた自分が馬鹿馬鹿しく思えて、落ち込み、身体が動かなくなる。
絶望が底を突いたら、日光と植物の生命力を感じながら、頼られる喜びと煩わしさを原動力にして、再び起き上がる。
2
政治家、弁護士、記者が話す言葉に返答しているのは全て、仮面を被った自分で、本当の自分は、背中を向けながら、他人事のように聞いている。
嵐が過ぎ去った後は、部屋の静けさに打ちのめされる。
ソファーに横たわり、眼鏡の縁を感じながら、空腹と薬の副作用で目眩を起こしている虚ろな自分に気付く。
死にたくても死ねない現実に、更に打ちのめされて、泣くことしか出来ない。
そんな地獄を生きている。
殺せないなら
更生させるしかない
良心を捨てられないのは、命の尊さを知っているからだ。
失われた命を軽視するような不遜な態度に傷付くのも、きっと同じ理由だ。
10年後、彼ら彼女らが、失われた命のことなど忘れて、楽しく生活していたら、どう思うだろう。
放っておけば、何の不自由も感じず、心の葛藤もなく、人生を謳歌していく。
コミュニケーション能力もあるし、容姿も優れている者ばかりだ。
どんな前科があっても、それだけあれば、この社会では、それなりに楽しく生きていける。
彼らを叩き続けている者達も、寄り添った投稿をしている者達も、直に消え去る。
地域住民も、忘れていく。
離れた地に行けば、もう誰も知らない。
そんな現実を突き付けられれば、きっと、今よりも、もっと深く傷付く筈だ。
夏休みの彼らの写真を見た時よりも、もっと悔しい思いをする筈だ。
しっかり反省をさせ、更生をさせれば、そんな思いをしなくて済む。
許せる日は来ないだろうけれど、余計に傷付くことにはならない筈だ。
その為には、命の尊さを知って貰わないといけない。
幸せになって、自分の命の価値に気付いて貰わないといけない。
でなければ、彼女の命の価値には、絶対に気付けない。
命の価値に気付いた時、彼ら彼女らは、自分がしたことの重みを知る筈だ。
決して、簡単なことではないけど、やらないといけない。
味方のふりをして
心を弄ぶ者達
記者
調子の良いことを言って、遺族を口説き落とし、PV稼ぎの連載を開始。
「第三者委員会設置」という目的を果たした後も、世論の反応について「想定外だった」などと言い訳をしながら、遺族を焚き付ける言動を取り、記事を掲載し続けた。
書籍に載せる文章を代筆し、遺族のお墨付きを得た後も、関係生徒に矛先が向く記事を次々に掲載。
仕舞いには、関係生徒が自白したことを知りながら、関係生徒の生き別れた父を利用して、関係生徒を攻撃した。
また、その記事を掲載した直後から、私の電話にも、グループLINEのメッセージにも、一切応答しなくなった。
巨大化したドブネズミ。
政治家
人気取り、票稼ぎの為に、遺族に寄り添う姿勢をアピール。
公平中立な調査や関係生徒等の更生など、どうでも良く、遺族の代理人弁護士の言いなりになって、政敵を非難できれば、それで良いと考えている。
正義感など一欠けらもない大衆迎合主義者。
駒
チャンネル登録者と再生回数欲しさに加害者や学校を叩く目立ちたがり屋。
事件をおもちゃにする虚言癖の暇人。
それに便乗して、承認欲求を満たす病人。
寄り添ってる風の投稿を重ねながら、誰かとの価値観の一致を求めている孤独な人。
皆、自分の意思を信じているが、実際は、市長、新聞社、テレビ局、ニュースサイトの情報発信をコントロールしている誰かさんの駒。
宣戦布告
勝つことにこだわるあなたと、心の安寧を願う私とでは、考えが異なるのは、当然です。
あなたは、目先のことだけを考えて、傷付けてはならないと言い、戦いに迷いが生まれないようにしてきました。
そして、勝つために、政治家を味方に付け、マスコミの情報発信をコントロールすることで、世論、つまり、旭川市民や、ユーチューバーや、SNSユーザーや、匿名掲示板利用者を、焚き付けてきました。
しかし、私は、やはり、勝てさえすれば良いとは思えません。
あなたは仕事だから、そう考えるのは当然かも知れませんが、私は違います。
そもそも裁判を信用していないというのもありますが、それだけじゃない。
喧嘩して、馬鹿にし合って、下らないことを何百時間も話して、感謝を伝え合った、友達だからです。
依頼人じゃない。
いじめ解決人だなんて名乗っていますけど、本当は、いじめの件で関わった人の為に、出来ることを何でもやってきた「何でも屋」です。
いえ、「屋」ですらない。
あの時、あなたの誘いを断ったのも、結局のところは、それが理由です。
言いたいことも言えなくなる。
その言いたいこととは「心を守るべきだ」ということです。
私とあなたは、目的も、考え方も違う。
見てる先も、見てる距離も違う。
私は、更生をさせます。
それが、彼女たちの、心の安寧に繋がると信じているからです。
だから、その希望を砕こうとする者は、全員、なぎ倒します。
この記事へのコメントはありません。