旭川女子中学生いじめ事案

町田市いじめ事案の再調査報告書(概要版)について私見を述べる

以下、町田市いじめ事案の再調査報告書について、私見を述べる。


私見:結論を書いているだけなので、特になし。結論を導き出く事実認定と根拠が重要。


私見:学校いじめ対策組織が遺族に対する適時適切な連絡を欠いたことについて「ガイドラインに沿った対応をしたとは言いがたい」として非難している。妥当な評価だと思う。


私見:特性や脆弱性を感じさせない、文化的健康的な生活を送っている、ごくごく普通の女子児童という印象だが、複数の習い事(空手、チアリーディング、塾)の頻度が気になる。


私見1:女子児童は、3年生頃からグループができる。グループができれば、その中で、いざこざもあれば、友情を強化する経験もするだろう。また、グループの結束を強化する為に外敵とみなした者や不都合な者を疎外ないし排除するということも当然にあっただろう。児童生徒のみならず、政治家、いじめ界隈で活動する者達、一般の大人達でさえ、日々、そのような場面に遭遇し、何らかの形で関与している。「女子児童Xが中心メンバーと一緒にABを仲間外れにすることがあった」という事実があれば、別の見方ができる余地はあるが、XがABを仲間はずれにしたという認定はされていないので、当該エピソードを取り上げる必要性は低いと思う。

私見2:学校は女子児童Xが人間関係に悩んでいることを認知した上で、クラス替えを行なっている。この対応自体に問題はない。問題は「何をしなかったか」「事後の観察が適切に行われていたか」であるが、その部分が書かれていない。教職員達の社会的信用に関わることなのだから、概要版であっても、その辺はしっかり書くべきだったと思う。

私見3:児童相談所が女子児童X親子に関与しているとも捉えられる書き方になっている。家庭の信用に関わる事を書きながら、その詳細を書かない態度からは、印象操作の目論見しか感じない。公の問題になり、多くの関係者の社会的信用に関わる事態になったのだから、関係者のプライバシーは真相解明に必要な範囲で制約されて然るべきだと思う。


私見1:多様な人間が集まって「楽しいことばかり」という状況が続くことなどない。友人関係のみならず家族関係においても、辛い思い、悲しい思い、腹立たしい思いを抱くことは当然にある。問題は、その力関係が著しく偏っていたか否か、特定の者が過度に抑圧されていたか否かである。

私見2:本文は、ABが「ドッキリ」と称して女子児童Xを(一方的に)揶揄い続けていたことを指摘している。また、4年生の頃についての記述は「悪口を言い合う」というものになっているが、5年生の頃についての記述は「悪口を言われていた」というものになっており、関係性に変化が生じたようにも読み取れる。

私見3:本文は、Aが「殺し方ノート」を書いていたこと、AがBやEに対して女子児童Xの悪口を言っていたことを指摘している。「直接言えない臆病さ」を読み取ることもできるが、女子児童の世界においては「直接言わない狡猾さ(秘密裏に賛同者を増やし、場の空気で圧迫することを企む狡賢さ)」を読み取るのが筋であろう。ABの結束、女子児童XがABとの関係において精神的に追い込まれていたことは、まさにそのことを裏付けている。

私見4:しかしながら、この事実だけをもって「ABとXの力関係は著しく偏っていた」「Xは過度に抑圧されていた」と直ちに評価することはできない。何故ならば、Xは、その関係性に囲い込まれることなく、容易に抜け出し、別の友人2名(C、D)と一緒に過ごすようになった後、再び、自らの意思でABのグループに戻っているからである。


私見1:「縁切りドッキリ」に対して、女子児童Xが、当時どのように受け止めていたかは定かではない。ABが陰で悪口を言っていることを知らずに、YOUTUBE企画の疑似体験をしている気持ちになって、仕掛けられた側のリアクションを取り、その場の空気感をABと共に楽しんでいたかも知れない。反対に共に楽しんでいるようなリアクションを取っていても、内心では、腸が煮えくり返るほど怒っていたかも知れないし、尊厳を傷付けられ辛く悲しい気持ちに心が打ち砕かれそうだったかも知れない。

私見2:「ABのチャットのやり取りをたまたま見た」と認定されているが、どのような状況で「たまたま見た」のか、詳細が分からないので、評価できない。女子児童XがABの端末を取り上げて「内々のやり取り(陰口)」を強引に見たのか、ABが「女子児童Xが容易に見れる場所」に端末を置き見るように仕向けたのか。前者であれば「内々のやり取りが、違法不当な手法によって外部に漏れただけ」といえるから、Xを傷付ける目的があったとは言えない。したがって、その場合は、いじめと評価することはできない。ただし、ABが「内々のやり取り(陰口)」を何らかの形で不特定多数の児童に広めようとしていた場合は、いじめとなる。しかしながら、そのような認定はされていないので、当該行為は、あくまでも限られた者の中で行われていたと推認される。後者であれば、相手を傷付けることを目的としているので、いじめと評価できることは言うまでもない。

私見3:陰口は決して良いことではない。しかしながら、児童生徒のみならず、大人達も「愚痴」と称して、通話、コミュニケーションアプリ、お茶会飲み会の席で、日常的に誰かの陰口を叩いている。この行為を「いじめだ」と胸を張って言える者はいないだろう。


私見:BがCDの悪口を言っていたことが証拠や複数の証言によって裏付けられているならば、CDが、ABグループに戻ったXに本心を伝えず、先に帰ったことは、正当な事情があるといえる。しかしながら、本文が指摘するように、いじめ防止対策推進法の定義に当てはめれば、約束を反故にされたXは、心身の苦痛を感じたと言えるから、その事実をもって「いじめ」と評価できる。

私見:異論なし。正しい指摘だと思う。この点を本文のように丁寧に説明しないと「いじめ」という言葉がひとり歩きして、「新たないじめ」の犠牲者が生まれる。


私見:異論はないが、行為者が名乗り出なかったこと、また、白状できない雰囲気ができあがってしまったことは、非常に残念に思う。いじめも自死も含めて、全ての大人達が責任を感じるべきだと思う。


私見:「4ページにわたり記載がある」という記載は「家庭の問題が盛り沢山である」という暗示だろうか。家庭の信用に関わる事を書きながら、その詳細を書かない態度からは、印象操作の目論見しか感じない。公の問題になり、多くの関係者の社会的信用に関わる事態になったのだから、関係者のプライバシーは真相解明に必要な範囲で制約されて然るべきだと思う。


私見1:「いじめが自死の原因になったとはいえない」という評価ではなく、「いじめが自死の原因となったのではない」と評価している。かなり踏み込んだ言い方をしているが、「心を弱らせる一因」にさえ「いじめ」が入ってないのは何故なんだろうか?そして、4項目のいじめを認定しながら、②で「いじめがあったとしても」という言い回しをするのは何故なんだろうか?普通は、法的な言質を取られない範囲で強い言葉を使い、どれだけ怒りを収めて貰うかを考える。マスコミの切り取り報道を恐れている可能性もあるが、ここまでされると、それ以上のことを恐れ、または配慮忖度して、いじめと自殺が結びつかないように必死になっているようにしか見えない。学校要因だけでなく、いじめも、自死(重大事態と表現)の一因と書くことはできた筈である。

私見2:自死の因果関係が複合的なものであるとの見解に異論はない。女子児童は遺書を残しているが、それでも尚、いじめだけが自死の原因とは思わない。子供の世界は、学校だけではない。女子児童には、習い事という世界も、家庭という世界もあった。

私見3:学校に絶望すると死ぬ生き物なら、不登校の子供は皆死んでいる。いじめによって死ぬ生き物なら、もっと多くの子供が死んでいる。令和4年度の不登校児童生徒数は299,048人。「いじめの認知件数」は681,948件、その内「いじめの重大事態」の件数は923件。

私見4:令和4年度の小中高の自殺者は、411人。その内訳は、家庭不和43人、父母等の叱責34人、学業等不振22人、進路問題37人、恋愛での悩み9人、病弱等による悲観12人、えん世14人、精神障害26人、その他23人、不明255人、いじめ自殺5人。これらの項目に割り振られた子供達も皆、複合的な問題を抱えていたとは思うが、重大事態923件、その内、いじめ自殺が5人という割合を見れば、少なくとも「通常は、いじめだけでは死なない」ということが解るのではないだろうか。そして、「本件は特殊ケースに当たる事案である」といえる根拠がないことも、感覚として解るのではないだろうか。


以下、異論なし。









町田市いじめ問題調査委員会【2021年11月22日付諮問への「報告書」の概要:2024年2月21日】


関連記事

  1. 町田市は、重大事態ガイドライン第5第8項に違反する対応をした可能性がある

  2. 町田市タブレットいじめ自死事件と呼ばれる『町田市いじめ事案』

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

年間ランキング

PAGE TOP