「雇い続けることが難しくなってしまいました。ごめんなさい。」
そう言って、私は頭を下げ、父の病状と会社の事情を説明し、サラリーマン時代、仲良くしていた人を解雇しました。
自分が、人を、しかも、仲良くしていた人を、金で計って切ることになるとは、夢にも思わず、話し合いが終わった後は、暫く落ち込みました。
父は、派遣契約が切れても、会社に戻って来て仕事が出来るようにと、請負業務にも力を入れていました。
しかし、リーマンショック以降、その請負も少なくなり、仕事がない場合は、CADの勉強などをやって貰っていました。
もちろん、それでも賃金は発生しますが、そんな状態にあっても、解雇することが出来なかったのは、父の性分なのでしょう。
出来損ないの息子をサラリーマンとして雇ったことも、そういうことに違いありません。
他方、私は、父と母、弟たちを守るために、背負えないものに対する心は、どんどん捨てていきました。

とにかく資金繰りを安定させなければならない。
赤字は切り捨てる。
無駄なものは削る。
2代目がやりがちなことです。
何故、2代目がやりがちなのかというと、新しいビジネスモデルの構築は時間が掛かり、創業者の大胆な手法も真似できない、という事情があるからです。
また、当然ながら、創業者のカリスマ性を引き継ぐことも出来ない。
その為、2代目は、創業者がやって来た業務を体系化したり、合理化したりして、安定したものに変えて、やっていくしかない、というのが実情だと思います。
従業員を解雇して落ち込んでいる最中、解雇することを勧めて来たある役員が、トラブルを起こし、私は、ある決意を固めることになります。
その役員は、会社から金を借り、貸した金額と日付などを記した父のメモ書きを盗み、借りた金を無かったことにしようとした上に、会社の通帳を持ち去り、私が返却するように注意をしても、それを拒否したのです。
その後、弁護士から厳しく注意され、通帳は、しぶしぶ返却してきましたが、盗んだメモ書きについては、白を切り通し、返済も一切してきませんでした。
ちなみに、父は、その役員の隠蔽工作の為に、母親の死に目にも会えず、葬儀会場すらも教えて貰えませんでした。
脳の障害を負ったばかりなのに、「一人で来ることを約束するなら、葬儀会場を教える」と言われたのです。
何をしようとしているのかは馬鹿でも分かるので、私の判断で、そんな要求は飲めないと言って、その場で断りました。
でも、父には、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

息子の学費や自分の趣味の費用に必要だと言って、1000万円以上もの大金を借りておきながら、それを返さないどころか、倒れたことを良いことに、隠蔽工作を図り、更には「母親の葬儀の場所を知りたければ、一人で来ると約束しろ」と言って、脳に障害を抱えた者から、自分たちに有利となる言質を取ろうとする。
そんなことをする野郎に、親父が作った会社を潰される訳にはいかない。
帰り道、車のハンドルを握りしめながら、そう決意しました。
はじめて、会社を守りたい、と思えた瞬間だったと思います。
でも、その直後に「弱い立場に置かれた人の気持ちをもっと理解してやれ」という父の言葉が、古傷のように、痛み始めました。

その後、私は、友人と連絡を取り、「飯食いに行こうぜ」と言って、会いに行きました。
彼は、高校時代、素行の悪い奴らにちょっかいを出され、「もやし」などと呼ばれていた軟弱体質で、粘着質な愉快犯でもありましたが、意外に頑固で、ここぞという時には義理人情に厚い男でした。
そこを見込んで、「協力して欲しい」と頼んでみたところ、彼は、数日後、承諾してくれ、私と共に働くことになりました。
奴を解任し、会社を立て直すために。

この記事へのコメントはありません。