「あなたがやるしかない」
税理士が言ったその言葉を聞いて、私は驚きましたが、半分は、そうだろうな、という気持ちでした。
当時は、まだ23歳。
経営とは無縁の生き方をしてきた私に会社を回せる筈がありません。
でも、誰がやっても無理そうな内容だったので、それなら俺の仕事かもな、となったのです。
負債の総額は、約2億4千万円。
業界はリーマンショック以降、低迷。
リスケジュールをして、返済猶予を受けている状態でした。
おまけに役員は、下を向いて、何も言わないし、父も、脳に障害が残ると医師から言われていて、もう復帰は見込めない。
このままでは、母や弟達の生活もめちゃめちゃになる。
俺がやるしかない。
その気持ちだけで、社長になることを決めました。
税理士は、私が承諾した後に、倒れる前の父について、こう話しました。
「お父さん、息子が専門学校に行きたいって言うから、何とかしないといけないんだって言って、頑張ってたんだけどね。きっと無念に思ってるだろうなぁ。」
その言葉を聞いて、「死んでないです」というと、税理士は「あ!そうだった!」と言って、ちょっと焦りながら笑っていました。
私は、スーツを捨ててしまったことを思い出して、父のクローゼットを漁りに行きました。
会社に着いて、色んなところをガサゴソと漁っていると、皆が驚きながら、私を、横目でちらちら見ていました。
私は、無視して、険しい顔をしながら、いたるところに散乱している重要書類と思われる紙の束を一箇所に集め、それを一枚一枚確認し、必要そうなものとそうでなさそうなものを、分け続けました。
そして、必要そうな書類を紙袋に入れて、父がいる病院に向かいました。
集中治療室に入ると、父は、ベッドに横たわり、黒目をあちらこちらに動かしながら行儀良く寝ていました。
「なんで俺がピンピンしてて、親父が倒れてんだよ」
そう言って、私は、窓ガラスに映った、父のスーツとコートを着て突っ立っている自分を見て、泣きました。
「お父さん、息子が専門学校に行きたいって言うから、何とかしないといけないんだって言って、頑張ってたんだけどね。」
そう、税理士が話していたことを思い出したからです。
でも、その後、父の顔を見てたら、笑えてきたので、耳元で、こう言ってやりました。
「親父、今度は俺が助ける番だ」
一番最初の仕事は、銀行との話し合いでした。
役員は恐れおののき、結局私一人です。
電話で事情を説明し、アポを取り、訪問すると、シワ1つないスーツを着た、法人営業の銀行マン6名が待ち構えていました。
23歳のクソガキ一匹に立派な肩書を付けたおじさんおばさん6人です。
この場合、名刺はどうやって並べれば良いのだろうか?
迷った結果、縦に6枚並べましたが、どう考えても見栄えが悪い。
こいつら、これを見て、心の中で笑ってやがるんじゃないだろうか…と不安になりましたが、胸を張るしかない。
何を話したのかは、あまり記憶にないですが、私から会社の債務について連帯保証することを告げたのと、「こんなことで慌てるんじゃない、俺は出来る男だ」感を、一生懸命出しながら、脊髄反射的に質問に答え続けたことだけは覚えています。
そして、その話し合いは、何故か、上手くいきました。
為せば成る、こともある。
こうして、社長ふつざわしゅん物語はスタートしました。
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