パパが、パパとしてお前に言えることだけが本当のことだと思う。
お前を愛する気持ちに嘘は一つもないからだ。
逆に、パパが、パパとしてお前に言えないことは嘘だ。
他所の子供にも言ってはいけない。
だから、お前に言えることだけを
お前に伝えるつもりで書くよ。
シン・いじめ撲滅「いじめとは何か」
娘よ。
まず「いじめとは何か」について教える。
結論から言うと、いじめとは、正当な理由なく、怒りや憎しみの感情で、攻撃を仕掛けること、又は、過度な反撃をすることだ。
では、逆に「いじめには当たらないもの」を挙げてみよう。
①勉強をやりたくないのに「やりなさい」と指導すること
「勉強をしなさい」という指導は、怒りや憎しみの感情で、おこなっている訳ではない。
親は、子が社会生活を送れるように指導する責任があるから、そう言うんだ。
つまり、正当な理由もある。
だから、いじめではない。
②嫌なことをされたことに対する反撃
反撃も理由と目的が正当であれば、いじめとは言わない。
「嫌なことをされても言われても、反撃してはいけない」「我慢しなさい」と言える人は少ないからだ。
中には「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ」という教えを実践できる立派な人も居るが、多くの人はそんなに強くない。
だから、許されてる。
しかし、その反撃が、やられたことと比較して「過度である(やり過ぎ)=そこまでの反撃をするだけの正当な理由はない」と評価される場合は、いじめになってしまうから注意しなさい。
争いは、引き際が肝心。
心せよ。
③誰かを守るためにおこなう攻撃
「弱い立場に置かれた者を守るため」という理由があれば、その行為は、「やり過ぎ」とは言えない限りは、いじめにならない。
しかし、正当な理由であると思えたとしても、「この攻撃は正当である」と大きな声で言うべきではない。
その行為によって、傷付く人が存在する以上、「正しい」とは、言ってはいけない気がするんだ。
娘よ。
悪いことをする人は、さみしい人、知能が低い人、病気の人ばかりだ。
悪いことをする人になりたくて、生まれてくる人もいない。
だから、弱い立場に置かれた人を守るために、弱い者いじめをしている人を攻撃する場合は「致し方ないこと」だと思っておきなさい。
次に、いじめには、どんな種類があるのか教える。
今更教えなくても、何となく分かると思うが、念の為だ。
具体的な行為がどんなものであるかについては分かると思うから、例外的なことだけ解説しておく。
①仲間内で示し合わせ、複数人で無視をする行為
仲間内で示し合わせていない場合は、いじめにはならない。
誰にでも、不快な存在や不快な行為に対して、無視をする権利がある。
でも、「皆で無視をしよう」と扇動したり、そういう扇動に流されて加担したら、いじめになる。
集団で精神的苦痛を与える「反撃」は、「過度な反撃(やり過ぎ)」と評価されるからだ。
②馬鹿にしたり、信用を貶めたりする行為
批判は、許されている。
「言論の自由」といって、自分の思ったことを表現することが日本国憲法で認められているんだ。
しかし、批判と称して、皆で馬鹿にしたり、信用を貶めることはいじめになる場合がある。
批判する理由と目的をしっかり持って、「やり過ぎ」にならないように注意しなさい。
③殴ったり、蹴ったりする行為
やり返すことは、いじめにはならない。
それは、喧嘩だ。
つまり、やり返した時点で、相手の暴力もいじめではなくなるということだ。
でも、「やり過ぎ」たら、いじめになるから注意しなさい。
④脅したり、無理矢理何かをさせたりする行為
誰かを良い方向に促すために、脅かすことは、いじめにはならない。
「正当な理由がある」ということになるからだ。
パパが、「勉強しないと社会に出て困るぞ」「だから、毎日これだけは勉強しなさい」と言うのも、脅しや強要の部分があるけど、何の為に言うのかは、わかってくれていると思う。
でも、相手のためを思って言ってくれている訳じゃない脅しや強要は、いじめだ。
脅しや強要であるか否かは、相手の言葉だけでなく、普段の自分に対する接し方を見て判断しなさい。
⑥物を隠したり、壊したりする行為
浮気をして、交際相手や配偶者に、スマホを水没させられた、という話を聞いたことがある。
ガラケーの時代には、折られたと言ってる人もいたな。
パパは、物を壊したり、隠したりすることに、正当な理由があるとは思わない。
怒りの矛先を相手に向けるのではなく、別のものに向けるというのは、筋違いだと思うんだ。
誰にも迷惑をかけず、ストレスを解消するのは良いけどね。
あ、でも、閉じ込められた人を助けないといけない状況で、ドアを破壊することは正当だな。
許されるのは、そういう場合だけだと思う。
物に当たってはいけないよ。
娘よ。
ここまで聞いて、お前は、「いじめとは何か」について、なんとなく分かったかも知れない。
でも、実際は、もっと複雑なんだ。
どちらが被害者で、どちらが加害者なのか、分からないケースが、とっても多いんだよ。
ある女の子は、年下の女の子に蹴られ、そのことを自分の中で消化するために、対等な立場であると考えることにした。
そして、同級生のお友達と接するように、ふざけ、からかい、ノリを共有したんだ。
でも、良くないタイミングで発した一言で、険悪な関係になった結果、年上の女の子の言動は「上級生の立場を利用したいじめである」と評価されることになった。
良くないタイミングで発した一言がなければ、二人は今も仲良くしていたかも知れない。
年下の女の子に蹴られた子が、その時に「いじめられた」と申告していれば、年上の女の子が被害者で、年下の女の子が加害者だったんだ。
娘よ。
物事は全て、経緯があって結果がある。
結果だけを見て、判断してはいけない。
さみしい気持ちを埋めるために、いじめをする子。
知能が低くて、いじめという行動に出てしまう子。
病気のせいで、いじめをしてしまう子。
そういう子達によるいじめは「被害者に落ち度がない可能性」は高い。
でも、必ずしもそうとは限らないんだ。
反撃から始まるいじめもある。
誰かを守るための攻撃から始まるいじめもある。
年下に蹴られ、怒りの感情を消化する為に、対等な関係であると考えて接した結果、「先輩の立場を利用した接し方をされた」という被害感情を与えてしまう場合もある。
ましてや、未熟な子供達たちが集まる学校では、どちらにも悪い部分があることの方が「傾向として」多いんじゃないかってパパは思うんだ。
何が言いたいかというとね。
いじめの定義が解っても、その当て嵌めは簡単ではないということだよ。
「いじめの責任は加害者にしかない」「加害者が自分を正当化するために、被害者の落ち度を作り出している」という主張をよく見かけるけど、それは、そう言っている、その人やその人の家族が受けたいじめに対する、その人の解釈でしかないんだ。
加害者と言われている人だって、被害者であると主張する人に対して「こうなった責任はあなたにしかない」「自分を正当化する為に、私の落ち度を作り出している」って、言えてしまうんだよ。
娘よ。
大切なことだから、ちゃんと覚えておきなさい。
本当のことは、調べてみないとわからない。
根拠もなく、一方だけの主張を信じてはいけない。
自分の目と耳で、見て聞いたことだけを信じなさい。
学校というのは、成功や失敗を重ねて、人との関わり方や、物事の良し悪しを学んでいく場なので、トラブルはつきものだし、その全てをいじめた・いじめられたで分けてしまっては、子供の成長の妨げになってしまいかねない。
教師の対応に問題があるケースもあるし、保護者の対応によって拗れるケースもある。
ケアは必要だけど、過剰反応は良くない。
いじめ防止対策推進法は、いじめ被害にあっている子を救うための法律であって、加害行為を行った子を排除するため法律ではないと私は思う。
例えば
AがBに話しかけたのに、反応が悪かった又は無視された
Aがいじめだと訴えればAが被害者
Aが腹を立ててBを無視、Bが無視されてると訴えればBが被害者
ことあるごとにAがB小突かれていて、我慢の限界が来てAが一発ぶん殴った
BがAに殴られたと訴えればBが被害者
双方から話を聞かなければ、原因は不明のまま
ある意味言ったもの勝ち
そして加害者とされた子の気持ちは晴れぬまま、次第にエスカレート
そんな事例もある
だからこそ第三者(教師や保護者)は冷静に対応しなければならないと思う